第242話 人工知能、王女姉妹の喧嘩を見る③

 スピリトがやっているのは、明らかな損傷行為だ。

 力任せに襟を鷲掴みにして、姉の体を自らに密着させている。

 血が走り、力が入る妹の眼。

 どこか虚ろな雲が、僅かに晴れた姉の眼。

 そっくりな真反対の眼が、数センチの距離まで迫っている。


 いつもなら、ロベリアを害する行動として認識し、スピリトを止めていただろう。

 しかし、今回クオリアはその解決策を取らない。


「状況分析。スピリトはロベリアを損傷させるための行動を取っていない」

 

 その姉妹には、必要なプロセスだとクオリアは感じたからだ。

 一見忌避すべきその損傷行為が。

 胸倉を掴む事が。胸倉を掴まれる事が。

 スピリトと、ロベリアには、その過程が必要だ。


 クオリアは自らの師匠モデルの為す事を、ただじっとラーニングしていた。


「……良く言うよ。スピリト、あなたは私を置いて、自分勝手に剣術を磨きに行ったじゃない」


 ロベリアも負けじとスピリトを睨みつける。

  “演技”の色が褪せて、いつも王都で見ていたロベリアの挙動と一致し始めていた。

 ただしスピリトと真正面から喧嘩するロベリアをラーニングするのも、初めてだが。


「ええ。でも私はそれを棚に上げて、お姉ちゃんの愚行を止める事にした」

「どこまでも自分勝手……」

「お互い様でしょ? あの時お姉ちゃんだって、『私がどことも知らぬ貴公子と結婚すれば私が幸せになる』なんてボヤいてたじゃない……!」


 スピリトが吐き捨て、一呼吸を入れる。


「……私あの時思ったんだよ。母さんは私達を育てる為に、好きでもない男に体を捧げて死んだ。お姉ちゃんも同じように、私を食べさせる為に同じように体を捧げる気だって。それじゃ母さんもお姉ちゃんも、私の為の人生みたいじゃない。そんなの母でも姉でも、家族でもない……! だから私だってお姉ちゃんを支える方法を模索した……それだけの事よ」

「そんなの私も同じよ。母さんは私達を育てるために、雨風から私達を守って死んだ。スピリトも同じように、私を守る為にいつ死ぬかもわからない戦いの世界に身を投じたじゃん……だから私はその世界そのものを変える必要があるのよ。スピリトは言っても分からないし、そもそも今世界はそんなに優しくないし!」

「極端なのよ昔からお姉ちゃんは! 母さんに似て!」

「スピリトもね……」


 真正面から言葉という記号をぶつけ合う二人を見て、クオリアは遠くから状況分析結果を出力していた。


「二人の行動パターンは、ヴィルジンの行動パターンと共通点がある」


 クオリアの声も届かない世界で、二人の“真っ向勝負”は過熱する。


「剣術極めて帰ってきたら今度は自分から政治の世界に深入りしてるし! ハローワールドなんて創ってたし! クオリアなんて見つけてきてたし! 裏庭に墓作ってたし! 雨男アノニマスと結託して、何かやろうとしてるし! あいつが何やろうとしてんのか分かってんの!?」

「……って事は、見てきたんだね? “虹の麓”を」

「……ええ。気持ち悪い、ゴマ擦った笑顔を貼り付けた進攻騎士を見たよ」

「それが“虹の麓”の効果だよ。正確には古代魔石“スペースクラウド”のスキル出力“空の涙ファブロスキッス”。あれの虹の中影響下に入った人間は、一切の敵意とか悪意とか、自分も他人も追い詰める負の感情を失う。代わりに好意とか善意とか、他者を助ける正の感情がアイデンティティになる。超強力な催眠魔術だと思えばいい」


 例えば“げに素晴らしき晴天教会”の価値観に染まっていた筈の、進攻騎士。

 卑下し、家畜以下の価値と見なしていた獣人相手に、下手すれば命を懸けて笑顔を伝染させようとしていた心変わりをクオリアもスピリトも見た。

 自分の意志を一切消し、他者への献身のみで心を埋め尽くす催眠術。

 それが“虹の麓”。


「……あの虹に侵された人間の笑顔がどんなものか分かってんの? お姉ちゃん」

「……」

「……お姉ちゃんはそんな世界を望んでいるの!? なんで雨男アノニマスなんかと結託したの!?」


 沈黙するロベリアを逃すまいと、スピリトが大声で威嚇する。

 だが狼狽もせず、ロベリアは視線を合わせないようにしながら心情を吐露する。


「……全員が笑顔で、誰も傷つかない世界。人間も獣人も、魔術人形も明日も笑っていられる世界。これが、ラヴが求めていた世界……だから、私は」


 スピリトにも、クオリアにもその声の矛先は向かっていない。

 まるで自分自身に投げられたブーメランの様だ。


「知らないわよ! 私はラヴに会った事もないんだから!」


 落ちて割れたグラスのように、スピリトの否定する高い声が空間に響き渡る。

 それをトリガーに、どこか乾いた瞳で、ロベリアがクオリアを見る。


「クオリア君、ハローワールドの仕事だよ、このじゃじゃ馬な不肖の妹を王都へ送り返してくれない?」

「その要請は拒否する」

「ここ、戦いになるかもしれないんだよね。人質たるハルトはこっちの手にあるけど、懸念材料はてんこ盛りでさ。一触即発って奴。何が起きてもおかしくないんだよ、だからさ――」


 一ヶ月前、スピリトを庇って百人切りした直後、下手人であるトロイ第五師団のエドウィンに対して向けられた絶対零度の暗黒。

 双眸という穴から、絶対零度の何かがクオリアを貫く。


「だからさ、。ほら。兵器回帰リターン

「……再度、要請を拒否する」

「なんで?」


 『なんで?』と共に吐かれた吐息だけで、この立方体の空間全てが凍り付きそうだった。


「騎士はもう、十分に数はいるから。守衛騎士団“ハローワールド”の出番はないんだよ」


 しかし、クオリアの演算まで凍らせることは出来ない。


「このローカルホストにおいて、現在“正統派”の進攻騎士団による、“美味しい”の大量の喪失という大きなリスクが存在する。この脅威を無視する事は、守衛騎士団“ハローワールド”として禁則的な事項あるまじき行動と定義される」

『一つだけ、聞いていい?』


 同時、クオリアは思い出していた。


『もし私が“誤っている”行動や命令をしたら、君はどうする?』


 サンドボックス領から王都の途上。馬車の中で、腕枕をして眠りかけていたロベリアから確認された時、そんな会話を下。

 今こそ、実行の時だ。





 スピリトが先程、その誤りについて大半は指摘した。

 黙ってこのローカルホストに来た事。

 心無き楽園を創ろうとしている雨男アノニマスと連携している事。


「……どこが?」


 だが、クオリアが指摘した矛盾は、もっと別の所にある。



「あなたは、“虹の麓”を望んでいない」


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