第250話 人工知能、“話”について語る

 いつもより忙しい朝。

 ラック侯爵家生粋の使用人が屋敷内を右往左往している最中。

 ごく自然に、今日初めて足を踏み入れた筈のアイナが、調理場で包丁で音を小気味よく立てていた。


「アイナ、頼まれたものを運んできました」

「エスちゃん、ありがとうね」


 スキルで食材を運搬してきたエスに対しても、いつもと変わらない反応を見せる。

 だが元人工知能の眼は、ごまかせない。

 野菜を切っているアイナが若干“無理をしている”という状態であることを見抜いてしまう。


「アイナ、“大丈、夫”?」

「クオリア様……! 先程はご心配をおかけしました」


 いつもなら『あなたの挙動に異常が生じている。料理は自分クオリアが代替する』と機械的に、明瞭に言い切ってしまう所だった。

 たどたどしい心配の言葉を掛ける方が非合理なのは分かっている。


「アイナ。自分クオリアも料理を実行する」

「ありがとうございます……! じゃあ、鍋見ててもらってよろしいでしょうか!?」


 料理をしていた方が気が紛れる。

 アイナは、そういう少女であることは嫌という程ラーニング済だ。

 だからアイナが心から“美味しい顔笑顔”になるのも予測できたし、クオリアも嬉しかった。


 エスはまた食材を運搬する為に一旦台所を離れ、クオリアはアイナと並んで調理に取り掛かる。王都のロベリア邸だと、沸騰の為に基本属性“火”の人工魔石が取り付けられた機材があったのだが、ここでは自発的に魔術で火を灯さないといけない。とはいえ、なけなしのクオリアの魔力でも、煮たり炒めたりする分には困らない。


「先程ロベリア様の所にも行きましたが……なんというか、あんなに疲れているロベリア様を見るのは初めてです」


 丁度いい大きさに断たれていく山菜を見下ろしながら、アイナが気を揉む心境を零す。


「……私、心のどこかでロベリア様は、権威とか身分じゃなくて、人としての次元が違う方だなって、遠巻きに見ていたと思います。すぐに自分の持てる人脈を活かして、国の危機にあの人なりのやり方で立ち向かう、それこそユビキタスみたいな神様だって」


 ロベリアはまだ目覚めていない。

 スピリトが付き添っているが、コネクトデバイスに応答はない。

 だがアイナは、直接ロベリアを見たのだろう。でなければ、きっとこのような物憂げな顔は出来ない。


「でも……それは失礼な事だったんじゃないかって、手の届かない存在だと諦める事がロベリア様の心を削ってたんじゃないかって、嫌な汗をかきながら眠っているあの人を見て、思ったんです。そんな態度が、ロベリア様の見る世界を寂しくさせてたんだって」

『――ロベリア姫も同じじゃないかと思う。アジャイルに同調する若い領民達と。一足飛びに自分を取り巻く世界を変えたいと願っているのだ』


 包丁を持つ手が止まったアイナの横顔に、ハルトの様子を見に行く直前のラックが醸し出していた悲し気な表情が重なった。


『17歳というのは一応成人という分類には入っているが、まだ世界を背負うような決断をするような年齢ではないんだよ。酒も飲めないしね。自分のやりたい事に全力を注ぎ、それを親に注意される年齢だ。ロベリア姫は、その過程をすっ飛ばしている。ヴィルジン国王とロベリア姫の関係が、確かに特殊という事もあるが……クオリア君。君にも言える事だ。遊び足りない、そう思ったことは無いかい。まだ15歳なのだろう?』

『理解を要請する。クオリアはこの世界で覚醒してから、一ヶ月のみ経過している』

『……遊んだ記憶すら失ったまま、君を戦っている訳か』


 記憶を失ったのではなく、シャットダウンには元々その記録が無かっただけの話だ。しかしそれを言う前に、ラックはハルトの待つ地下室へ数人の騎士と共に降りて行った。

 その後姿が、クオリアには印象的だった。


『……子供が、世界を鳥籠と思ってしまっている。無邪気に遊べる砂場を用意できないのは、我々大人の怠慢だ。それを大人の都合と言い訳して、砂場を奪い去ってしまったのだから』


