第257話 人工知能、誘われる。

 一応、ロベリアは全裸だ。生まれたままの姿で、ユニットバスに揺蕩っている。

 しかし異性であるクオリアを前にして、どうにも隠す気が起きない。


 勿論この状態で、ロベリアも恥じらいを感じていない訳ではないし、そういう趣味がある訳でもない。


「……話に聞いてたけど、覗き防止の為に人工的な肺を創り出しちゃうとか」


 ただ、流石に顔面全てをターバンの様に巻いて、視界どころか呼吸する口さえ塞いでしまっているクオリアを見て、腹を抱えて笑わない訳にはいかなかった。

 呼吸する口が無いのに、何の問題も無く5Dプリントで体中に酸素を送っている状態にしてしまうのが面白い。


「理解を要請する。あなたのパージされた状態は、クオリアからは視覚情報として取得してはいけない」

「ふっふっふふふふ……あー、面白い……クオリア君ってさ、何でこんな面白いのかな。本当ほんッとに飽きない」


 笑い声が、反響した。

 久々に、人目も憚らず大笑いした。

 そんなロベリアとは、クオリアは正反対の表情をしているのだろう。

 何重ものタオルに隠した表情で、きっと淡々としているのだろう。

 実際、こんな真面目な話が飛んできた。


「ロベリア、説明を要請する。あなたが定義する、“人間も獣人も魔術人形も笑顔で明日を迎えられる世界”とは何か」

「……質問の意味がないでしょ。そのままの意味だよ」

自分クオリアは、更に詳細化ブレイクダウンを要求する」


 きっと、自分クオリアは無機質ながら、真剣な眼をしている。

 しかしロベリアは明後日の方向を向いたまま、湯船から出ようともしない。


 だって。

 もうそんな今更な事、聞きたくなかったから。


「あなたと、その演算を実行したい。それは、“大事な話”に分類される。だから、浴場にて自分クオリアは――」

「――一応言っておくとね、クオリア君。こういう風呂は、大事な話をする場所じゃないんだよ」


 若干の嘲笑も含んだ乾いた声で、ロベリアが横槍を入れる。


「体の汚れを取って、湯船に浸かって疲れをいやすか……それか、女性と男性が裸で抱き合う場所なんだよ」

「否決する。後者の用途は、現在の状況には属さない。繰り返す。あなたのパージされた状態の資格情報を取得する事は、禁則事項に抵触する」

「前に言わなかったっけ? そのぐるぐる巻きが無くって、眼を瞑っていただけの時。裸の私達を見ても、誰も責めないって」


 ロベリアが水面から出てきた時の水飛沫だけが、空間を支配していた。

 体が一つ、湯水を押しのける音。

 後退る足音。


 肌を、滑らかに水が伝う。

 小さな光となって、雫となって伝う。

 逆上せたのか、項垂れる格好になっていたロベリアの髪を伝う。

 そして僅かな吐息と共に、ぴちょん、ぴちょんと波紋が連続する。


「クオリア君」


 無我で、そっと呼んだ。

 出来のいい、弟の様に感じていた。

 たった一ヶ月の付き合いなのに、大分前から一緒に居た気がする。

 もしかしたら自分も前世は、地球という場所で、クオリアと一緒にいたのかもしれない。

 自分の口元が緩んだのは、そんな訳在り得ないか、という自嘲だろうか。

 もしかしたら、“”という、幻想に縋りたいだけだから、だろうか。


 湯船の波紋が、反射する光に陰陽を着ける。

 揺れる弱い光は、律儀に頭部をタオルで包んだ少年を照らしていた。

 ロベリアは火照った顔を真っすぐにする。

 クオリアの顔は見えない。

 でも、明らかに何かを感じ取って、揺れている。

 見たい。


 あの真面目で律儀で面白い顔を、もう一度。

 今度は、二度と離さないように。

 もう、“兵器回帰リターン”の承認なんてしないように。

 世界の為に、覚悟を持って旅立たさせないように。


「ねえ、クオリア君」


 ロベリアの白い右太腿が、ユニットバスを乗り越えた。

 クオリアのズボンに包まれた右脚が、一歩後ろに行く。

 ロベリアの柔らかい左太腿が、白い揺籠を乗り越えた。

 クオリアのズボンに包まれた左脚が、もう一歩後ろに行く。

 ロベリアの呼吸は、裸だというのに随分と落ち着いていた。

 クオリアの呼吸は、裸を見ていないのに随分と崩れていた。

 ロベリアの剥き出しの体は、驚くほど自然体だった。

 クオリアの服を着た体は、驚きに満ちてぎこちなかった。


 水滴は無機質に伝う。

 水滴は無関係に滴る。


 ここは静かだった。

 ずっと静かだった。

 戦争が隣り合わせという事を忘れるくらい、静かだった。


 水音塗れの静寂は。

 “こんな事”が、お似合いである事の合図だと思い込むには十分だった。


「え、エラー……」

「私は予測できるよ。君がその布の中でどんな顔をしてるか」

「ノイズが発生……あなたの……イメージが……」

「クオリア君、ちゃんと男の子だもんね。心、あるもんね。人間だもんね。人工知能って奴じゃないもんね」


 白に近い薄橙色の肌も。

 谷のように彫られた鎖骨も。

 濡れて日光に反射し、流動する綺麗な二つの膨らみも。

 肋骨が薄らと見え、中心に臍を添えた腹部も。 

 下腹部も。

 クオリアがタオルを取れば十全に見える位置にある。


 隠すつもりは一切ない。

 全て、この甘い声に乗せるつもりだ。

 だって。


「だからさ、ターバン脱いでさ、服も脱いじゃってさ……一緒に、入らない?」


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