第239話 人工知能、霊脈に触れる

 夕方になり、一団は休憩に入った。


「わぁ……」


 外に出ていたクオリアは、アイナの感動を認識した。

 

「クオリア様、エスちゃん、見てください! すごい、何か見てるだけで心が癒されるというか……」

「おぉ……私はこの光を、いつまでも見ていたいです」


 眼を奪われている少女二人の後姿に、クオリアも並んでその景色を眺める。


「“美味しい”」


 と思わず声に出してしまう程、瞳に焼き付いた世界は幻想的だった。

 地面、葉、茎、幹、枝、花、それらに取りつく無害な動物や虫にまで沿って、生命が宿ったかの如き翠光が仄かに脈動している。

 何度も、何度も鮮やかに自然の色彩が波打つ。

 近くにいたクオリア達も巻き込んで、光がふわぁ、と蒲公英の綿毛のように舞って通り抜けた。


 肌を摩った若葉色の光波が、人の体温に感じ取れた。


「僅かな魔力を認識。これはノイズを打ち消し、演算を整理する効果があると認識」

「“霊脈”には心を落ち着かせる力があるんだよ」


 同じく翠光に吐息を吹きかけられていたフィールが、クオリア達へ近づく。


「説明を要請する。“霊脈”とは何か」

「晴天経典では、人の心を象る魔力、と呼ばれているわ。人は死んだらこの霊脈になり、ユビキタス様の意志に従って今を生きる人たちの手助けをする、ってされてる」

「クオリア。人間は死んだら霊脈になるという事は、初めて認識しました」

「ユビキタスの教えは誤っている。人間には“霊脈”になる特徴は無い」


 クオリアがユビキタスの教えを信じない事を理解しているフィールには、両肩を竦めて溜息をするくらいしか抵抗が出来なかった。


「でも、この霊脈が心地よい、っていう事だけはわかるでしょう?」

「肯定」

「この“霊脈”が流れる地、ローカルホストは……2000年前、大咀爵ヴォイトに文明が滅ぼされた時、真っ先に豊穣の作物を齎した場所だった。人々はこのローカルホストに集まり、文明の再開を始めたと言われているわ」


 辺りの大自然の隙間を縫って踊る“霊脈”を見渡しながら、胸を張って伝説を語るフィール。その横顔が、この地を故郷としている事への誇りを示していた。


「フィール。説明をお願い致します。という事は、この辺りの山菜は“美味しい”ですか」


 すっかりいつでもどこでもグルメを求めるようになったエスが、フィールの僧衣をぐいぐい引っ張る。魔術人形だからと特別扱いせず、修道女は晴天経典を取り出しながら得意気に先導するのだった。


