第258話 夢追少女、背伸びしすぎた君は、キミの夢を忘れてしまうのかな

 悪戯心が調味料程度に混ざった、甘い声。

 何も見えない筈のクオリアが、更に震えだす。


「それは……誤って……エラー……イメージを、破棄……あなたのイメージを破棄……破棄不可……」


 ロベリアが手を伸ばすと、慌ててクオリアは横にずれる。

 転びそうになる。元人工知能らしくない、純朴な少年の反応だ。


「今のあなたに、触れる事は、あなたに、不利益な損害を……!」


 碧眼を、僅かに細める。


「優しいね、クオリア君。サンドボックスの血を継いでいるのが信じられないくらい。あの血の通りに傍若無人で居てくれたら、私、こんなに悩まなくて済んだのに」

自分クオリアは……あなたと……世界について話を……」

「もう、そんな話をする必要は無いんだよ……だって、もうラヴも私もあなたも、願った世界がそこまで来てるから」

「……“虹の麓”を意味しているのか」


 ゆっくり頷いた。


「一ヶ月前、クオリア君はアイナちゃんが死にそうな時、本当に辛そうな顔をしてたよね」

「肯定」


 ロベリアは一ヶ月前、壊れた少年を見た。

 あの時、本当に自分よりも大事なものが消えてしまう恐怖に壊れた少年を見た。

 いつもは理路整然としていたクオリアが、あの瞬間だけは世界の誰よりも赤子の様に、支離滅裂に壊れていた。


「絶対に、その時思った筈だよ。誰も死なない、優しい世界ならいいのに。って」

「……状況、分析……」


 いつものクオリアなら、肯定か、否定を必ず返答する筈だ。

 ただ思考するだけで何も無かったという事は、少なくとも否定はしきれないという事だ。


「勿論、“虹の麓”に覆われた世界でも、いつかは病気で死ぬ。私もスピリトも、アイナちゃんも君も。私の母の様に」

「……」

「でも、悪い奴らに突然ナイフで刺されることは無くなる。“虹の麓”なら、明日くるかもしれない死神に怯えることなく、何も考えずに生を全う出来て、天寿の死を受け入れる事が出来る。それまでの生の期間は、絶対的に互いが互いを助け合う精神の中で、ずっと笑顔で居続ける事が出来る」

「……しかし、それは人間の精神状態に異常が生じている」

「異常だって判断するのは、所詮現在の常識からしか見てないからだよ。確かに喜怒哀楽の内の、怒と哀は無くなる。その状態を、今の私達は気持ち悪いと感じちゃう。でも、その住民になっちゃえば、そんな違和感は所詮幻想だったって、笑って吐き捨てられる。そうだよ。きっと」


 少し体が冷えてきた。

 湯船から出て、ずぶ濡れのまま、一糸まとわぬ姿で佇んでいるせいだ。

 でもこの冷えていく感覚は、どこか気持ちよかったけど、早く温めて欲しかった。


 近づいた。

 クオリアは焦ったようだ。


「エラー、やはり、あなたのパージされた状態が、エラー、エラー……」


 顔ぐるぐる巻きのクオリアが再度情けない声を出す。でもその情けない声が、どこかロベリアの気持ちを落ち着かせてくれた。


「ね。クオリア君。もう“演算”する必要無いでしょう。どっちがいいか、クオリア君なら分かるでしょ?」

「……自分クオリア、は、エラー、あなた、は」

「“虹の麓”なら、アイナちゃんが酷い目に遭う事も、ましてや殺される事も無い。エスを初めとした本来生まれてはいけない存在魔術人形が量産される事も無ければ、今回みたいな宗教同士の戦いが起きる事も無い。何も、恐れる事、無くなるじゃん」

「エラー……エラー……それは、誤って――」


 でも、それ以上は言って欲しくなかった。

 気づけば、拳を強く握っていた。

 冷えていく体の中で、一か所だけ熱くなり始めた。

 心臓が、何故か鼓動を上げている。

 掌一杯に広がる左の膨らみから、鼓動が聞こえる。

 恥ずかしいからだろうか。

 否、怖いからだ。


「だから……だから……これでいい、筈、なんだよ……」


 半年前のあの日、大粒の雨の中でラヴだったものが濡れていくのに、何もできなかった自分が。

 一ヶ月前のあの日、大咀爵ヴォイトへ挑みゆくクオリアの背中を、押す事しか出来なかった自分が。

 これからのいつか、悲劇に巻き込まれるであろうスピリトへ、間に合わないかもしれない自分が。


 覚悟していた筈なのに。

 想像していた筈なのに。

 その恐怖ごと、心臓が飛び出るくらいに、反響する浴場の中心で叫ぶ。


「私が勝手に頑張って、眼に届くところにいて欲しいからってスピリトを危うい場所に連れていく事も、ましてやスピリトを路頭に迷わせることも無い!! 何より!! 君に『死んで』って言う事だって無い!! ラヴみたいに手の届かない場所へ行っちゃうことも無い!! 十字架を増やす事だってもう無い!!」


