第254話 人工知能、妹の苦悩を聞く


「……スイッチに来る途中で、アイナ、私に言ってたんだ。もしリーベが生きていたら、こんな事やあんな事を話したかったって……一ヶ月程度で、兄がゴーストになって暴れていたっていう傷が、完全に癒えるわけないのに」


 昼前。

 ベランダからローカルホストの街を一望しつつ、隣で座り込んでいたスピリトの呟きを聞いていた。アイナがハルトに心無い言葉を掛けられたと聞いて、真っ先にアイナの下に駆け寄ろうとしてくれたのだ。


「で、アイナは? 今はどうしてるの」

「エスと共に、食料を購入に街へ移動している。コネクトデバイスにより、アイナの情報は認識出来る」


 二人の左目には、街の中心地へと向かっているアイナとエスの位置情報ポイントが表示されていた。

 鼓膜に接しているコネクトデバイスが、網膜の内側に仲間の位置情報を流したのだ。


「……そこで引き籠らないだけ、あの子強いよね」

「しかし、非常に大きい影響を受けていたと認識……“心配、だよ”」


 ふと本音を零したクオリアだが、何かに没頭している方がアイナの気が紛れるのも確かだ。

 そう言い聞かせるクオリアに僅かな陰りを見たスピリトが、思わずこんな事を聞いた。


「君も着いていきたかったんじゃないの?」

「……自分クオリアには、更に重要度の高いタスクがある。それらと総合的に判断した場合、エスがアイナのフォローを実行し、自分はそのタスクを実行する事が最適解と判断した」

「……お姉ちゃんの事ね」

「肯定」


 はー、と空気を天へ吐き出しながら、スピリトは苦々しく罪悪感に眉を顰める。

 ロベリアが目を覚ました直後、スピリトとロベリアの間で言い争いがあったらしい。クオリアが駆け付けた時には、一時休憩という形で、ロベリアとスピリトは別々の場所にいた。


「……あんなにお姉ちゃん、体調悪いのに。起きて開口一番、私、お姉ちゃんの事お問い詰めちゃった。本当は“大丈夫?”って言いたいのにさ」

「それは、正常な挙動と判断する」

「……正常なの? これ」

「肯定。“家族”は、例え相手に不利益になると認識していても、その不利益な行動をしなければならない場合があるとラーニングしている。例として、あなたが、以前守衛騎士団“ハローワールド”の活動を制限した時があげられる」

「そう……たった一人の家族、お姉ちゃんの事になると、本当に色々やっちゃうのよ。剣術修行に行ったりだとか、お姉ちゃんプロデュースの騎士団を潰そうとしたりだとか……限界のお姉ちゃんを殴り飛ばしたり」


 力なく、スピリトが笑う。


「昔からやる事が極端でさ。王宮に来る前スラムでも、同年代の子供と書いたのに、お姉ちゃんと違って友達とかできなくてさ。いつも、私にはお姉ちゃんしかいなくってさ」

「あなたは、誤っていない。それが家族だ」


 青い瞳が、ただ淡々と言葉を紡いだだけのクオリアを向く。

 嘘のない、真正直な無表情だった。


「“家族”の為の行動について、ラーニングさせたのはあなただ。あなたは、私の師匠モデルだ……しかし、ロベリアを損傷させた行為だけは誤っている。以降のあなたの活動予測にフィードバックし、次回からは事前に止める」


 ふっ、とスピリトのあどけない顔が綻んだ。


「けれど、君のその優しさは、私は教えた記憶はないよ」

「……“優しさ”は……」


 シャットダウン時代から引き継がれたものだろうか。ただ破壊する事しかプログラミングされていない人型自律戦闘用アンドロイド“シャットダウン”に、そんなバグが備わっていたのだろうか。


