第260話 匿名雨男、背伸びを許さない
「
「対話?」
降りしきる雨音。
何万回と壁と小窓をノックする。
ノイズ塗れの静寂を、その二人のやり取りが引き裂いた。
片方は、橋を掛けようとする肯定的なな要求。
一方は、橋を外そうとする否定的な嘲笑。
クオリアと
「あなたは、“虹の麓”を実行しようとしている」
「そうだな。てめぇにも見せたもんな、“楽園”の住民を……で? お気に召した?」
どんな答えが返ってくるか、分かり切った様子の乾いた声だ。
例え仮面で隠れていようとも、それくらいは分析できる。
「“虹の麓”は、誤っている」
「てめぇの大好きな笑顔だらけの世界なのにか?」
「“美味しい”が、その世界には存在しない」
「……で? 代替案はあんのか」
「代替案の意味について説明を要――」
「代わりに今から世界中の人間を皆“美味しい”とやらに出来る腹案があるかって聞いてんだよォ!!!」
床に染み渡る水滴が、湯船に張る温水が波紋を立てた。
壁が軋み、空間は
一切変わらないのは、クオリアとロベリアの表情くらいだった。
「それが、あなたと“対話”する目的だ」
「あ?」
「あなたと、またロベリアと、“美味しい”がより多い世界とは何かを、“話、し、たい”」
「要は、何の代替案も無く、でも、なんとなーく気に入らないから、“虹の麓”を邪魔しようって考えな訳だな?」
かのハルトのように嘘としての“怒り”ではなく、心から心が剥き出しになったどす黒い溶岩の様な感情。
しかし、
「で? さっきから何黙ってんだよロベリア。俺が不審者の変態みたいになってまで、風呂場にまで来た意味分かってんだろ」
「……ええ」
ロベリアは無表情で頷いた。
「ちゃんとした返事って奴を、聞きに来たんでしょ。何だかんだで
「まあ口ではどうこう言っても、体って奴は正直だ。だからてめぇは俺と連携してキルプロを返り討ちにして、そして今このローカルホストを“虹の麓”の中心にしようと動いてくれてる訳なんだよな」
「説明を要請する。ローカルホストを“虹の麓”の中心にするとは、どのような意味か」
そして答えたのは、腕組をしていたロベリアだった。
「“虹の麓”……つまり“
「膨大な魔力。仮説。それが霊脈に当たるという事か」
「ええ。霊脈を常に漂わせているこのローカルホストは、“
まあ、
「あなたは、ローカルホストを“虹の麓”の中心とするために、どのような活動をしようとしていたのか」
「……」
ロベリアは口を開こうとして躊躇った。そうしている間に、クオリアのCPUは演算を推し進める。
朝、スピリトとラックと一同に会した時の事。
ロベリアは去る直前、こんな事を口にした。
『ローカルホストから避難の準備も進めるべきだよ』
この言葉を話すために、朝、スピリトと鉢合わせしてまでラックに会いに行ったことだけは分かった。あの朝の、ロベリアの目的はこの提案をするためのものだという事は、クオリアには読み取れていた。
そこから、仮説が繰り広げられる。
「仮説。あなたは、ラックに全住民の避難を要請していた。それが、ローカルホストを“虹の麓”の中心にする事と繋がっているのか」
観念した様に、ロベリアは目を瞑る。
「……世界規模での発動の時、“
「生命活動の停止に何故つながるのか」
「
「肯定。その情報は登録されている」
「それと同じことが起きるって訳。強すぎる魔力が、人間にとって猛毒として作用する。“
「それを一番の目的として、あなたは全住民の避難を提案したのか」
「……“正統派”が何か手を打ってきた時の為に、っていうのも嘘じゃないんだよ」
このローカルホストに来た本当の理由を、ロベリアが話す。後ろめたいとは感じているが、ロベリアは目を逸らすことはない。
ちゃんとクオリアにインプットしてもらおうという意識が見られた。
「何をペラペラ喋ってやがんだ」
だがその態度が、暗黙の守秘義務を破られた事が
狐面の向こうで眉が振動したのを、クオリアだけでなくロベリアも感じ取った。
だが今度ははぐらかすように、諦めたような笑みでロベリアは見返すのだった。
「どーせどこかでバレてたよ。クオリア君、頭の良さは世界一だから」
「否定。
「まだもう少し人間の常識を学ぶ必要があるかもだけどね」
フン、と小さく声が仮面の向こうから聞こえた。
「逆に俺はこういう心理戦は得意じゃねえからな。じゃあボロを出す前に、しっかり返事を聞いておこうか――“虹の麓”、ラヴの目指した優しい世界、てめぇも創るよな? ラヴの一番の親友さんよ」
本題に入った。
もう煙に巻くことは許されない。曖昧に先送りにすることも許されない。
返事を聞くまで、
クオリアも、それ以上二人の間に入る事はしなかった。