 もしかしたらラックは、人質として接するべきハルトに対してもどこか“子供”として相手するかもしれない。

 フィールという日々喧嘩が絶えない愛娘を持つ、父親故の懺悔。

 クオリアは彼の背中から、そんな値を読み取った。


 今、同じような後悔をアイナも発言していた。

 もし、ロベリアが前にいたら、詫びたい。そんな感情が額に真正直に書いてあるアイナへ、クオリアは嘘偽り無く、今伝えるべき事を出力する。


「ロベリアは、あなたと“女の子”の話がしたいと、過去に発言していた」

「お、女の子の話?」


 アイナがきょとんと、顔の時間を停止させた。


「また、ロベリアは、あなたの料理を非常に“美味しい”と評価していた。だから、あなたが変えるべき事は無いと判断する。ただ、その料理を一緒に“美味しい”して、“女の子”の話をする事を推奨する」

「……えっと……“女の子”の話?」

「肯定。自分クオリアには“女の子”の話がどのようなものかはインプットされていない。しかしアイナならば理解できているとロベリアが発言していた」


 クオリアはまだ得心いっていないが、それでアイナには通じたらしい。

 強張っていたアイナの顔が、ふっと小さく吹き出して綻んだ。


 そんな事で良かったのか、と。

 雁字搦めになっていたセキュリティロックが解除された様な雰囲気だった。


「でも……確かに、そういう方がかもしれないですね。もっと、沢山ロベリア様と色んな事、話してみます」

「……自分クオリアも“話”を、する」

「どんな話を、するんですか?」

「もう一度、自分クオリアは、ロベリアと“背負っている世界”の話を実行する」


 クオリアも、決意を新たにする。


「ロベリアが“背負っている世界”と定義される不明なものから、自分クオリアは負担を減らしたい。“背負える”という性質を持つなら、自分クオリアにも負担をする事が出来る」


 その“話”は、今までのクオリアが経験した事の無い戦場だった。あらゆるオーバーテクノロジーが通用しない、あらゆる最適解が適用されない、ただ真正面からじっと構えて相手を思い遣る、心へのアプローチである。


 蒼天党の様に、世界に絶望させない。

 霊脈のエネルギー化に賛同する青年たちの様に、世界に失望させない。

 ……マインドの様に、間に合わなかったなんて事にしたくない。


 ロベリアを誤った方向へ進ませない為に。

 ロベリアの心を正しく守る為に。

 守衛騎士という役割を、クオリアは広げる。


「守衛騎士団“ハローワールド”として、ロベリアの“美味しい”を創る為、今自分クオリアがすべきことは、ロベリアと何度でも、話す事。最適解を、ロベリアと一緒に創る事と定義」

