第256話 人工知能、『日の名残り』に微睡む少女を見る


 それは、湯船の微睡みが見せた、まだ世界がいつか優しくなると信じていた頃の話。


『ラヴー……私もうリンゴジュース飽きたよぉ』

『嫌どすえ。私が作るジュースはリンゴジュースのみどすえ』

『なに地方弁にして誤魔化そうとしてんのさ』

『でしょでしょーうまいでしょー』

『方言もリンゴジュースもゲロマズだって』


 ――ラヴが来てから一年の月日が流れていたた。

 中々作れる料理のレパートリーが増えないメイドの差し出すリンゴジュースに手を付けることなく、ロベリアはテーブルの上でぐったりしていた。


『じゃあ私レモネード作ってあげるから』

『えっ、意外……そんなロベリア姫、そんなお洒落なの作れたんだ。お姉さん感激』

『いや、私の方がお姉さんだから。これに参ったら私の事はロベリアお姉さんとお呼びなさい』


 数分して、コト、とラヴの前にレモネードが置かれた。


『むむむっ!!』


 瓶の中から、レモンで出来た飲料をラヴが飲み干す。

 目が覚めた様に、眼鏡の奥の瞳が見開いた。


『ぷはぁー、初にしては、中々やるじゃないですか!』

『でしょでしょーうまいでしょー』

『でも私のリンゴジュースの方がゲロ美味うまですね』

『うわ、素直じゃない』

『生憎、私は忖度なるものを学習しておりませんので』

『見栄っ張りって性格はしっかり学習してんじゃんね』

『ってか、ってかなのですよ!』


 バンバン、と少し乱暴にラヴがテーブルを叩いた。呼応してリンゴジュースがグラスの中でゆりかごの様に揺れる。


『最近引き籠り卒業して、外に“勉強”に行ってるのはいいんですけど、ちょっとは浮いた“女の子の話”聞きたいですー』

『女の子の話?』

『姫ももう16なんだから。恋の一つや二つ、浮いた話があるでしょうに』

『恋ぃぃ? んーむ』

『まあ記憶探ってる時点で、彼氏候補すらダメみたいですね』

『んな事言われてもなー。あまりその視点で世界を研究してなかったっつーか』

『姫あれですよね。距離感狂ってるからから、知らぬ間に男子からの恋心集めちゃってそうですよね。しかし姫は気付かず、儚い片思いを量産するだけという。悪女め』

『いや距離感ゼロのラヴに言われたかないんだけど! あ、でも“コイツ”だけは無理って奴はいるねぇ。最近私の彼女面して何か隣に並んで、勝手にエスコート始めてる奴』

『あー、私も見た! アロウズって奴ですか。あの勘違い野郎は無理ですね。絶対彼氏にしたらいかんパターンとして学習するべきですね』

『そうそう無理無理かたつむり、生理的に無理! しかも聞いた話じゃ弟をイジメて何か悦に浸ってるみたいだよ』

『うわー……世の中にはいるもんですね。舞台だったら序盤で主人公の踏み台になりそうな勘違い陰湿イジメ小物野郎が』

『でも私、正直こんな他人事で居てはいけないと思うのよ。その弟について……そうやって虐げられてる人は、貴族にだっているんだよね』


 ちなみに一年後、そのアロウズという勘違い陰湿イジメ小物野郎に虐められている弟を、まさか自身の弟の様に扱うなんてロベリアは知らない。


『逆にラヴはそういう人、いないの?』

『え?』


 ロベリアがラヴを見上げる。テーブルに座る主の隣で、まるで踊る様に快活だったメイドは僅かに、その動きを止めた。

 しかし直ぐに、どこか自虐的な笑顔になる。


『姫ぇ~、私は魔術人形ですよ?』

『だから何さ』

『勉強不足ですねぇ』


 一体何がロベリアの知識から欠けているのか。ラヴはピンクの眼鏡を直しつつ、先程までの明朗な雰囲気から一転、諭すように伝えるのだった。


『魔術人形は、肉体的には人間の様に成長しないという点に目を瞑れば変わりません――加えて、生殖行為が行えないという補足が入ってきますが』

『生殖行為が、行えない?』

『要は、子供を産むことが出来ない、って訳でしてな』


 両肩を竦め、寂しそうな雰囲気に拍車をかける。


『一時の寂しさなら埋められるかもしれません。娼婦用の魔術人形も現在進行形で開発中って聞きますしねぇ。でも一生涯のパートナーになる事は……』

『女性だからって、子供が出来るかどうかってそんなに大事かな』


 何気ない声だった。それだけ、ロベリアの本音が乗っていた。


『確かに魔術人形は子供を産めないかもしれないけどさ。でも私ら、殆ど家族みたいなもんじゃん。そんな風になれるラヴなら、恋だってきっと出来るし、誰かを愛する事だって出来ると思うのよ。子供を産めないって事の辛さは、正直難しい。でもだからって、恋も愛もしちゃいけないって事は無いと私は思うな』

