第249話 人工知能、おっぱいの威力を知る

 地下室に閉じ込めているハルトから聞き出さんとするラックと別れ、クオリアとフィールは、屋敷へと戻っていた。


 明日にはこの建物に、“げに素晴らしき晴天教会”の頂点が集まる。

 しかし教皇が来るというのに歓迎の雰囲気は全くなく、警備をどう配置するか、ランサム公爵達がどんな搦め手を使ってくるか議論をぶつけ合う騎士と、戦々恐々と執務をこなす使用人が視界を行ったり来たりしていた。ピリピリと痺れる様な気配の中に、“美味しい”は少ない。


 しかし、その中に一人マイペースな魔術人形を認識した。

 スキルで器用に波打つかの如く床を隆起させ、重たげに何かが詰まった衣袋を運んでいくエスの姿を認めた。


「エス。説明を要請する。あなたは現在何のタスクを行っているのか」


 その声で気付いたのか、エスはスキルを止めてクオリアとフィールに向かい合う。


「私はアイナの活動の補助を行っています」

「説明を要請する。アイナはどのような活動を行っているのか。アイナは現在、休養が推奨される状態にあると認識している」

「アイナはこの屋敷の使用人と共に、朝食を作っています。アイナは、料理を作っていた方が気が晴れると発言していました」

「アイナちゃん……大丈夫なの?」


 クオリアよりも先に心配の声が出たのはフィールだった。元人工知能と同じく表情に乏しい魔術人形は、しかしアイナがいるであろう方向に目を向けたまま、少しだけ停止した。親友であるアイナを、エスが心配していない訳がなかった。


「料理を実行している時の方が、アイナには有益の様に見えます」


 しかしそんなエスだからこそ、ただ閉じ籠っている事がアイナにとって毒である事も分かっていた。


「フィール、お前の分の朝食もアイナは作っています。アイナが先程、フィールを驚かせた“お詫び”と定義される概念の為に、お前に朝食を食べてもらいたいと発言していました」

「フィール。アイナの要求に応える事を要請する。また、アイナの料理は非常に“美味しい”」

「う、うん……」


 どこか引っかかる物言いで顔を引きつらせながらも、渋々フィールが頷いた。

 エスが続けて、クオリアに助力を請う。


「他にも多くの人間がこの屋敷に常駐している為、作る朝食の量が多いです。その為、人手が不足しています。クオリア、お前にも協力を要請します」

「要請は受諾された」


 クオリアが当然の快諾を見せ、エスと共にアイナがいるであろう調理場に向かった時だった。

 何か考え事をしていたフィールと、歩き出したエスが正面衝突した。


「わっ、ごめん」


 我に返りながら謝るフィールだったが、エスが離れない。

 一回り短背なエスが、フィールに密着したまま停止している。

 正確にはフィールの僧衣を押し上げる圧倒的質量の塊二つに、エスの顔が埋もれていた。 


「ど、どうした? エス」

「……お前の感触は、私がこれまで接触した女性の中で、一番有益です」

「えっ?」


 エスの物静かな眼だけが、上を向く。

 キランと怪しい光を放ち、困惑するフィールを射止めた。


「フィール。私はお前に、“おっぱい”を揉む許可を要請します」

「はいいっ!?」


 誰から“おっぱい”なんて言葉を学んだのかは分からないが、ひとまずこの魔術人形は一部変な方向に学習を始めていたのがクオリアには分かった。

 同性ならば問題の無い行為ではあるが、それでも当然の驚愕をフィールが見せた通り、常識から外れた推奨されない行為だ。


「エス、行動の停止を要請する、今はその要求よりも優先すべきタスクが――」


 そうしてエスを引き剥がそうとしたクオリアの演算回路に、火花が散った。


 クオリアの眼に、焼き付く。

 世界一気持ちいい布団にでも入っているかのように微睡み始めたエスの顔や掌が、


「エラー……エラー……」


 フィールの胸部にある二つの“柔らかさ”という値。

 僧衣をこれでもかと言わんばかりに押し上げていた黄金比の球体。

 エスからの刺激を受けて、自由奔放に、かつ妖艶に潰れていた。


 “ぱふぱふ”、と。

 そんな擬音語幻聴が、クオリアの中で構成される程に。

 

