第240話 人工知能、王女姉妹の喧嘩を見る①
今から二年前の事だった。
アカシア王国第二王女、ロベリアは体育座りをしていた。
たった一人の家族であったスピリトが、剣術を極めるという自分勝手な理由で、見知らぬ荒野に旅立ってしまったからだ。
スピリトは、ロベリアにとって最後の家族だ。
母親が他界したっきりの、唯一の家族だ。
確かに妹は強い。
若干13歳にして、大人も仰天する程の戦闘能力を有していた。最早そこらの騎士では相手にならない。
だが当時は“聖剣聖”という称号も無く、たかが頭一つ抜きん出た程度。
ロベリアの心配が拭えるわけも無かった。
『スピリト……』
目に入らぬ場所で、強力な魔物に襲われでもしたら。
手の届かぬ何処で、凶悪な盗賊に攫われでもしたら。
数多の“したら”が不安の寄生虫となり、ロベリアの心を蝕んでいく。
『なんで私を一人にしたの』
理由は分かっている。スピリトは自身の剣術を極めて、ヴィルジンと交渉するつもりなのだ。このままでは政略結婚の駒にされるロベリアを見兼ねて、ロベリアに自由を与えたくて、その為の“武器”を研ぎに行ったのだ。
しかし、ロベリアからすれば、本末転倒だ。
ロベリアが政略結婚の駒になってまで、王女になってまで最優先したいのは、スピリトの安全なのだから。
『ほい、ロベリア姫ー』
俯くロベリアの頬部分に、軽快な声と共に何かが当てられた。
グラスに入った、リンゴジュースだった。
『あ、言い忘れてたんですけど。実はどんなリンゴからでもめっちゃ美味しいジュース作るのが特技でーす』
鉄を思わせる銀の爽やかな長髪と、それに負けないくらいのピンクの眼鏡の下。
笑顔が、大きく目を見開いてこっちを見ていた。
陽光でも直視したように、ロベリアは眼を細める。
『ラヴ……だっけ。まだ帰ってなかったの?』
『だーかーら。私の役割はロベリア姫のお世話係ですってー。そう設定されてるんで』
『……私、メイドや執事はお断りって言った筈なんだけどね』
『妹さんは大丈夫って、ヴィルジンさんも言ってたじゃないですかぁ』
『話聞いてる? 聞く機能ある?』
一方的に喋る魔術人形に、ロベリアは溜息しか吐き出す事が出来なかった。こんな精神の消耗時に、魔術人形という摩訶不思議な“人間もどき”を相手にする余裕はロベリアには無かった。
ヴィルジンやカーネルも一体何故こんな時に、試作型の魔術人形を突如押し付けてくれたのだろうか。
しかし帰る場所があるとしたら工場しかないだろう魔術人形ラヴを、ロベリアは追い出す気力さえ無い。
『大体、
その残酷な地獄は、脳裏から離れた事が無かった。
物心がつき始めた視界の中、父親と一緒に居た筈の騎士達が、自分達のいた街を破壊し尽くした戦火を覚えている。
必死に自分とスピリトを抱きかかえ、命からがら逃げる母の短い呼吸を覚えている。
『でもそれなら、わざわざロベリア姫を拾いにいって、王女に認定したのは謎ですけどねー』
『……私が王女だって言うんならその立場を最大限に利用して見せる。もうスピリトに貧しい思いはさせない。政略結婚でも何でもして、その時にスピリトの生活も保障してもらう……つもりだったのに』
『それが、本当に幸せな事なんですかね?』
その質問に答えることは出来なかった。
『それでスピリト姫の生活、本当に大丈夫って保証有るんですかね?』
結局、ラヴが屋敷から出てくれることは無かった。
こうして一人の少女と、一人の魔術人形の妙な生活が始まった。
リンゴジュースは、そんなに美味しくなかった。
……それから、少しの月日が流れた。
スピリトから定期的に送られる手紙を見る事で、生存確認は出来た。
しかし多少の安堵が在れど、ロベリアの考えは変わらない。
ヴィルジン派と、晴天教会。殺し殺されが日常の貴族と政治の世界で生きていく為の処世術を、彼女は身につけなければならなかった。
『おっ、姫! これユビキタスの伝記?』
その日、ラヴに話しかけられたのは、それらの処世術とは関係ない本を読んでいる時だった。
腕組をしながら、妙に近い距離で開いているページを覗き込んできた。
『この時代でユビの事を知ろうとする人は、皆“晴天経典”を開いているのに……』
『晴天経典は、“洗礼”受けてないから読めなくてさ。そもそも説教臭そうだし』
『なんかそんな面倒な制約ありましたね。“洗礼”受けないんですか?』
『あれはそんな買い物感覚で出来るものじゃないって……それに、神を崇めるにはちょっと現実を知りすぎたかな』
『じゃあ何でユビの伝記の方読んでるんです?』
『なんとなく……ただ』
握っていた“伝記”が、やけに重かったのを覚えている。
『このユビキタスみたいに……どんな強力な魔物からでも、どんな凶悪な人間からでも守りたいものを守れれば、私も苦労しないのになって』
『ふーん』
『……っていうか“ユビ”って、まるで友達みたいな言い方するんだね。ユビキタスの事』
『というか、友達だったらしいですよ? 私とユビは』
『へ?』
怪訝に目を細めるロベリアに、ラヴは自身の胸を指差して口にした。
しかしその内容は、更に耳を疑うものだった。
『古代魔石“ドラゴン”。これの大本になっていた“白龍”は、ユビの親友だったらしいんですよ。そんな記憶が遺されてます』
