第243話 人工知能、王女の譫言を聞く

『ロベリアは、“虹の麓”を望んでいない』


 その仮説を示した時、ロベリアを包んでいた虚構ノイズが晴れた。

 その事実を掲げた時、ロベリアが抱えていた重荷ノイズが取れた。


 スピリトが“大事な人が迷った時の対処法歯ァ食いしばれ”でロベリアをぶっ飛ばした時の様に。

 一瞬だけ。

 ぴく、と震えた双眸を見て、確信した。


「うっふふふふ……クオリア君にしては、随分とお粗末な仮説って奴だね。最適解、全然算出来てないぞ」


 首の後ろを摩りながら、目線を逸らしてロベリアが頬を吊り上げる。

 笑顔だ。

 ただし、この場を取り繕うための、仮初の笑顔だ。


 少なくともクオリアは、そう検出した思った

人工知能としての機能ではなく、人間としての感覚として。


「ロベリア、あなたの挙動に異常が――」

「クオリア君も長旅で疲れてんだね。聞いたよ。キルプロを討死にさせたんだって? 使徒を、あのテルステル家を当たり前に倒せちゃうとか、お姉さんめっちゃ驚いたよ。こういうの聞風喪胆ぶんぷうそうたんって言うんだよね。まあ、それだけの偉業やってたら、自慢の明晰な頭脳もくたびれるわ」

「ロベリア、キルプロの生命活動を停止させたのは自分クオリアでは――」


 散々クオリアの発言を遮って冗長な台詞を吐いた後で、遂に痺れを切らした。


「……戦いだらけの毎日よりも、戦いのない毎日の方がいいじゃん。明日死ぬかもって怯え切った日々よりも、明日を考えなくていい笑える日々の方がいいじゃん。雨に悩む世界よりも、雨の中で踊っていられる世界の方がいいじゃん。常識的に考えてそうでしょう? クオリア君も知ってるでしょ? 蒼天党の暴動、トロイの反逆、今回のげに素晴らしき晴天教会の侵攻……たった一ヶ月でどんだけ命が消えてんのさ」


 答えない。クオリアは、更にロベリアの口が開くのを待った。


「……それともヴィルジンのやり方で世界が進歩するのを待つ? その間に犠牲になる人の事を見て見ぬふりして?」

「そのやり方は、誤っている」

「じゃあ、手段が必要だよね。前回の文明が滅んでから2000年、捻じれに捻じれきったこの人間社会を清浄化する、綺麗事ままごとじゃない現実的な世界を変える手段って奴が」

「それが、“虹の麓”か」

「君風に言うと、“肯定”」


 ロベリアが、差した日光が模様となっている天井を見上げた。

 その瞼が、かつてクオリアに指示したとある事を後悔する様に、細まった。


「全員が手を取り合って、輪になった世界なら、スピリトが流れ弾で死ぬことは無い。クオリア君にシャットダウンなれって、“死ね”って命令する事も無い……だから私は……」


 言い淀むロベリアの横顔を見て、しかしクオリアは淡々と変わらぬ仮説を紡ぎ続ける。


「しかし、

「……」


 “虹の麓”によって、ロベリアがずっと望んできた世界が実現されるとしても。

 戦いのない毎日が訪れるとしても。

 明日を考えなくていい笑える日々が来るとしても。

 雨の中で踊っていられる世界になるとしても。

 スピリトが流れ弾によって死ぬ事の無い平和になるとしても。

 クオリアへの『死ね』が無い永遠になるとしても。

 

 これらが、ずっとロベリアが心から望んでいる夢の世界だとしても。

 “虹の麓”をロベリアが望んでいるかどうかとは別である。


「あなたの顔面部分の情報からは、それを裏付ける値が検出されている」

「……まあ、言うのは自由だよね」


 小さな苦笑の中に、濁った苦々しさが見えた。


「……」


 スピリトの指摘が止めとなったのかまるで話を根本から切り替えるように、ずっと三人の会話を見守っていたラックへこれからの話をする。


「ラック侯爵。明日ランサム公爵と、ルートに何を言うかの台本作りでもしよっか。後、向こうが悪巧みしてきそうな事を洗い出して、その先回りを――」

「待て。君は彼らと話すべき事が、まだあるように見える」


 ラックの反応は、ロベリアを決して遠慮すべき王女として見ていない。

 どちらかと言えば一人の友人として頼りにしている一方で、娘と同じ年代のまだ若く脆い少女として心配している様にも見える。


「それに、さっきの“虹の麓”の話は何だ? 流石にそんな事を企んでいる雨男アノニマスと連動して動くことは出来ない」

「このローカルホストの防衛と、雨男アノニマスの“虹の麓”は別の話だよ。雨男アノニマスが“正統派”と完全に敵対しているのは周知の事実でしょ? 実際彼は、一ヶ月前から“正統派”の有力者を消して回ってるからね」

