第237話 人工知能、親子を見る

 小雨で濡れる、スイッチの午後。

 クオリアの視界には、幸せそうに微笑む捕虜達がいた。

 雨男アノニマス曰く楽園“虹の麓”の住民達が織りなす、工場で量産されたような“美味しい”であった。


「……ノイズが発生」


 『気持ち悪い』。

 どこか胃をチクチクと刺激するノイズは、そんな言葉で定義されるらしい。


「もう体調は大丈夫? クオリア」

「フィールを認識」


 僧衣に身を包んだ、茜色のショートヘアに眼鏡の修道女を認識した。少しだけノイズが失せた。

 フィールも“幸せそうな笑顔だけ”の騎士達に顔を強張らせつつ、早速本題に入る。


「ちょっと父が、あなたと話がしたいって言っててね」

「あなたの父とは、あなたの後ろにいる人間の事か」

「――その通りだ。君がクオリア殿か。挨拶が遅れてすまない」


 フィールの後ろに聳え立つは、娘と同じ茜色の短髪が特徴の中年だった。主張は大人しいが、それなりの階級である事を示す衣服を凛々しく着こなしている。


「このサーバー領を統括している、ラックだ」

「ラックを認識」


 既にインプットしていた“ラック”というサーバー領の領主と、目前の容貌の紐づけを完了する一方で、何故か冷や汗を滴らせるフィールの後頭部をラックが鷲掴みにしていた。

 

「まず先に、娘が大変世話になった。君のおかげで娘の命が助かったとも聞いている」

「うぐっ」


 親子共々、頭を下げた。ただフィールの方はラックの掌に押されるようにして低頭する。


「実はフィールは、亡命の最中だったのだ」

「説明を要請する。“亡命”とは何か」

「平たく言えば、他国に避難するといった所だな。“正統派”の連中がこのサーバー領を攻めるという情報があって、縁のある国に娘を逃がしていた所だった……が、隙を見て脱走しよってからに……」

「だから、だからさぁっ!」


 フィールが突然、後頭部を掴むラックの手を払って睨み返す。


「今こそユビキタス様に仕える修道女として、“正統派”の不当な暴力を受けようとしている人達を救うのが使命でしょ!?」

「何度言ったら分かるんだ! ちょっと“使徒”の力を使えるようになったからって、思い上がるのも大概になさい! もう修道女が何とかできる範囲はとうに超えているんだ! その使命も果たしきれず死ぬ所だったんだぞ!?」


辺りの注目を集めている事にさえ気づかず過熱していく親子喧嘩の間に、クオリアは何食わぬ表情で割って入るのだった。


「二人の挙動に異常が生じている。オーバーヒートによるものと思われる。一時休養する事を推奨する」

「……」

「……見苦しいものを見せた」


 フィールは顔を背け、ラックは深く息をつく。

 その間にクオリアは、目前のラックとフィールという父娘の間に、ある概念をラーニングしていた。


「“家族”の、新しいパターンを認識」


 クオリアは二種類の父子の関係性しか知らない。

 クオリアと、ワナクライ――ただし、その間に“愛”と定義されるものは無かった。

 ロベリア、スピリトと、ヴィルジン――ただし、その間に“美味しい”と定義されるものは無かった。

 

 目前の二人からは、いがみ合っていようとも決してマイナスではない、値に出来ない何かが見える。

 “家族”だけが出力できる、理想的な何かだった。


「ラック。ロベリアの現在位置の説明を要請する」

「勿論だ。私の屋敷にて保護している」

「ロベリアとコンタクトを取る事は可能か」

「……ロベリア姫からは、もし君達が来ても追い返すように言われている」


 いつものロベリアと矛盾するような対応を認識した。

 しかしラックはロベリアの意志を伝えながらも、クオリアの無機質な眼を真っすぐ見て続けるのだった。


「だが君達には娘の命を救ってもらった恩義がある。それに報いない訳にはいかない。先程スピリト姫にも話したが、私が責任を持ってロベリア姫の下へ送り届けるとしよう」

「“あり、がとう、ござ、いま、す”」

「……今回、キルプロを返り討ちに出来たのは、正直ロベリア姫の力によるところが大きい」


 ラックの口調が重々しくなった。


「……ただ、今回の“正統派”の動きを、ロベリア姫が知っていた節がある。だからこそメール公国の侵攻に対し先遣隊を送る事も出来たし、ハルトを人質に取る事も出来た……ただ、“どうもうまく事が進み過ぎていて、正直私も怖い”。ロベリア姫が一体何を考え、どうして逐一先回りが出来るのか、また彼女が手を組んでいる雨男アノニマスとは何なのか。面目ない事に私には分からない」


