第253話 人工知能、嘘の塊と会話する②
ハルトという匿名の仮面。
これを引き剥がす斥力を、思わぬ方向から受けた。
猫耳を社会の重荷に感じない。そんなアイナという少女がそこにはいた。
……どこか、懐かしさを感じた。
銀髪眼鏡の魔術人形と、重なるものがあったからかもしれない。
「その声、やっぱりどこかで聞いた事があります……」
ラヴと同じ真っすぐで大きな瞳。
その二つが、ハルトという匿名の仮面の下を覗こうとしていた。
(ちょっと待ちやがれ……アイナと花屋で話した時は声色も変えていた筈だ……顔も隠していた筈だ……!)
しかし、その僅かな共通点をアイナは見出したに違いない。
クオリアでさえ未だ見抜けていない、“仮面”の下に僅かに漂う
「……最初は気のせいだと思ってました。あなたのような軽蔑すべき人の声、忘れる筈が無いのに。でも、やっぱり私、あなたとどこかで話してる……しかも最近」
(……駄目だ。こいつの疑問は崩れねぇ)
認めるしかない。
今、この場で一番リスクなのは、アイナだ。
「片腹痛い事を言ってくれるな……君の様な
ハルトらしくシラを切りながらも、清廉潔白なメイドに過ぎない筈の少女へ、警戒心を強めていく。
(……意外な所に、伏兵がいたな……見方によってはクオリアより厄介だぞ)
しかも、クオリアもハルトの中に生まれた動揺を明らかに凝視している。
放っておけば、ハルトが
この場を切り抜けても、アイナがまた同じ疑問に辿り着けば、ハルトと
“虹の麓”を創るのに、“げに素晴らしき晴天教会”を滅ぼすのに、“家族殺し”をするのに、それはあまりにも大きな痛手だ。
まだハルトという“小物”の仮面は必要なのだ。
だから。
(悪いな)
「そういえば君の兄は、あの蒼天党のリーベと言ったな」
この場で、アイナの僅かばかりの疑問を摘んでおく事にした。
「悪霊たる“ゴースト”になってまで人に仇為そうとした、あの悪名高き獣畜生、リーベらしいな」
(だが、今、アイナを取り巻いているのは、自身の兄を殺した“晴天教会”への憎悪……その憎悪で埋め尽くしてやればいい――だから、悪いな)
罪悪感。
後ろ髪を引いてくるどす黒いそれが、心の中に流れ込んでくることは無かった。
この話をするのは、既に半年前に終了している筈のハルトを、嫌々演じるよりも難しい事だった。
「あなたは誤っている。リーベはそのような評価を与えられるべき個体ではない」
だが、
ハルトとしての下碑な笑みを忘れないままに。
「奴は獣人の分際で!! 同種の汚らしい犬畜生を集めて!! 呪われた血に従って、人を食料にせんと悍ましく反乱を起こしたのだ!! そんなあいつに、確かに人類すべての敵にして、人間を喰らってきた大咀爵“ヴォイト”の力はお誂え向きだったろうな!!」
「繰り返す。あなたは誤っている……!」
「異端は異端の肩を持つか。さては貴様も、あのリーベと同じく人の血が好みか? 人類の怨敵たるリーベと同じように、貴様もギロチンにかけられてしまえばよいのだ……!!」
その末路の先に、リーベがゴーストとしての物語を紡いできたことは知っている。
人食いなんかではない事も、同じく決して畜生などではない心を持っていたからこそ、妹たるアイナの復讐に暴走してしまった事を知っている。
ただゴーストとしての最期までは、
それでも、このクオリアの反応を見る限りは、守衛騎士団“ハローワールド”ともそれなりに和解できたのだろう。
だが、容赦はしない。
ただハルトとしての父への他力本願しかない、小物らしさを大いに発揮する。
「このまま父上が聖地を奪還した暁には!! 世界中の獣人を、そこのメイドも含めて、リーベと同じ末路を辿らせてやる!!」
しかし喋る度に、ズキ、と心臓の内側に留まる痛みがあった。