人工知能の如く、即座に最適解となる値を返す事はしない。
人間として、ただ待つ。
クオリアが用意した服を纏い、座り込んで天井を見上げ、まるでラヴが降りてくるのを願うかのように寂しい目線を送るロベリアの言葉を待つ。
ロベリアは、目を瞑った。
ラヴに、何かを詫びたように。
「もう少し、みんなと考える」
雨が叩く音が、一瞬だけ弱まった。
「あ?」
思いもよらなかった返答に
「“虹の麓”、クオリアは否定したけど、私は正直今でも完全に否定はしてない。あの笑顔に溢れた世界こそが、私の理想の世界だっていう考えは、今でも捨てきれない」
「なんでだ。だったら」
「でも、やっぱり違うと言っている自分もいる」
ロベリアが青色の眼を、頭ごと動かす。
「何が“違う”のか。私には分からない」
自分の
「“虹の麓”を実行するなら、私はこの疑問を解決してからにしたい。その後で、私也の答えって奴を出したい。丁度いい事にさ、一緒に考えてくれる弟みたいな奴とか、本当の妹とか、割といるからさ」
「……協力要請を受諾する。ロベリア。“よろし、くお願い、いたします”」
「あはは、一ヶ月前のサンドボックスの飯屋を思い出すねえ。“よろしくお願いします”ってね」
一ヶ月前、ロベリアがクオリアに“握手”を教えた時の様に。
今度はクオリアがロベリアに、共同で考える事を教えた上で、“よろしくお願いします”が交わされたのだった。
しかし、クオリアもロベリアも
同時に、二つの視線が、立ち尽くすだけの雨具へ向けられた。
「ねえ、
「……」
「だって、私の知らないラヴを君は知ってるから。ラヴが目指した世界と、君が目指した世界は、多分相当近いから」
「……」
「だけど、それを為す手段ってさ、本当に“虹の麓”だけなのかな」
「……」
「……私も正直、ここまで君を巻き込んで進んじゃったのは謝る。ごめん。今更かもしれないけどさ、もっと根本的な所から私達、考える必要があると思――」
「――“美味しい”とか、“心”とか、“対話”とか、耳障りのいい曖昧な言葉で、悲惨な現実解決から目を逸らし、先延ばしにする。そして都合の良いように聴衆をマインドコントロールする。それが何だか知ってるか?」
クオリアも、ロベリアも、心臓を貫かれたかと思った。
星も貫通してしまいそうな矢の如く、
「“宗教”だよ」
疾風。
そしてだらんと下げた両腕とは対照的な、全身全霊の殺気――。
「てめぇも、“晴天教会”のクソ共と同じだ、心大好き野郎」
『ドラゴン』
光に、クオリアとロベリアは一瞬視界を奪われた。
空間を一層するほどの眩さと同時、神秘さを伺わせる声が噴き出した。
「仕方ねえ。クオリア。てめぇは潰す」
踏ん切りをつけた様に呟く
“白龍”。
あのキルプロが駆っていた
「状況、分析……」
人の面影なんてない筈の、魔物。
だが溢れる魔力反応は、間違いなく明朗快活な一人の少女を描写していた。
そしてそれは、腕で風を防ぐロベリアも感じ取っていた。
「この龍……“ラヴ”!?」
「ラヴが唯一俺に遺したものだ。あの子がやり残したこと、成し遂げるためのな」
散々暴れ回った白龍は、最後に
そして後ろから、抱きしめる。
「肉体の変化を、認識……!」
直後――ハルトの雨具に隠匿された肉体から、天文学的なエネルギーの変化を感じ取った。
古代魔石“ドラゴン”。
そのベールが、今まさに目前で掃われる。
「
そして。
同時、遠雷の瞬き。
未だ匿名を決め込む姿を照らした。
「頭いいんなら忘れてねえ筈だろ。俺は確かに言ったぜ。俺の邪魔をするなら容赦はしねぇと」
「
ロベリアがクオリアの前に出ようとしたが、それを予測していたかのようにロベリアの前にクオリアが押し出る。
相対す形となったクオリアは、戦意十分の“敵”へ、返答を出力した。
「肯定。“邪魔”と定義される行動は実行する」
「そうかい。じゃあ、俺の敵と見定めた上で――」
そして、意を決したような言葉が狐面の中から零れる。
「死ね」
その右掌が、クオリアに直撃することは無かった。
予測通りの軌道から、顔をずらして交わしたのだった。
クオリアの右頬に切傷が出来る。
基本属性“風”も、スキルも発動していないただの突き。
一切の魔力も無いにも関わらず、ただ突き速さのみで真空波を僅かながらに産み出したのだ。
頬から滴る血は、クオリアにとっては予測外の出来事だ。
だがその結果をフィードバックするよりも先に、声に出して出力すべき事があった。
「あなたを、“敵”とは定義しない」
「……あ?」
雷鳴が遅れてやってきたのは、その時だった。
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