丁度開いていたページに、白龍――“ドラゴン”の記述があった。
『まあ
『……あ、そう』
半信半疑、どころではなかった。
確かに“ドラゴン”の名を冠する古代魔石が装着されているのは知っていたが、今目前で両肩を竦める魔術人形が2000年前の記憶を引き継いでいるなんて、ただ場を盛り上げたいだけのその場凌ぎにしか聞こえなかったからだ。
だが次に開いた言葉は、何故かロベリアに信じさせるには充分な重みがあった。
『でも、ユビは知ってたと思いますよ。身近な人を笑顔にするにはどうしたらいいかって事』
『えっ?』
『一人だけ笑顔になろうとしても、上手くいかない。人間は一人じゃ笑えるようには出来てない……だからユビキタスは、世界中の人間を笑顔にしようと戦い続けたのです』
まあ、完全には上手くいかなかったですけどね、とラヴが付け加えた。
それは伝記を見ても分かる。ユビキタスがやったのは大咀爵ヴォイトを倒し、世界の滅びを食い止めた所までだ。そこから文明が回復するまでには、長い年月を要したのは言うまでもない。
『いつの時代も、一人だけ美味しい思いをしようとした奴は、結局不味い思いをするのがお約束パターンです。今のロベリア姫みたいにね』
『私みたいに?』
『したくもない相手と結婚して、あわよくばスピリト姫の面倒を見てもらおうなんて簡単な妥協策。本当にうまくいくと思います? 本当にそれでスピリト姫が笑顔になると思います? 結婚相手は、スピリト姫の面倒まで見てくれると本当に思ってます?』
『……でも私には、それしかないから』
『決めつけんの、早くないですか? だってあなた、生まれはどうだか知りませんが、それでもこの国の王女ですよ。割と出来る事、ありそうでは?』
『……私に出来る事は少ないと思う。私は元々最下層の人間だよ。上流の人間は目が肥えてるからね。私の母が、妾かどうかもちゃんと見てきちゃうのよ』
出会う貴族達が求めているのは、ヴィルジンの娘という肩書だけだ。
会話する貴族たちが求めているのは、ヴィルジンとの親戚関係だけだ。
ヴィルジンにとっても、ロベリアとは外交上の家族を創るだけの価値しかない。
ロベリアは、そんな自分の立ち位置を理解していた。ついでに、五年前ヴィルジンに拾われるまで住んでいたスラムよりも、生活面においては間違いなく充実している事も理解していた。
ならば、それを利用するだけだ。
たった一人の家族が笑顔になれる環境を創る為ならば。
その為の覚悟は出来ている。
『でもね』
しかしラヴは、その覚悟を揺さぶる。
『さっきからすごい、不安で不安で仕方ないって顔してますよ』
『……』
『だからスピリト姫だって、何とかしたくて剣術修行出ちゃったんじゃないんですか』
ラヴの言う通りだった。自覚できる程、ロベリアの顔は沈んでいた。
『そりゃあ、そうだよ。怖いもん』
『ほう』
『初めて会った人に一生尽くせって言われたら、自信ないもん。しかもそんな人に、スピリトの命運握られたらと思うと、怖いもん……それでも、あのスラムで明日食う物さえも困って、お母さんの様に病気で早死にするのを待つよりはって、言い聞かせてんだけどね』
そこまで吐き出しておいて、ロベリアは天を仰ぎながら本音を話す。
『思うよ。世界がもう少し優しかったら、いつでも笑ってられる世界だったら、って』
『それは、私の理想の世界ですねぇ』
『どうすればそんな世界になるのかな』
『私もずっと考えてることです。この世に、創られてからずっと。でも一つだけ分かってることがあります』
コト、とロベリアの手元にリンゴジュースが置かれた。
『私達はユビみたいに、誰かを守るのに十分な力はないかもしれない。でもだからといって、妥協策ばかり考えていては、結局誰も笑顔になれないんです。一歩ずつでも、一歩だけでも、前に進もうって考えないと。スピリト姫を笑顔にしたいんなら、妥協策じゃなくて、あなたもスピリト姫も皆が笑える世界を目指すんです』
『……』
『ま、それよりもロベリア姫の話ですよ。古代魔石“ドラゴン”の力を全く使えない魔術人形でも、どうやら話聞く機能くらいはあるみたいですから。ほらほら、ほらほらなのですよ。私をおねーちゃんだと思って、何でも話してごらんなさい』
『じゃあさ』
『はい』
『このリンゴジュース、まずいんだけど』
やっぱりリンゴジュースは、そんなに美味しくなかった。
■ ■
「……やっと夢見れるくらいには寝れたみたいね」
昔の夢を見ていた。
見慣れぬ客室で起きたロベリアの瞼の下には、隈が彫られていた。
サーバー領の領主、ラックの屋敷の空気が合わなかったからでも、客室の布団が合わなかったからでもない。
単純にこの三日、ロベリアはずっと神経を酷使し続けていたのだ。
そんなロベリアの脳裏には、ある二つの単語がずっとちらついていた。
“
そして、楽園“虹の麓”。
『ロベリア様、御客人が来たようです』
外からメイドの声がした。
アイナの声でもない。ましてやラヴの声でもない。見知らぬメイドの声だ。
『クオリア様と、スピリト様との事です』
それを聞いて、ロベリアは息をついた。
「……追い返せって、言ったのに」
そう言いながらも、いつか来ることは覚悟していた。
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