「はい。私も、そうだと思います」

「その時、あなたの話も、ロベリアに伝える事を要請する」

「はい。一緒に考えましょう。ロベリア様が背負う世界について。私も考えてみたいです」

「肯定。“あり、がとう”」

「どういたしまして」


 力強いアイナのはにかみが戻ってきたところで、クオリアは更に提案する。


「また、自分クオリアも“女の子の話”と定義される会話を実行したい」

「いや、それは……駄目です」

「説明を要請する。何故自分クオリアは“女の子の話”が実行不可能なのか」

「駄目なものは駄目です! だってクオリア様は“男の子”なんだから」

「理解……不可能……それならば、自分クオリアは“女の子”へとハードウェアを書き換える」


 アイナの唇が波立った。

 思わず包丁を強く置いてしまった。

 しどろもどろになりながらも調理場に響く大声で否定してきた。


「絶対それやっちゃ駄目な奴です!! 自分の体の改造と同じくらい、やっちゃ駄目です!! 禁則事項ですっ!!」

「肯定……」

「……」


 その場にいた使用人たちの目線が痛い位に集まったので、アイナは思わず小さくなって料理を続けたのだった。

 沈黙が続いた台所に、外から使用人の会話が聞こえる。


『フィール様の朝食、そういえば今日いらないって。何でも考えたいことがあるんだってー』

「……フィールさん、どうでした?」


 アイナから再び物憂げな声があったのは、その時だった。


「私の事、何か言ってました?」

「肯定。あなたが“げに素晴らしき晴天教会”に対して、非常に抵抗を持っていて、フィール自身の為に過去が想起されている事を、強く懸念していた」

「……優しい人ですよね……全力で謝らなければ。あの人を、相当傷つけてしまいましたから」


 自身の罪悪感を押し付けるように、最後の野菜をとんとん、と切り終える。隣で焼いていたウィンナーも掬い上げ、更に盛り付けていく。


「フィールも、あなたと話をしたいと言っている。しかしそれは、あなたからの“謝罪”だけでは、非常に理想的では無い」

「……」

「あなたと、ロベリアと、フィールで、“美味しい”を取得しながら、“女の子の話”をすればよいと認識する」


 振りむくアイナ。真っすぐ見返すクオリア。

 クオリアの口が、ぎこちなく、人間らしく告げる。


「“あな、たなら、大、丈夫、きっ、と、フィール、と、仲良、く、なれ、る、よ。エスも、仲、良くなって、いる。一緒、に頑張、ろ、う”」


 アイナの顔に貼り付いていた霜が、少し溶けたのが認識出来た。


「……ありがとうございます。クオリア様」


 その時、後ろからトトトト、と近づく小さな影があった。

 スキルで食料の運搬をひと段落させたエスだった。


「アイナ。先程フィールから、このローカルホストの郷土料理を学びました。それを金銭的売買している場所も、聞きました。後で行きましょう。疲労を回復するには、“美味しい”が一番です」

「うん。一緒に行きましょう。ありがとう、エスちゃん。それから“女の子の話”をしましょう」

「それは新しい料理の話ですか? 私はそれならば、“女の子の話”を要求します」


 心が冷たく乾いているなら、心を満たす暖かなスープを用意すればいい。

 そんな提案をするエスこそ、最早どこからどう見ても人間だ。

 無表情ながらも人間味溢れる横顔を見ていると、魔術人形“2.0”の事は、まだエスには共有しない方がいいとさえ躊躇ってしまう。


「そうだ、クオリア様、一つだけお願いがあるのですが」

「説明を要請する」


 抱き着いてきたエスの後頭部を撫でながら、明らかに個別に置かれた皿をアイナが凝視する。


「今地下室にいるハルトに、食事を届ける必要があるのです。誰も行きたがらなくて……でも昨日から恐らく何も食べてないと思うので」


 人質である以上、ハルトに飢え死にされてはラック達も困るのだ。

 しかしそんな政治的な理由は、アイナには無い。彼女が憎き晴天教会“正統派”の中心人物に飯を食わせようとする魂胆は別にある。


「私は、例え“晴天教会”の酷い人でも、手に届く範囲で飢えられるのは嫌です……だからこの料理を、持っていきたいです――だってそれが、私のなりたい姿、夢なんだから」


 アイナとしては、ちゃんとハルトが料理を食べている所まで見たいのだろう。ハルトの“美味しい”を観測する為ではなく、ハルトが“美味しい”が間近に会った事を知らないまま干乾びないように、ちゃんと確認したいのだろう。

 いつか店を開いて、“美味しい”で世界を満たしたいという夢を持つが故の、絶対に曲げられない信念。

 それを読み取った上で、クオリアは頷いた。


「要請は受諾した。ただし、自分クオリアも同伴する」

「ありがとうございます」


 一方で、クオリアはハルトという“異常”が気にかかっていた。

 あのハルトという存在は、ただの“神に溺れる枢機卿”でも、ただの“使徒”でも、ただの“テルステル家の三男”でもない。


 それ以上の何かがきっとある。

 ただ、“嘘”という異常で例外的なノイズが、正しいラーニングを妨げている。

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