第247話 人工知能、“家”の大事さを語る

 ……はるか未来の人工知能にとって、場所という概念に対した差はない。

 人類が去った後のアンチ対消滅コーティングが施された大地だろうと、ガスだけで構成された巨大惑星だろうと、この雨空の真上に浮かぶ太陽だろうと、暗黒物質以外に何もない超重力の渦ブラックホールだろうと、パフォーマンスに影響はない。

 超高度に発達したアンドロイドは、宇宙が用意した全ての舞台に即順応して、拠点にだって戦場にだってする。


 一方人間にとって、場所という概念程大事なものはない。

 そういう大事な場所に拠点という冷たい響きは使わない。

 故郷とか、“家”と呼んだりする。


「説明を要請する。ローカルホストに人が住めなくなるとは、どういう事か」


 元人工知能のクオリアに、ラックは一呼吸を置いてから答える。


「……別の場所でも、霊脈と似たような現象があってね。かつて“資源開発機構エバンジェリスト”が眼を着け、産業革命の為のエネルギーとした事がある」

「ええ。5年前に別の地方で見つけた鉱山迷宮ダンジョンの事ですね。あそこには特殊な魔石が多く、先輩の“資源開発機構エバンジェリスト”が開拓させていただきました。特に現在急発展を遂げている“鉄道”産業の最重要なエネルギー源になっていますね」


 鉄道とは、固定されたレールの上を馬車よりも巨大な列車が走り、人や貨物を運ぶ産業の事だ。今はまだアカシア王国内の一部で試運転しているに留まっているだけだが、年内には外国も跨ぐ長距離レールを使い実用化を開始すると言われている。

 勿論それだけの物体が動くには、見合ったエネルギー源が必要だ。フォトンウェポンの中に内蔵されている“永久機関”でも搭載されていない限りは。


「語るのなら、ちゃんと後処理の事まで語ってくれよ、アジャイルさん」


 “資源開発機構エバンジェリスト”の武勇伝に、ラックが水を差す。


「その5年前の鉱山開拓には、今も残っている大問題があったんだ」

「それはどのような問題か」

「“公害”だ」


 “公害”。その意味を問うまでもなく、ラックが続ける。


「鉱山迷宮ダンジョンから特殊な魔石を取り出す過程で、有害物質が発生していたことが分かった。それは汚水やガスとなって、近隣の村を包んだ。結果土壌が汚染された……それが公害だ。採れた作物、汲める水全てが人間に毒で、奇病が発生し、死者まで出ている。資源開発機構エバンジェリスト


 クオリアの思考回路に、深い不快さが浸透した。表情は変わらずともそれを察したのか、ラックはクオリアに問い返した。


「クオリア君。君ならどう思う? 確かにその開拓をすれば、世界はより豊かになるかもしれない。だが君の家が、君が慣れ親しんだ場所が、一切住めなくなる可能性があるんだ。場合によっては病気になって一生苦しんだり、死んでしまうかもしれない。世界の進歩を大義名分にして、そんな理不尽な犠牲を押し付けられても合理的だと、果たして頷いていいのだろうか?」


 クオリアの回路に、薄暗くて冷たい“もしも”のリスクのイメージが焼き付く。

 あのロベリア邸から、一切の“美味しい”が消え失せてしまったら。

 かつて誰かが住んでいた街、という記録だけが残ってしまったら。

 

 彼女達みんなとの場所を、失ったら。

 人工知能ではなく、人間であるクオリアはその環境の変化に耐えられるだろうか。


 否。


「否定。確実にその“公害”のリスクを低下させる手法とるべきと認識する」


 クオリアは、ロベリアをあの家に連れ帰る。

 その家が、超重力の渦ブラックホールのように何も“美味しい”を生まない世界であってはならない。

 確固たる結論を宿し、リスクの排除更なる説明を求めてアジャイルを向く。


「また霊脈は固形物ではない。運送の際に、何らかの物質変換が必要と推測する」

「公害のリスク低減については、何度も説明しました。そこの伝統とやらを重んじるラック侯爵にね」


 アジャイルが溜息を吐きながら、やれやれと両肩を竦める。


「ねえ、ラック侯爵。まだ理解が出来ていないのですか。我々夜明起しアカシアバレーとして原因と対処を突き止め、今回は発生しない様にしています。そのロジックについても、何度も説明したじゃないですか」

「説明は聞いたが、不透明な部分が多い。とても容認できないリスクだ。アジャイルさん、あんたの説明は人の心に寄り添えてないんだよ」

「寄り添えてますよ。少なくとも彼らの様な新時代を築いていく若者は、私の言葉に賛同してくれた」


 顰める顔をした青年達を差しながら、アジャイルは一人軽い表情でラックに反論する。しかし青年達よりも更に深く眉間に皺を刻みながら、ラックが目を伏せる。


「結局あなた方は先祖代々から続く霊脈を我々に取られたくないんですよ。霊脈のエネルギー化に成功した暁には、あなた方に還元する利益率だって充分な筈なのに。王都の貴族が享受できている、満腹の食事も当たり前な生活が出来るのに」

