第251 話 人工知能、原点たる【原典】を知る

「――聞いているのか。ハルト」


 そこでハルトはようやく顔を上げた。手練れの魔術が込められた拘束具が、顔を上げる以上の行動に制約を加えてくる。

 元々いる衛兵に加え、ラックと手練れの騎士数名が、見事に出入口までのルートを塞いだ上でハルトを睨んでいた。


 ここは地下室。

 しかし、ハルトの様な“超重要な人質”に死なれない為の部屋らしく、幾分か居心地は悪くない。日照や外気、かつ霊脈に至るまで緻密に計算された穴から入っては、殺風景な空間を彩っている。


(この部屋、例外属性“鏡”の魔力が練り込まれている……“焚火ドレッド”対策か)


 しかし一方で、例え“使徒”だろうとの脱走を許さない難攻不落な仕組みが、この地下室には散りばめられている。例えば灰色の床や壁に、水面の如く僅かに自分の姿が映っている。これは例外属性“鏡”の魔力が働いている証拠だ。


 例外属性“鏡”。厄介な魔力だ。

 如何なる物質をも溶かし、焼き尽くす例外属性“焚”さえもは反射されてしまう。この地下室を崩すことは出来るだろうが、同時に術者であるハルトも焼く仕組みだ。


(にしても……例外属性“鏡”は強力だが、魔石からしか取れないし、加工もかなり難しい。武器や盾には転用できないくらいにピーキーな例外属性だ。こんな風に部屋全体に練り込むくらいにしか使えないが、それだって月単位での準備が必要になる)


 腕組して睨んでくるラックを見上げながら、雨男アノニマスの考察は続く。


(俺を人質に取るってのはロベリアから伝えられた作戦だった筈だが……こんな手際よくピンポイントで対策を練った部屋を用意しているあたり、このラックも元々そういう腹積もりだったって訳か)

「聞いているのかと言っている、ハルト」


 とはいえ、そんな対策が練られていなくとも、今の“ハルト”には使徒になる事も、例外属性“焚”をふんだんに使う事も出来ない。

 “クオリアとの戦闘や、キルプロの死亡で肉体的にも精神的にも例外属性“恵”で回復仕切れない程消耗し、使徒の力すら扱えないハルト”であるように振舞わなければならない。


 それは、雨男アノニマスには――ハルトには苦も無い事だった。


「う、美しない……」


 歯軋りの音が響いた。尊厳を傷つけられたように、苦痛で歪んだハルトの顔がラックと正対する。


「このような人質の扱い方しかできないのか!! 蛮族共!! 僕を、ユビキタス様の血を継いだ僕を飢え死なすなど、ユビキタス様への不信仰に等しいぞ!!」

「勿論君を一人の人間として扱う準備はあるさ。だがそれ相応の待遇が欲しいなら、ちゃんと対話が出来る人間のつもりなら、質問に答える事だ」


 唾と共に飛んだ怒号を受けても、ラックは動じない。



「もう一度聞くぞ。“正統派”の連中は、原典ロストワード?」



 硬直した。


「なんだと!?」

(……へえ)


 歪んでいたハルトの顔が、その中で感心しながら算段を立てていた雨男アノニマスの思考が、時間を止めた。

 その反応が、ラックの頬を僅かに吊り上げた。


「あるんだな? やはり、“原典ロストワード”、ユビキタス様の本当の教えが記された、

「……まさか仮にも領主ともあろうものが、そのような稚拙な陰謀論に踊らされている事も驚いてね……はっ。父上に逆らうからには多少の分別は弁えていると思ったが、ここまで毒々しい阿呆だったとは……!」


 騎士の怒りを買ったのか、一歩踏み込んでくる。


「ひぃっ、待て、ぼ、僕はちゃんとした人質の扱い方を要求する!」


 小物ハルトらしく狼狽してみせる一方で、ラックは見出した真実を堂々と語る。


「……まず、世間一般には『我らが母ユビキタスは“緋の衣”を纏い、数々の神話を渡り歩いた』と伝わっている」

「世界の常識だ。そしてその緋の衣たる例外属性“焚”と、血を受け継いだ偉大なる使徒の一族こそ……!」

「えっ!?」


 ハルトだけではない。その場に居合わせた衛兵も思わずラックの真剣な面差しを見てしまった。


「ユビキタス様が纏っていたのは、だ」

「蒼……!?」

「衛兵。君達にも初めて話す事だ。だが正式な発表はいずれ行う。今はただ、君たちのユビキタス様への信仰心だけを失わない様にしてくれればよい」


 ラックの周りにいる熟年の騎士達は、ラックから既に“原典ロストワード”について聞いているのか、一切の反応を見せない。領主が話す天変地異の話に惑う衛兵の肩を叩いて励ますか、ハルトを睨んで余計な行動をしないように見張ってるくらいだ。