「この視覚情報は……禁則事項に抵触すると判断……」


 その双乳の力学を演算する事は、クオリアの中に強烈なノイズを与えてしまう。

 実際あの豊かな母性の塊には、クオリアも触れた事がある。ただしキルプロとの戦闘中に抱きかかえて飛んでいた為、目前の戦闘に集中する事が出来た。


 だが今は脅威が無い、平和な時間だ。

 よってクオリアの皮膚に、『もしフィールの“おっぱい”を掴んだら』という予測演算が投影されてしまうのだった。


 勿論禁則事項に繋がる予測演算は常時オフにしているのだが、こうして予測外のイベントが発生してクオリアがその“イケナイ”を認識すると、途端にショートが走りそのプロテクトが緩む。


 つまりどういう事か。

 いつもの鉄仮面が消え、真赤な顔をしながら目をきょろきょろと泳がせてしまうただの純朴少年に逆戻りしてしまう、そんなバグが展開されてしまう。


「クオリア! なんかすごい目がふしだらっ! 『情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたも同じ』っ! “クロムウェルによる福音書”13章13節っ!」

「理、理解を要請する……禁則事項の、視界情報の破棄、エラー、破棄不可……」


 こんな時でも律儀に聖書の言葉を引用するフィール。どうやら胸を揉まれている分には問題ない様だ。その様をクオリアに見られている事が恥ずかしいと推測できる。


 しかし流動する胸から、クオリアの眼が離れない。

 瞼を瞑ろうとしても上手くいかない。

 視線が“美味しくない”。

 スピリトの半裸を見た時と同じく、最適解が息してない。


 そんな突然のピンチを迎えたクオリアに、エスは知って知らずか止めを刺す。


「アイナの胸部は非常に柔らかく、ロベリアの胸部は対象範囲が広くて大きいです。ですがフィールはロベリアよりも更に大きく、また反応が非常に良いです。参考情報ですが、スピリトの場合は触れても何も得るものは無いと推測されます」


 アイナの胸は非常に柔らかい。

 ロベリアの胸は広くて大きい。

 決して仕入れてはいけない情報が、クオリアの聴覚情報からウイルスの様に流れ込んだ。

 

「エラー……エラー……パフォーマンスに、大きな影響を与える……」

「お前もアイナとロベリアの胸部に触れ、反応を確かめるべきです。あの感触や香りは、とても“美味しい”です」

「エスちゃんそれは駄目なの! それは健やかなるときも病めるときも一生を添い遂げる妻にしかやっちゃ駄目なの! 姦通は地獄へ落ち――」


 しかし真っ赤に顔を腫らしながらも説教モードだったフィールの顔が一変した。

 フィールの視線は、遠くで何やら料理をしているアイナを追っていた。クオリアもそれで我に返り、アイナを認識する事が出来た。


 だが次の瞬間、フィールは物陰に隠れた。

 アイナの位置からでは見えない場所で、顔を若干引きつらせていた。


「フィール。説明を要請する。あなたは何故、アイナの視界から外れるような移動をしたのか」

「……さっきウォーターフォールって獣人いたでしょ?」


 重々しく、壁に背を預けながらフィールが問う。クオリアが首肯すると、後ろ髪を引かれるように続けた。


「この世には、確かに“げに素晴らしき晴天教会”に肉親を不当に殺された人々もいるって知ってる。十中八九“正統派”の歪んだ異端達がやってるんだろうけど、殺された側からすりゃ、皆同じに見える訳よ」


 アイナも、同じ分類にカテゴライズされる。

 最愛の兄リーベを、“げに素晴らしき晴天教会”に殺された。


「フィール。アイナはお前の事を悪いように思っていません」

「そういうのって理屈じゃないからさ……世界を旅してた時、晴天教会に家族を殺されたって人とも会った。本人は区切りは着けたと言ってたけれど、でもよくよく観察してみたら……私達の事、殺したいと思っているのにもかかわらず必死に踏み止まってるだけだと知った」


 フィールは必死に料理に打ち込むアイナの横顔を見つつ、続ける。


「クオリアの仲間だもん。エスもこんなに親ってるんだもん。アイナが優しい娘だってのは、まだほとんど話してない私にも良く分かる。でも少なからずわだかまりはある。私はそれを紐解いていかなきゃいけない。ユビキタス様の教えを教義とする人間として、その悪用された教えに殺された人の心も救わなくてはいけない。だけど、それには時間がかかる……一足飛びに行っちゃ駄目なのよ」


 深くフィールが息をつくと、廊下の奥へと一人歩いて行った。

 自分の存在のせいで顔を引きつらせてしまったアイナの事を想像しているのだろう。その後姿からは、後ろめたさと言う値がクオリアには読み取れた。

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