『姫……』

『ラヴらしくないぞ。そんな風に諦めちゃうなんて』


 どこか陰のあったラブの表情が、ふっといつもの緩い顔に戻った。


『ロベリア姫に励まされる日が来るとは、私もまだまだ、まだまだですなぁ』

『じゃあまだまだな私に教えて下さるかしら? 彼氏候補いないの?』

『しかし彼氏にしてもいい人は……んーむ』

『まあ記憶を探してる時点で、彼氏候補すら居なさそうだね』

『やり返されました、んーむ』

『やり返したった、むーん』


 腕組をしてふんぞり返るロベリア。だがそうして天井を見上げている内に、僅かに腹落ちしないような複雑さが顔に滲み出るのだった。


『誰かを好きになるってこんなに難しいのにさ。誰かに体を預けるなんてこんなに怖いのにさ。人によっちゃ、朝飯食べるくらいの勢いで恋人作るんだよね』

『ああ、ルート王女ですか』


 ロベリアが王宮に行きたくない理由が、ルートだった。

 ロベリアを見つける度に、取り巻きを使ってロベリアを虐めてくるからだ。別荘にいるうちは、ルートからやってくることは無いだけに助かっている。


『にしても、あんなに姫を傷つける様なろくでなしを、男達もよく好きになってますよ』

『顔だけはいいからね。あと第一王女だし』

『もしかしたらルート王女が、姫の最大の敵に回るかもですよ』


 ロベリアにもそれは分かっていた。

 きっとルートが望む理想の世界と、ロベリアが望む誰もが笑顔の世界は、天国と地獄くらいに違う。


『……その時は容赦しないよ。怖いなんて言ってられないよ。ユビキタスみたいに立ち向かう。それに、あんな風に、自分の笑顔の為に、自分の体を使うようなことは絶対しない!』

『一年前までは私が嫁いでスピリト姫を養うとか言ってたくせにー』

『うっさいわ』


 これ以上はルートの話をしたくなかったのか、ロベリアが話題を変えた。


『そういえば、私、もうすぐ暫くこの家を空けるかもしれない』

『暫くってどれくらいですか?』

『半年くらい』

『あー……前行ってたヴィルジン国王との公務の件ですか』

『カーネル公爵おじさんも着いてくるわ。まあ短期留学も兼ねててね。行く場所が結構学べそうなところでさ。私がこの先どうやって世界に立ち向かうべきかのヒントを得られるかもしれない』

『えー……でも私暇になりますなぁ』

『だからさ、ラヴ』


 思えば、こんな提案をしなければ。

 ラヴきっと、まだ“現実いま”で笑っていられたのかもしれない。

 そんな後悔が、心地よい名残の夢を薄暗く包み始めた。

 

『ラヴもこの機会に、世界を旅してみたら?』


 その先に待ち受ける“末路”に想いを馳せる事も無く、やっぱり記憶の中のラヴは笑顔だった。

 屈託のない、晴天が顔に映えていた。


『いいですね! ロベリア姫が眼を引ん剝くくらいに世界について、見てきてやりますよ』

『私も今回の公務や留学を通して、世界について見てくるし』

『それに、姫が嫉妬しまくっちゃう男も見つけてこようかなー』

『おーい、趣旨変わってんぞ』

『変わってないですよぉ。私やロベリア姫と一緒に、人間も獣人も、そして私達魔術人形も笑顔にする、そんな事を真剣に考えてくれる……伝記に乗るような、舞台の主人公の様な最高の人を見つけてくるんですよ』


 そうそう、とラヴが指を立ててロベリアの視線を誘導する。


『世界中の人間が笑顔になる、“”。普通は辿り着けない場所。でも、そんなバカみたいな夢を目指せる、勇者たちの集まりを創ろうって話したじゃないですか』

『その最高の人を、足がかりにするんだね』

『そうです! あと、名前もこの前思いつきました。皆で笑顔を創る“きらーん”な秘密結社の名前を』

『どんな?』


 最高の名前を思いついたと言わんばかりに、どや顔でラブはその秘密結社の名前を口にしたのだった。


『“”って名前です。皆が今日も世界に向かって笑顔で『おはよう』って出来る。そんな世界にしたくでですね――』

『めっちゃいい名前じゃん!』

『……』

『……ラヴ?』

『……』

「……」


 湯面の波紋の向こうにいたのは、ラヴではなかった。

 微睡む半開きの眼を擦る、ロベリア自身だった。


 暖かい幻を見ていた。

 それが終わっただけの、予定調和だ。


「……」


 透明の表面に映る、情けない自分。

 妹との論争から逃げて、気分転換と称してユニットバスに浸かっていた。 

 そんな自分をラヴが見たら、なんと小言を言われるだろうか。


「――ロベリアの覚醒を認識」


 ……多分、こんな事は言わないだろう。

 ましてや、顔面を何重もタオルでターバンの様にぐるぐる巻きにした、ある意味で変態な外見は取らないだろう。


 しかし、このクオリアという少年は真面目なのだ。

 真面目に、あのラヴと同じように、人々の笑顔の為に生きているのだ。


「……本当に、クオリア君を相手にしてるとペースがおかしくなるわ」

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