第259話 人工知能、背伸びできない僕は、キミの為に何ができるのかな

『さっきからすごい、不安で不安で仕方ないって顔してますよ』


 ……そういえば、最初にラヴにあった時と、同じことを言われた。

 それに気づいた瞬間、一瞬呼吸が止まった。

 まるで化けて出てきたラヴに、説教されているような気分だった。


「もし“虹の麓”が全規模で実現した場合、スピリトも“美味しい”を喪失する事になる。あなたはそれを、望んでいない」

「……何事も、妥協ってものがあるんだよ」

「しかしあなたは、その妥協に定義される選択を、望んでいない」

「じゃあクオリア君は、その最適解を持っているのかな……?」

「その最適解は、現在算出不可能だ」

「だったら……!」

「だから、これからも、あなたと一緒に演算する事を、要求する」

「……」


 未だ全裸のロベリアを前にして、顔面を全てタオルで隠しながらも、両肩でぎこちない呼吸を繰り広げるクオリア。だがその色香の中でも、クオリアはクオリアとしての演算を展開するのだった。

 きっとそのタオルの下で、真っすぐロベリアを見ているのだろう。

 “一緒に考えたい”という思いは、真っすぐロベリアにぶつけてきている。


「あなたが自分クオリアに付与した守衛騎士団“ハローワールド”の役割は、“美味しい”を創る事。その手段は、戦闘行為による防衛に限らない」

「……その“美味しい”創る手段が、もう見つかったんだよ」

「否決。それはあなたの反応から、虚構と判断される」

「虚構で、いいじゃん……」

「あなたの反応、特に、“苦しい”と定義される表情から、虚構と判断される」


 タオル越しに、そんな所まで見えていたのだ。

 必死にロベリアの乳白色の肌の仮想演算を圧しとどめながら、ロベリアの挙動を、ロベリアの表情を、ロベリアの心を必死に読んでいたのだ。


「虚構で……いいのに」


 そうやって、ロベリアは自分に言い聞かせる事しか出来ない。

 間違っていることが分かっていて、顔をずっと顰めていたなんて。


「また、自分クオリアが認識してきた人間の中で、“美味しい”の事を、心の事を、世界の事を最も演算しているあなただ。だから、あなたがそのような“妥協”の解を出す事に、非常に不快感を覚えるのは、当然の計算結果と判断できる」

「……」


 ロベリアの背中に、重荷がある。

 考えたいように世界を考えると、望む様に世界を望むとその重荷は、ロベリアの背中で更に暗く圧し掛かってくる。

 思わず、目を瞑ってしまう。

 この世界は、直視するには、重すぎる。


「“一人に、させる、つも、りはない”」


 何かが、ロベリアの濡れた掌を取った。

 “握手”。

 いつかロベリアがそうしたように、クオリアも同じように手を繋げてきた。

 ――それこそが、クオリアが、今ロベリアに出来ること。


「“美味しい、を守るた、めに、美味しい、から一番遠い、存在になっては、だめ”」


 クオリアの左手から、5Dプリントの優しい、青白い光が溢れた。

 まるで、これまでよく頑張った、と軌跡をねぎらう様に。

 クオリアという心が、雨に打たれたようなロベリアの体を抱きしめる様に。

 その光は、ロベリアの全身を纏う様にして、白い服として具現化した。


「“あなたも、自分クオリアも、皆も、美味しい、になる、方法を、それを――”」


 同時、クオリアの顔面を覆っていた布が同じく5Dプリントの光に塗れて、消滅する。

 白く映えた、少し乱れた髪が、露わになる。

 最初からずっとロベリアを見据えていた、純粋な眼差しが、ようやくロベリアの瞳と合う。

 

 唇が、不器用に動く。

 一瞬ラヴが乗り移ったかのようなその少年は、しかしラヴとは正反対のぎこちなさで、ロベリアが背負う重荷を解く魔法の言葉を口にした。


「”皆、で、一緒に、考え、よう”」

「……クオリア君」


 目前で、今を必死に生きようとする光は、かつては機械だった。

 前世では、人工知能という、機械だった。

 この世界の事を知らない、赤ん坊も同然の存在とも思っていた。

 そんな彼が、世界について学習していくのが、どこか新鮮に感じていた。

 

 しかし、見ていたのはロベリアだけでなかった。

 こっちから見ているつもりが、ずっとロベリアの方が見られていたのだ。

 ロベリアの頑張る姿を、影ながら見守られていたのだ。


「“大丈夫、あなた、は、正しかった”」

 

 爽快にゲロマズなリンゴジュースを差し出しては。

 一緒に地図を広げて、“世界”とか“心”について語り合っては。

 無垢に笑って、笑って、笑って笑って笑って笑って笑っては。

 ――いつだって、十字架の彼方からさえ、背中を押してくれていたラヴのように。


 クオリアは、決して妥協を許さない。

 そして、ロベリアが重荷に潰されない様に、例え世界とだって戦う。

 ロベリアとラヴが願った、“美味しい顔笑顔”に溢れた明日を叶えるために。


「“今度は、自分クオリアが、あなたに、よろし、くお願い、します”」


 おはよう、世界ハローワールド。 

 そういえば、ラヴがその名を与えた名前は、そんな眩しい笑顔の明日を迎えられるように、という願いからだったのを、思い出した。

 気づいたら、ロベリアは笑顔になっていた。


「あなたの“美味しい”を、認識」

「……そっか。君が言うんだったら、間違いないね」


 心からの、笑顔だったと思う。

 ちょっと今は、クオリアの事を直視できないけれど――。


「……!?」


 影。

 ロベリアは、はっと小窓の方を見た。

 クオリアはその前から、その存在に気付いていたらしい。


雨男アノニマスを認識」

「なんだ。心大好き野郎も一緒か」


 人を象った雨具が、小窓の縁から降りた。

 ロベリアは知っている。

 狐面に囲われていて面影は分からないけれども、彼こそがラヴが見つけた“いい男”。


雨男アノニマス……」

「よう。返事を聞きに来たぞ。ラヴの夢、叶えるぞ」


 止みかけていた雨足が、また強くなった。

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