もし、自分が同じ立場ならば。ラヴの死を貶されたら。
そんな仮想が繰り広げる、鈍痛。
「――あなた達“晴天教会”はっ!!」
だから、我を忘れて怒鳴るアイナの痛々しい様も、良く理解できてしまう。
「そうやって何人の獣人を!! お兄ちゃんを――!!」
「
ハルトの体が持ち上がる。突然隣に駆け込んできたクオリアに、胸倉を掴まれた。
殺意が、インストールされた無色の冷顔がゼロ距離にある。
「ひ、ひいいいいい!? い、いいのか!? 貴様、こんな事をして――!!」
「……」
一度クオリアは右手拳を握りしめるが、しかし直ぐにその右手拳を降ろしたのだった。更に隣にアイナが駆け寄ってきて、その右手を両手でぎゅっと握りしめた。
「ごめんなさい……大丈夫です……!! 我慢してくれて、ありがとうございます……」
「エラー……バックドアと同じパターンを認識したため……行動を抑制……しかし、あなたの挙動に深い影響が……!」
「良く耐えた」
短く二人を称える声をラックが放つと、即座に周りの騎士や衛兵に指示を出す。
「騎士、衛兵! その嘘つき一族の息子の口を塞げ!!」
「うっ!? やめっ」
(――でももう少し後押しすれば、俺を殺しそうだったな。クオリア、てめぇは結局合理を愛するフリして、心の非合理に振り回されてやがる。折角作ってくれたジュースをシンクに流す様な真似だって、簡単にしちまう)
周りの騎士に乱暴に口をふさがれ、更に拘束を増やされる。鋼鉄の感覚と、群がる力に揉みくちゃにされて情けない声を出しながら、
二人共、もう少しつつけば風船のように割れそうだった。
(分かるだろう? それが心だ。人を悲劇に引きずり込む、クソッタレの舞台装置だ。それに振り回されて、神すら騙って、そしてそのせいで家族を失って、好きな人を失って、後悔と喪失に身を裂かれる痛みすら認識させる。それが心だ)
でも、どうしてだろう。
必死に耐えているアイナに、どうして不安げに悲しんでいるラヴが重なるのだろう。
疲れているのだろうか。
(そんな激マズの猛毒、楽園にはいらねえんだよ)
真顔で大きく目を血走らせるクオリアに、どうして心配そうに怒っているラヴが重なるのだろう。
お腹が空いているせいだとでも、言うのか。
(そうだ。心だ、心さえ、最初から人に無かったら。最初から“虹の麓”だったら。世界はこんなにもクソみたいな悲劇で溢れてねえんだ)
淡々とした鉄仮面が揺らいでいたクオリアが、アイナに目を向ける。
「アイナ。ここからの退出を要請する。これ以上はあなたの挙動に深い影響を与える」
クオリアに再度促され、今度はハルトへの疑問を再燃させる事無く、アイナは出口へ向かった。当初の狙いであった、アイナがハルトの正体に行き着く思考を止める事には成功した様だ。
「お願いです……そのご飯だけは食べさせてください」
ハルトの足元に置かれた食器を見ながら、アイナはクオリアと共に廊下へと消えていった。
「感謝して食べるんだな。あのアイナが持つ、素晴らしい心に」
(……)
そして暫くして衛兵だけになった所で、ハルトは拘束具に動きを制限されながらも、どうにかそのパンを食べる事が出来た。
口の中に、“ちゃんとハルトが食べて飢え死にしない”為の動作の結果が広がる。
「うまっ」
(うまっ)
思わず出た声を、無理矢理回収する様に眉を顰める。衛兵には聞かれていない様だ。ならば問題はない。
二口目を食べた。今度は声に出さず、その味を噛み締めた。
(美味しいのに、まるでラヴのリンゴジュース飲んでるみてぇだ)
出来る事なら、作ってくれた少女の涙を見ることなく味わいたかった。
そんな心も、“虹の麓”が拭い去ってくれるのだけれど。
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