 雨男アノニマスにも娘が助けられた以上、礼の一つも言いたいのだがね、とやるせなく付け加えた。


「恐らく私には真意を閉ざしたままだろう。しかしロベリア姫を単身追いかけてくるほどの君や、スピリト姫にならば話すかもしれない。どうか、ロベリア姫が何を考えているのか聞き出してもらえないだろうか?」

「肯定」


 クオリアは首肯した。

 その後、首都“ローカルホスト”へ向かう馬車へ、水溜りを避けながら進む。


『ラック様の命により、貴様もローカルホストへ移送する』

『くっ、傷に障る! もっと優しく出来ないのかっ!? これだから野蛮で醜怪な連中は……っ!』


 途中、強引に連れられていたハルトを認識した。

 距離が空いていた為、向こうはクオリアに気付いていない様だった。


『いい気になってるのも今の内だ!! 間もなく父上が直々に貴様らを誅しに来るだろう!! ひょっとしたら“デリート”兄上まで連れてくるかもねぇ! デリート兄上はな! 、“世界で一番現人神に近い”存在だ!!』

「エラー」


 だがその喚きから信頼して読み取れる情報と言えば、“デリート”という個体が『“世界で一番現人神に近い”存在』であるという評判と一致している事くらいだ。


『何故だ……僕が何故こんな仕打ちを受けなくてはいけない……! 父上、早く助けてくれ! 僕を助けてくれえええええ!!』


 後の値は、信頼できない。

 引っ張られる際、痛そうに歪める頬も。

 騎士の恫喝を受け、狼狽えて震える唇も。

 子供の様に喚き、雨空目掛けて饒舌に放たれる声も。

 全てが、まるで“人間ではない”かのような、“壊れた心”の値しか検出出来ない。


 嘘。

 人工知能に存在しない、ダミーとはまた別の、人間特有の“心”の特徴。

 しかし、全ての動きに、ここまで虚構を示す値が練り込まれている存在を見たことがない。


「エラー……人間は、あのような虚構を維持できないと認識。しかしそのパターンからハルトは外れている」


 その外見まで“ノイズ”に隠れたハルトという特殊個体を認識しながら、クオリアは一人馬車に向かうのだった。



        ■              ■



「……」


 縛られたまま移送用の馬車に一人投げ込まれ、鍵を閉められる。

 ずっと開きっぱなしだったのか、床に水溜まりが出来ていた。

 映っていたのは、まさに雨男のアイデンティティを強調する様に髪がずぶ濡れになった、虚無の表情だった。


「……ローカルホストか。ロベリアがちゃんと“手中”に納めれば、それで楽園のピースが揃う」


 全身の痛みもすっかり忘れ、僅かに差している外の光に見向きもせず、真正面を向いたまま呟いた。


「さて、どう動く。ランサム“父上”……ルート教皇を連れてくるなり、ちゃんと我が身可愛さを大事にしてくれよ。てめぇには、晴天経典“原典ロストワード”の在処を教えてもらうまでは、喋る力位は残してもらいたいからな」


 だが、と雨男アノニマスことハルトは懸念材料を呟いた。


「一番の障壁は、やはりデリート“兄上”か。……できれば“射程圏内”に入る前に先手を打ちたいが……」


 雨が強くなった。

 ノックの様に、馬車の壁へ打ち付ける。

 ひとまず今のハルトに出来る事は、人質らしく悲壮感をむき出しにして連行される事くらいだ。


 自分も含めてテルステル家を滅ぼす事は、その後でも出来るから。

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