「ユビキタス様は2000年前、“緋の衣”ではなく“蒼の衣”を纏って“大咀爵”ヴォイトを初めとした脅威を滅ぼし、世界を救った。しかしこの頃の文献は時の権力者によって殆ど焚書され、後世の我々に残ったのは晴天経典くらいしかなかった……しかしこの二十年で、僅かな残滓の文書を集める事に我々は成功した。その文書は全て、ユビキタス様という少女は、“蒼の衣”を常に纏っていたという記録を指し示している」

「見苦しい出鱈目を!!」


 ハルトの反論に耳を貸さず、ラックは更なる演繹結果を紡ぐ。



「これらが指し示す事実……それはハルト、



「……ラック様が“正統派”とは独立した宗派の創立に尽力したのも、それが背景だ」


 重鎮の騎士がそう言うと、積年の恨みを晴らさん勢いでハルトを強く睨みつける。ハルトに出来る事は、最早籠の中の鳥の如く、鳴くことくらいしか出来ない。


「貴様ら……醜怪な侮辱にも程がある……貴様はユビキタス様だけでなく、この2000年の間でユビキタス様に身命を捧げた信者達を侮辱したのだぞ!」

「侮辱していたのはどっちだ。貴様ら“正統派”は2000年間、『ユビキタス様の血を継いだ一族』なんて都合の良い嘘で、世界を騙し、かつ罪の無い人間を火炙りにしてきたのだ。その犠牲者の前で、同じ事が言えるのか!!」

「……確かに、何故そのような嘘が2000年もの間、まかり通ってしまったのですか?」


 蚊帳の外だった若い衛兵が質問を投げる。

 ラック達は最初から衛兵達も仲間はずれにはせず、当然の質問にしっかりと答えるのだった。


「歴史の復習だ。君達はユビキタス様の死後暫くして行われた、“ギジ晴天公会議”は学んでいるかね」

「神学校で受けました。“晴天経典”の解釈として時の教皇が“正統派”の考えを採用し、その他の考えを持っていた宗派を異端認定した全教会規模の会議……まさか」


 得心が言ったかのように衛兵が顔を強張らせた。


「そうだ……歴史は、常に勝者に都合よく編纂される。その時異端認定されて処刑されたのが、謂わば“原典ロストワード派”といった所だろう。

「……」

「当時、“原典ロストワード”を支持していた一派は、異端認定され一人残らず処刑された。徹底して、家族や友人、知り合いに至るまで。更にユビキタス様本来の力である“蒼の衣”を記した本は、全てが禁書として焚かれた」

「しかし、ラック様。だとしたら、私が“正統派”ならば“原典ロストワード”も焼いて処分してしまいそうなものですが……」

「焚書に至れない理由があったのだ。いや、物理的に不可能と言った方がいい」


 何故いの一番で消去しなければならない“原典ロストワード”が残っているのか。その疑問にも、しっかりとラックは答えを用意していた。

 

「調べたところによると、“原典ロストワード”を自分の都合のよい様に編纂する輩が――“正統派”のような連中が現れる事を、ユビキタス様は見越していたのだ。そして彼女は晩年の命を振り絞り、その奇跡の力でもって原典ロストワードを編纂も破壊も不可にしたのだ……それに対してテルステル家が取れる手と言えば、隠匿しかない」


 隠匿したであろう一族であるテルステル家のハルトを、ラックが視界に収めた。


「さて、どこにあるのだ、“原典ロストワード”は――事と次第によっては、拷問器具に頼った愚かな問答をする必要さえ出てくる」

「ご、拷問……!」

「君の父上は、かなり専門と聞いている。もしかしたら君の方が私より詳しいかもしれんな……私みたいな素人だと加減の仕方も間違えてしまうかもしれん」


 ハルトの顔が氷室に閉じ込められたように青ざめる――心中、過剰演出じゃないかと振り返りながら。


「人質の扱い……ご、拷問……それでもユビキタス様の美しき御名を仰ぐ者か!」

「……そんな馬鹿げた道具を、どうか使わせないでくれ。テルステル家のプライドなど、今は忘れてくれ……いずれにせよ、“原論ロストワード”が世界に伝われば、プライドを保つだけの力さえテルステル家からは無くなるだろう……