「仮説。“優しさ”はアイナから、ラーニングした」


 ……しかし、確かに一つだけ言える事があるとすれば。

 この世界に転生して少しして、アロウズを排除しようとした時に、後ろから抱き着いてきた猫耳少女から“優しさ”が感染したのかもしれない。


「また、“家族”はアイナからもラーニングしている。正確には、アイナとリーベの二人から、ラーニングした」


 あぁ、とスピリトから声から漏れた。

 妹であるアイナの喪失故に王都を滅ぼそうとさえして、アイナとの再会故にそんな自分にブレーキをかけて、アイナへの希望故に全てに決着をつけて、最後にアイナへの愛情故に最後の最期までアイナの隣に居て、声を掛け続けた。

 そんなゴーストとしての存在を、荷電粒子ビームのように駆け抜けた獣人である。


「リーベから、ラーニングしている。“家族”でしか、出来ない“話”がある。そして仮説する。ロベリアが正しい解を得る為には、あなたしか出来ない“話”が決定的と判断する」

「……」

「しかしその為に、自分クオリアも、ロベリアと“話”をする。ロベリアと“背負っている世界”の話を実行する。それによって、ロベリアの演算の整理を実施する」


 未だどこか迷っているスピリトに、クオリアは一人の人間として声を掛けた。


「“大丈、夫。一緒に、皆、で、考え、話、そう”」

「……ふっ……ありがと。まさか弟子に励まされるとはね」


 僅かに、スピリトの唇から空気が噴き出た。『もう無理かもな』という、僅かにスピリトを包んでいた硬さの値が、消えた。

 代わりに、少しだけ“美味しい”の光明が見えたのだった。


「それにしても、本当にあのハルトって奴は酷いね。リーベは確かに許されない事をやったけどさ……」


 嘆息しながらスピリトが見た方向を、クオリアも追う。

 ラック侯爵の屋敷の入口。その芝生で、子供に聖書を読み聞かせていたフィールを視認した。

 唇の動き、その眼の動き、声の色。包み込むような雰囲気。

 きっと母親がいたら、あのような値が取得できたのかもしれない。


「あんな風に、獣人の子供にとっても希望となるような修道女もいるのにね」

「肯定」


 フィールの周りには、頭に犬や猫の耳が着いた獣人の少年少女も、心地よさそうに群がっていた。


「――それがあの人の魅力ですよ、クオリア君」


 その声は、ベランダの真下からしていた。

 スピリトはぎょっとしていたが、クオリアは予定調和の様に自分達の真下にいる“資源開発機構エヴァンジェリスト”のリーダーたる青年の名前を言い当てた。


「アジャイルを認識」


 クオリアがベランダから飛び降り、スピリトもそれに続く。目前に降り立った二人に、命一杯の驚きを示したようにアジャイルが両腕を開いて見せる。


「流石守衛騎士に、“聖剣聖”。すごい身体能力だ。私では確実に骨折しますよ」

自分クオリア身体能力スペックは非常に低く設定されている。“すごい身体能力”という定義は誤っている」

「中身の値なんてどうでもいいんですよ。二階から何事もなく飛び降りられるという事実が問題です……それにしても、あなた達も出くわしているのですね。未だ馬鹿みたいに根深い、獣人差別の現実に」

「盗み聞きなんて趣味が悪いわね」

「これは失礼。良く言われるんですよ。その地獄耳、気味が悪いとも」


 クオリアはアジャイルの挙動を観察する。

 どこか軽い雰囲気からは、しかしハルトの周りを渦巻いていたような嘘の値は取得できない。


「うちの部下にも、ウォーターフォールを初めとした獣人が何人かいるもので。“晴天教会”の愚行は嫌でも耳に入るのですよ。まあ、そんな閉じた考えだからこそ、晴天教会に支配されたこの世界は、2000年もの間歴史を停滞させていたのでしょう」


 霊脈をハイエナの様に狙うアジャイルを、クオリアは高く評価していない。しかし、来たるランサム公爵やルート教皇のリスクを考えると、このアジャイル含む“資源開発機構エヴァンジェリスト”達も、その最適解に組み込むには十分なリソースと捉える事が出来る。

 ハルトと違って嘘に塗れている訳ではないから、勘定に入れやすい。


「あなた達も、“げに素晴らしき晴天教会”の正統派、ランサムやルートへの対応協力を要請する」


 しかし、色褪せたにこやかさを保ったまま、無碍に、かつ即答で返された。

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