「しかし……」

「そもそも、デリート”の存在を忘れてない?」


 “デリート”。

 ランサム公爵の長男でありながら、進攻騎士団の中で最高の戦闘力を持つ“使徒”。

 曰く、

 その名が出た瞬間、ラックの顔も一層険しくなった。


 だが明日ローカルホストに会談しに来るメンバーの中に、そのデリートの名は無い。にも関わらずラックの顔からは血の気が引いている。


「あれの手綱は、ランサム公爵でも握り切れていない。デリートには信仰心も無ければ、名誉欲も色欲も金銭欲も存在しない……ただ、暴走する破壊欲に塗れた荒唐無稽な戦闘狂。が故に、怒ったランサム公爵に拘束されていたけど、今回キルプロが死んだ事で間違いなく解放してくる。このローカルホストも、滅ぼされた都市の様に焼野原になるかもしれないんだよ。


 だから、とロベリアは提案した。

 その口を開く瞬間、クオリアはある値を検出した。



 この提案をする事が、最初からロベリアの狙いだった。

 クオリアがそれを指摘しようとした途端、部屋の扉が強く開かれる音がした。


「お取込み中の所申し訳ありません!」


 駆けこんだ騎士が、返事を受ける間も無く切羽詰まった態度で報告した。


「“資源開発機構エヴァンジェリスト”と、それに付き従う連中が、“霊脈の中心”に集結しているそうです!」

「あいつら……厄介なタイミングで」

「説明を要請する。“資源開発機構エヴァンジェリスト”とは何か」

「……ヴィルジンが送り込んできた、“霊脈を産業革命の為のエネルギーとして活用しようとする連中”だ」

「彼らは“霊脈の中心”で何をしようとしているのか」

「あそこには霊脈の発生源がある。そこを抑えて、無理矢理自分達のものにしようと考えている……下手すれば、このローカルホストから霊脈が消えてしまう」


苦虫を嚙み潰したように頭に手をやるラックからは、“資源開発機構エヴァンジェリスト”が描いている“産業革命”が、何か脅威である印象を受ける。


 霊脈が消える。

 ローカルホストにとって霊脈が生活の基盤となっているならば、確かにその表情も頷ける。


 そのラックを遠巻きに見ていたロベリアが、突然踵を返し始めた。


「お姉ちゃん、どこに行くの!?」


 スピリトが声を掛けた時には、既にロベリアは一人廊下まで出ていた。


「よくよく考えたら昨日から何も食べてないし、朝ご飯を頂くことにしたんだよ。ほら、腹が減っては戦は出来ないからさ。さっきから何か思考が空回りしているような気がしたと思ったら、お腹減ってるせいだ。たぶん」


 去り際の背中は、どこか寂しそうだった。

 いつものあっけらかんとした、軽い態度でクオリア達にロベリアは告げた。


「ランサム公爵やルートが来るまで一日ある。少し落ち着いたらまた話そ」


 ロベリアが壁の向こう側に消える。

 その一挙一動足をインプットした結果、即座にクオリアはとある判断を下していた。


「待ちなよお姉ちゃん、まだ話は終わってな――」

「えっ」


 文字通り、ロベリアの挙動に関する異常を周知アラートしながら、眉を顰めるスピリトの横も通り過ぎて、廊下に出る。

 クオリアの予測通りだった。

 ロベリアが、廊下で歩く事もままならないくらいに蹲っていた。


「お姉ちゃん!?」


 スピリトが駆け寄ると、ロベリアが無理やり笑いながら手を振る。

 しかしその顔は、少し青白い。


「だいじょーぶ、だいじょーぶ……ちょっと転んだだけ」

「どう見ても転んだだけに見えないんだけど!?」


 クオリアも同じ意見だった。とても偶然転倒しただけでは、全身がぐったりとはしない。


 『よくよく考えたら昨日から何も食べてない』。直前、ロベリアは確かにそう言った。これから導ける仮説は一つだけ。


「あなたは、食事行為が満足に出来ない程に、その肉体を消耗している可能性が高い」

「あるいは、精神的に、かな」


 ラックが物憂げな目線で呟くと、近くにいた騎士に指示する。


「……いずれにせよ、一度休んだ方がいい。誰か、家の者を呼んでくれ。ロベリア王女の看護を。一応医者の厄介にもなった方がいいだろう」

「……お姉ちゃんには私がついてるから、クオリアはラック侯爵に付いていって。さっきの“資源開発機構エヴァンジェリスト”が気になる」


 一方スピリトは、ロベリアに付き添ったまま離れず、クオリアを見上げる。


「流石に会談前日に内部分裂とか、一溜りもないでしょ。多分、どんな内患があるか“らーにんぐ”しといた方が、長い目で見たらいいと思う」

「肯定」


 そして、その後ろで一人。

 虚ろな目で、力の抜けた顔で、ロベリアは譫言を漏らしていた。


(……ねえ、ラヴ。“虹の麓”こそが私達が望んだ、世界なんだよね? あなたが望んでた、夢の世界なんだよね……そうだと、言ってよ)

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