「勿論! 霊脈は食材も最高級品に格上げするのよ! 晴天経典にだって乗ってるような、それはそれは舌を巻くようなものだってあるの!」

「それなら私も是非――」


 そのエスとフィールに付いていこうとしたアイナだったが、突然その体が硬直したのをクオリアは見逃さなかった。


「アイナ」

「……」


 その目線は、魔術書に匹敵する分厚さの晴天経典と、フィールの胸元に下げられたペンダント――晴天経典のシンボルたる太陽に釘付けになっていた。

 フィールとエスもアイナの異変に気付いて視線を向けると、一歩二歩、猫耳少女が後退りしていた。


「……あ、ご、ごめんなさい……私、まだちょっとこの辺にいます」


 取り繕う様に無理矢理愛想笑いをしながらフィールから離れると、クオリアの横も擦れ違って通り過ぎていく。

 アイナ、と声を掛けようとしたクオリアの聴覚は、確かに彼女の呟きを捉えた。


「……お兄ちゃん」


 “お兄ちゃん”。

 アイナの兄にして、既に故人であるリーベの事だとクオリアは判断する。


「状況分析」


 アイナが思わしくない顔をする直前に見た物。

フィールの持つ晴天経典と、太陽のペンダント――それらは、一ヶ月前にゴーストたるリーベにハッキングした際に見えた光景の中にあった。

 泣き叫ぶアイナの目前で、リーベを断頭した晴天経典の枢機卿が身に着けていたものだ。


「クオリア。私はアイナについています」

「肯定。“おね、がい”」


 エスは頷くと、アイナの後を追って直ぐに寄り添った。まだアイナの笑顔がどこかぎこちない。

 一方フィールは二人の後姿を見つめて、居たたまれずに右往左往する。


「わ、私……なんかマズい事をした!?」

「あなたが原因ではない。しかしアイナの兄であるリーベは、晴天教会の枢機卿に生命活動を停止させられている」

「そ、そうだったの……」

「あなたが持っている晴天経典とペンダントが、そのイメージを再生させた可能性はあると判断」

「ぐわっ」


 突然フィールが頓珍漢な声を出したかと思うと、後ろからラックに軽く小突かれていた。

 呆れた様子で額に皺を寄せながら、ラックが問いただす。


「フィール……またお前は何をしてるんだ」

「いや別に何もしてないよ! ただクオリア達を霊脈スポットに連れて行こうとしただけよ!」

「馬鹿も休み休みに言いなさい! 今は敵がどこにいるか分からないんだぞ!」

「そんな時だからこそ皆の心に余裕を持たせようとしてるんでしょ!」

「はー……馬車に戻ってなさい! もうすぐ出発だ!」


 フィールは頬袋を膨らませたまま、すごすごと馬車へ帰っていく。

 一方、ラックは娘が言う事を聞かないと、頭に手をやりながら首を横に振りつつ、隣に佇んでいたクオリアに目をやった。


「……霊脈が気に入ってくれて何よりだ。こんな時でなければ、のんびり観光してもらえただろうに」


 緑の曲線を見つめながら、クオリアは頷く。


「確かに自分クオリアは、“霊脈”に対し、高い評価をしている。“もっと、見た、い”」

「だがな……“霊脈”はもしかしたら無くなるかもしれないのだ」

「説明を要請する。それはどういう事か」


 神妙な面持ちで、ラックは答えた。


「例えばランサム公爵の長男、デリートは世界最強の騎士と言われている。少なくとも破壊力では随一だろう……奴の使徒としての力は、街どころか地方一つを簡単に消せるからな」

「それならば、対策案を至急作成する必要がある」

「一応対策ならあるさ。ハルトという人質がな……少なくともランサムは、デリートにハルトごとローカルホストを滅ぼさせることはしない筈だ」


 ラックの指先が奥の馬車を差した。あの中にハルトが閉じ込められている。


「だがもう一人、この“霊脈”を狙う男がいてな」

「説明を要請する。それは誰か」


 忌々しそうに、ラックはその名を呟く。


「ヴィルジン国王だ」

「――ラック領主。そろそろ」


 部下に声を掛けられ、ラックは話を中断して踵を返す。

 だが去り際の背中からは、決意が静かに滾っていた。


「俺はこの地の領主として、先祖代々から紡がれてきたユビキタス様の賜物、“霊脈”とこのサーバー地方の子らを守って見せる」


 霊脈たる翠光の並木道を突き進むラックから、大樹のような“心”を読み取った。

 先程の父親として言い争うラックと、領主として覚悟を決めたラックの違いを分析しながら、クオリアも馬車へ戻る事にした。


「もう大丈夫です! ご心配をおかけしました」


 アイナはショックから回復したようで、霊脈を見ながらいつもの彼女らしく振舞っていた。だがクオリアは、まだどこか引っかかる値を検出していた。


「……もしかしたら、本当の事なのかもしれませんね。人は死んだら、この霊脈になるっていうのは……」


 だからお兄ちゃんの事を思い出した、とは言わなかったが。

 その先の言葉は、クオリアでも予測出来た。

 馬車に乗ろうとしたところで、車輪に背を預けるようにして座り込むスピリトを認識した。


「スピリト。馬車への帰還を要請する」


 スピリトは質問に答えず、人の心の象る魔力らしき霊脈の舞踊をじっと見つめていた。


「……お姉ちゃん、途中でこんな綺麗な景色を見て、何を思ったんだろう。こんな幻想的な世界で、一体何をしようとしてんだろう」

「それは、ロベリアに確認するべきだ」

「クオリアは何だと思う?」

「……ロベリアは、いつも全員が“笑顔”になる方法を検索していた。今も、検索していると認識する。その検索結果として、雨男アノニマスの“虹の麓”による強制的な“笑顔”をロベリアが選択するとは、判断できない」

「……ありがと。私もそう信じてる」


 スピリトは立ち上がり、その小さな体で深く息を出し入れした。

 先程のラックと同じく、背中に覚悟の二文字が焼き付いていた。


「クオリア。お姉ちゃんの所着いたらさ、まず私から話させてもらっていい?」

「肯定」

「師匠から学んだ事も、また一つ活かす時が来たみたい」

「それは何か」

「その時になったら教える。とにかく、お姉ちゃんには絶対言うべき事があるの。で、“参った”言わせてやんだから」



 翌朝、一同はローカルホストに辿り着いていた。

 

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