「アジャイル。あなたは誤っている」


 クオリアが二人の論争の間に、割って入る。

 アジャイルの一挙手一投足を見ながら、その誤りを指摘する。


「あなたから“公害”のリスクについて、軽視している反応が見られる」

「まだ会って数分のあなたに、何が分かると?」

「7分23秒の挙動パターンのラーニングで分かる程、あなたは“公害”について軽視していると認識。そんなあなた方“資源開発機構エヴァンジェリスト”に霊脈のエネルギー化を任せた場合、このローカルホストに人間の“家”が無くなる可能性がある」


 会って一秒の人間ですら判定可能な嘘発見器である人工知能の眼はごまかせない。

 一瞬だけアジャイルが沈黙していると、ラックがクオリアの隣に並んで青年達に呼びかける。


「諸君。確かに“資源開発機構エヴァンジェリスト”の言う未来は、気持ちよく聞こえるかもしれない。アジャイルさんも、全てについて嘘を言っている訳では無いだろう。新時代を望む君たちの心情に寄り添えなかったことは、私の力不足であったことは否めない。霊脈をエネルギー化するという方針に対して、産業を発達させる新時代の生活について、私は間違っているとは思わない。技術の進歩は、ユビキタス様の教えにも準ずるものだ」


 一方、ラックの言葉からは虚構や驕りが検出されない。こうして領民達に声を掛けるときも、父親としてフィールに叱っている時も、いつだって真摯な紳士そのものだ。


「だが耳心地の良いビジョンに振り回される前に、一度考えてほしい。君達はアジャイルさんの口車に乗って、何か見落としていることは無いか? ただアジャイルさんの言う通りにしていれば、新時代の煌びやかな生活が待っていると思っていないか? 下手すれば君達は毎日毒を喰らう、豊かにするどころか最悪な貧困を享受する事になる。歴史に悪名として残ってしまう結果になる。どうか、一足飛びに楽園に流されようとしないでくれ。流されていける場所は精々滝壺くらいなのだ」

「……」

「人間には、安定して生活する“家”が必要と学習している。“楽園”は、“美味しい”の条件ではない。“家”が、“美味しい”の条件と学習している」


 未だ迷いながらも革新的な世界への羨望を捨てきれない若者たちの視線が、クオリアに集まる。


「もしあなた達が、アジャイルの説明に納得し、このような行動を起こしている場合は正しい。しかし、あなた達の挙動から読み取れる値は、アジャイルに過度の依存をしている事を示している。アジャイルの行動で“家”が破壊されるリスクを、充分に検討出来ていない可能性がある」

「俺達が何も考えていないっていうのか……!?」

「肯定」


 淡々と話す、クオリアの澄んだ瞳がじっと見つめる。

 更に反論しようとしていた若者たちの声も詰まる。


 ……はるか未来の人工知能にとって、場所という概念に対した差はない。

 だから人工知能にとって、歩きなれた故郷という概念も無かった。

 少なくとも、人工知能だった前世の話。


「“家を、失って、は、いけ、ない”」


 “家”が、人間にとって“美味しい”を生む一つのファクターであると知っているからこそ、クオリアにも帰るべき場所があるからこそ、その願いは心からのたどたどしい言葉となって発された。

 直後、クオリアは未だに見分をするような眼差しのアジャイルをじっと見つめた。


「あなたには、ラック達を納得させる義務がある。しかしそのプロセスを省略し、強制的に“霊脈”に対して何らかの影響を与えようとする場合は、脅威と認識し、無力化を実行する」

「――アジャイルさん。俺はもう我慢できない。こいつは俺達“資源開発機構エヴァンジェリスト”の障害だ」

「ウォーターフォール。せっかちですね」


 アジャイルと共にスーツを着こなし、魔術人形と並んで辺りの騎士を牽制していた“資源開発機構エヴァンジェリスト”らしき、“ウォーターフォール”と呼ばれた猫耳の獣人青年が、“3号機”に指示を発した。


「“3号機”。霊脈の調査開始だ。

『ヴォイス』

「要求は承諾されました! 魔石回帰リバース!」


 相変わらず“資源開発機構エヴァンジェリスト”へ迷いの無い献身を反映していた魔術人形“2.0”の瞳が、カッと見開く。

 同時、魔石が光をまき散らす。

 スキルの発動――固体を塵芥に変えてしまう程の衝撃波を孕んだ声を、誰もが警戒して硬直した。

 突如一人、魔術人形の胸にある魔石目掛けて駆け出したクオリア以外は。


「脅威と認識。魔術人形“2.0”、3号機を“ハッキング”により無力化する」

「スキル深層出力、“刑酷音サイレントヴォイス”を発動します!」

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