第238話 人工知能、スイッチを出る
「あっ、クオリア様。そろそろローカルホストに向かうみたいです」
アイナが予定を口にしながら見た馬車は、後はクオリアを待つだけになっていたようだ。その馬車の前で、アイナはかつて彼女自身を救った医者と向かい合っていた。
「
「僕はこのスイッチで療養している
両肩を竦めて、医者は首を横に振った。
「それに、まだこの近くでは“正統派”や、メール公国の残党が暴れている。ますます僕は戦地を回って、死に瀕してる人を救わなければならない」
「その活動には、大きな
「それが僕の選んだ戦いだ。なぁに、こういう死地は慣れているし、死ぬつもりもない。人命を救えるのは、生きている人間だけだからね」
「あなたは、やはり非常に評価が高い。“かっこ、いい”……アイナ、説明を要請する。この言葉は正しいか」
「はい、合っていると思いますよ」
“死の救済”に縋る様子もなく、忍び寄る“死”に対して戦いを挑む医者に対し、また一つ、鋼鉄のハードウェアでは味わえない尊敬を思い浮かべる。
同時に、医者のように命を救えたら。
5Dプリントで“薬”を生成出来たら。
5Dプリントで他人の肉体を修復する事が出来たら。
騎士という範疇に収まっている内は叶わない理想が、クオリアの脳裏を少しずつ焦がしていた。
「そして、アイナちゃんには話したのだが……医者として、君に言わなければならない事がある。君の脳の事だ」
口を真一文字に結ぶアイナを見ながら、僅かにトーンを下げ医者が語る。
「今は何ともないんだね?」
「肯定」
「だが、昨日キルプロと戦った後の昏倒や鼻血は、やはり極度の脳疲労によるものだ。決して甘く見てはいけない」
12時間前まで、クオリアは歩行する事さえ苦労する程に、脳がオーバーヒートしていた。
無数のフォトンウェポンを、同時に精密に遠隔操作できるように、人間の脳は創られてはいなかったのだ。
甘く見てはいけない、という医者の診断も否定することは出来ない。
「いいかい。あの状態から更に悪化するようなら、回復も見込めない場合もあり得る。正直に言うが、この手の脳疲労は廃人になったケースもある」
「説明を要請する。
「ああ。“催眠”系統の例外属性の魔術は、脳にとっては天敵だ。ルート教皇が良い代表例でね。彼女は母方の家系が催眠系統の、例外属性“母”の魔力を有していたのだ。それに、晴天教会では有名な家系でね。彼女が教皇にまで上り詰めたのは、一族の中でも突出した例外属性“母”の力があったからという噂もある」
おっと失礼、話が逸れたね、と閑話休題。
医者は脳のオーバーワークと催眠の関係性について語るのだった。
「強い催眠を掛けられた側は、特に強い脳負荷がかかる。その結果催眠が解けた後でもずっと昏睡状態だったり、口がきけない状態になってしまう事もある……そう、植物状態になる事もね。君の脳にかかった負荷も、それに近いと思う」
植物状態。
その言葉を、医者はクオリアとアイナ、交互に見ながら口にした。
クオリアは既に学習している。
ずっと目覚めない少女を見続ける事の辛さを、知っている。
心配そうに顔を伏せたアイナの横顔に、クオリアは蒼白な寝顔を重ねた。
あの辛さは、アイナに学習させられない。
そう判断したら、自然とアイナの手を握っていた。
「理解を要請する。
「……」
「本負担は、フォトンウェポンの遠隔操作によるものと認識する。昨日の戦闘データより、同時最大接続数、操作継続時間を算出している。その閾値を超えない様、最適解を調整する」
クオリアの深く澄んだ瞳へ、アイナの物憂げな顔が向く。
雨のような悲しみが、その表情から晴れた。
「……嬉しいです。安心しました」
以前ならば、あまりそのリスクを念頭に置かず、一か八かで脳を改造していたかもしれない。
だけど、その個体はもう人型自律戦闘用アンドロイド“シャットダウン”ではない。
彼は、人間クオリア。
ならば人間という枠も、その心も凌駕してはならない。
人間として、人々の“美味しい”を検出し続けたい。
誤っていても、それがクオリアの最適解だ。
「それでも、どうしても必要になったら、医者の出番だけどね。その時はまた、おいで」
二人を見て、微笑を浮かべる医者の中年。
「肯定。しかしあなたからは、他にもラーニングすべき事がある」
「ああ。医療を学びたいのなら、その時も話し相手くらいにはなるだろう。僕もその為に世界を旅しているのだからね」
その後、馬車が出発した。
一人残った医者は、見えなくなるまで馬車を眺め、深く息を吐く。
「ヴィルジン国王。僕にはね、あのクオリア君の行き着く先は、あなたの願う未来とはちょっと違うと思うんだよ」
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