 肺の中の空気を全て吐き出していた事に気付いて、ロベリアは大きく息を吸い込んだ。

 振り子の様にまた息を吐いて、吸って、吐いて、吸って、その内収束して。

 小さく呟いた。


「ほんと、こんな気持ちになるんなら、なんで守衛騎士として、クオリア君連れてきちゃったんだろ……」


 最初は、こんなつもりではなかった。

 アロウズとの決闘でクオリアを初めめて見た時は、こんな思いを抱くつもりではなかった。

 いつかは自分の理想の為に、死と隣り合わせの場所にだって、行ってもらうつもりだった。


 しかしいざ、大咀爵ヴォイドに向かう時、『世界の為に死んで』と言った時。

 帰ってきたクオリアが、心無き漆黒の破壊兵器として帰ってきてしまった時。

 クオリアのいない世界が、とても恐ろしく感じた。

 またラヴを失う衝撃を受けてしまうかと思った。


 それに気づいた時、自省する様にロベリアが呟く。


「ああ、もう、そうか。これがヴィルジンあの男の言ってた、私がやってることは所詮、“ままごと”って事か」

 

 いつしか、クオリアを自分の手足の様に動く騎士と、見做せなくなっていた。

 心臓と同じような家族に近い存在だと、思う様になってしまった。


 もしラヴが生きていたら、紹介だってしただろう。

 『いい男、見つけたよ』って言ってしまえるような存在になっていた。


「……でも、もういいんだよ。“ままごと”で、良かったんだ」


 反射光に満ちた天井を、ロベリアは新緑の眼で見上げる。

 三回瞬きして、瞼を閉じる。


「だから、もう、いいんだよ。クオリア君。君はもう、戦わなくていいんだよ。守衛騎士団“ハローワールド”はもう終わり」


 勝手なことを言っているのは、充分、分かってる。

 だから、謝る事も忘れない。


「ごめんね。お姉さん、クオリア君の事いっぱい振り回しちゃった……でも、騎士団もいらない世界なんだよ。だって笑顔を奪う脅威もいないんだから。それ、なんて、素晴らしい世界なんだって思わない?」

「……状況分析」

「……だからクオリア君も肩の力抜いて、さ。もう怖い物なんてないんだぞ。だって人間って、動物や魔物とは違って、本来は互いに助け合って、笑顔になれる生物なんだからさ。あるべき姿に、私達は戻れるんだよ」


 ロベリアは両手を前に差し出して、待ち構えている。


「さ、おいで」


 見えずとも、クオリアはロベリアが今どのような体勢か分かっている筈だ。この体勢が、抱き着いてくるのを待っている構えなのは分かっている筈だ。


「その新しい世界で、クオリア君にはずっと隣で笑っててほしいんだ」

 

 もう、どこにも行かせない。はぐれさせない。

 世界の片隅で、こっそり最強そのものになんてさせない。

 背伸びしすぎた自分の“ままごと”に、つき合わせる事も無い。

 ラヴが描いた夢を、ずっと覚えさせている事も無い。

 あの死んだような日常という楽園で、ずっと――。


「“だ、め!”」


 しかし、クオリアが返した反応は、まるで言葉を覚えたての駄々っ子のようだった。

 ロベリアの裸に困惑しながらも、顔に巻いたタオルを外すことなく、両肩で呼吸をしながらも必死に抵抗の意図を示していた。

 今のロベリアが近づく事も。

 今のロベリアの最適解も。

 たじろぎながらも、背伸びできない等身大のたどたどしさで、クオリアは否定してきた。


「クオリア君……」


 ――いつか、サンドボックス領から王都に向かう馬車の中で、そういえばこんな質問をした。

 『もし私が“誤っている”行動や命令をしたら、君はどうする?』


 どこまでも、クオリアは真面目だった。

 真面目に、“誤っている”行動や命令を、全身全霊で否定する。


「……やはり……あなた、からは、“虹の麓”を肯定する値が見られない……また、“おっぱいに、負け、る奴は、人生に、負ける!”……“だから、だめ、だよ!”、クオリアに、これ以上近づく場合は、服を着る事を要請する。“ちゃん、と話、をしよ、う”」


 心のどこかで、ロベリアは自嘲した。

 今、よっぽど自分よりもクオリアという少年は、人間らしい、と。

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