 ラック自身も苦痛に耐えているかのような顔だ。娘と同い年くらいの少年に拷問をするなど、明らかに本意ではなさそうだ。


「さあ、答えるだけでいいのだ。質問に。“原典ロストワード”は、あるのだろう」


 ハルトの怯えた表情と真反対に、冷静に“雨男アノニマス”はラックが吐露した“原典ロストワード”に関する調査結果を思い起こす。


(ああ、ある――どう調べたかは分からないが、“原典ロストワード”の内容に至るまで、百点満点だよ。ユビキタスが纏っていたのは、緋では無く、蒼だ)


 だが、と心の中で訝し気に呟く。


「ふ、ふはは……何というか、ここまで醜怪だったとはな……ラック侯爵」

「何がおかしい」

「仮に……仮にそんな噂の泡沫にしか存在しないまやかしがあるとして……そんなものをばらしてみたまえ……かの美しきユビキタス様が世界に残した最大の遺産、“げに素晴らしき晴天教会”が途絶えるのは眼に見えているではないか……! 貴様、神に弓を引く気か……」

(……原典あれが暴露されれば、“げに素晴らしき晴天教会”そのものが消える。お前らサーバー領の信徒も例外じゃないぞ。)


 “げに素晴らしき晴天教会”の消滅は、雨男アノニマスにとっても悲願だ。

 『2000年間信じ続けられてきた晴天経典が一切の嘘によって構成された』

 ……そんな情報が世界に拡散したら、“げに素晴らしき晴天教会”に明日は無いだろう。


「ああ」


 ラックの周りで、僅かに揺蕩っていた霊脈が離れていくのが見えた。


(こいつ、マジだ)

「ユビキタス様の言葉が届ける事さえ出来ずして、何がかの聖母の子か。間違った教えが広まっているならば、それを正さずして何が信徒か。その先に真の“げに素晴らしき晴天教会”があるのならば、私自身嘘つきに加担した詐欺師呼ばわりされても構わんさ。“死は救済メメントモリ”だ」

(……この一件を通して、“げに素晴らしき晴天教会”を一回崩そうとしてやがる)


 死は救済メメントモリ――晴天教会を記した“古代エニグマ語”で最後を締めくくったラックの意志は、さながら大樹のように深く根付いている。


(同意だよ。ラック――俺も晴天教会には滅びて貰うつもりだ。)


 子供を傷つけたくないという、甘さの残った枝葉の揺らぎと。

 2000年の歴史を紡いできた一大宗教組織と心中しようという、自分にさえ厳しい硬い幹を宿している。

 きっと、もうハルトにも、雨男アノニマスにも宿らない正直な心だ。


「し、知らない……」

(冗談じゃない。つまり、。人に、神はいらなかった。人に、神は邪魔でしかない。“虹の麓”に、神ほど邪魔な横槍はない。神を、俺は許さない)


 ハルトは、やっと声を振り絞った。演技にしては、少しタメが長かった気がする。


「本当にそんなの知らないんだ!! 確かに“原典ロストワード”の話を僕は聞いた事がある! でもそんなの、都市伝説な話だと思ってたから……」

(が、下手に喋って“ランサム”の信頼を失うと、Bに支障が出る。悪いがその手に乗る訳にはいかない……隠し場所を知らないのはマジだしな)

「……最悪の選択も、視野に入れなければならんとはな」

「あ、待て、それは、それだけは、嫌だ、いやだあああああ!!」

(……拷問か。それは楽しそうだな)


 無痛の心中と矛盾した悲鳴を聞いてまたラックの顔が歪む。その強張りが、外へ繋がる扉へ向いた。


「とりあえず今のところは人質としての扱いはしてやる。。入れ」


 二つの足音。

 比例して、二つの影が扉から入ってくる。 


「“原典ロストワード”については、あなた達の会話から学習した」

「待たせて済まなかった。クオリア君、君にも聞いておいて欲しかったのでな」


 再びハルトは、淡々とした人形の様な表情を見た。

 いつか花屋で見た、猫耳少女も一緒だ。


(でたなクオリア。

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