第236話 テルステル家次男殉死12時間後
ランサム公爵の執務室で、数名の影が揺れる。
いずれもアカシア王国の貴族や有力者でありながら、ルート教皇を支える“げに素晴らしき晴天教会”の絶対権力者、即ち枢機卿として名を馳せる者ばかりであった。
しかしその中でも異様な存在感を、窓の向こうを睨むランサムが醸し出す。
「ランサム様……キルプロ様の事は」
「よい」
訃報に対する心境の確認に対し、ワイングラスを片手に短く答えた。
「キルプロは、この父たる俺よりもユビキタス様を崇拝していた。必ずやユビキタス様の御許に行き、最大の寵愛を受ける事になるだろう……これがキルプロに与えられた天命だったのだ」
ワイングラスを掲げ、キルプロの死をしゃがれた声で肯定する。
しかし、やはり割り切れていない。
突如ワイングラスが砕け、粉雪の様に床へ突き刺さる。
「……握り過ぎたようだ」
血とワインの見分けがつかなくなった緋色の掌を睨む。室内にいた執事に一切不変の表情でハンカチを渡されると、それで手を拭いつつ机の上にあった手紙を見た。
差出人は、サーバー領の領主、ラック侯爵だ。
「ハルトを人質に、ラックから会談を求められている」
「……どう考えても罠だ。行かない方が良いですぞ、公爵」
要約すれば『サーバー領首都であるローカルホストにて会談を要求する』が手紙に書いてある内容だった。
ただし、応じたからと言って人質であるハルトが帰ってくるとは一言も書いていない。
ハルト返還の条件を書かないのは、ランサム側の対抗策を練らせない為だろう。
そもそも会談に行き着くまでに、ハルトの首が繋がっている保証もない。
「だがなんとしてもハルトは、連れ戻さねばならん。俺はこれより会談に向かう。ローカルホストから見えない距離ギリギリに、進攻騎士団の本軍を配置しておけ」
元々はキルプロがスイッチを破ったら、合流させようとしていた騎士団だ。数も王都を飲み込むには十分な戦力を各地から集めた。
だが、ローカルホストに十分に近づける訳にはいかない。サーバー領の人間に、ハルトを殺害する口実を与えるだけだ。
ランサムにとって、その展開になっては意味がなかった。
「ですが、それほどに距離が離れていては、あなたに何かあった時に……!」
「会談には三人で行く」
「三人……? ランサム殿と、誰で?」
「一人はルート教皇だ」
ルート教皇がいる部屋の方角に、ランサムが眼を向けた。普段は教皇に忠誠を誓い、女性としての愛さえ受けている姿とは真反対の、盤上の駒をどう操るかしか考えていない無機質な眼を細める。
枢機卿達が渋い顔をするくらいには、冷たい。
だが、『教皇をそんな少ない人数で敵地に置くのですか』と問う者は誰もいなかった。
「あと一人は誰ですか?」
「“マス”」
ルート教皇の名が出た時よりもどよめいた。
「執事……?」
先程から存在感を程よく消し、枢機卿達の傍で侍る老人が前に出た。
外見も身振りも、名家の執事に相応しい清貧さが伺える。その佇まいだけで、ま枢機卿達の襟まで正されているような気分だった。
身に纏う品格は、枢機卿達の疑問符を彼方へ吹き飛ばす。
「改めて紹介しよう。執事であり、私の側近を務めてくれている“マス”だ。この半年間、何度も暗殺者を差し向けられたが、例外なく私を守ってくれた。こと護衛に関しては、騎士でさえ右に出るものはおらん」
「以後、お見知りおきを。また、不足があれば、何なりとお申し付けを」
誰も無碍に扱う事などできなかった。目前にいるのは奴隷でも、執事でもない。明らかに戦う側の人間だ。
だからといって、特に殺気はおろか敵意のようなものは感じられない。漣立たぬ水面の様に、落ち着き払って再び陰に戻っていく。
「それから“デリート”も、いつでも動けるようにしておく」
「デッ、デリ……」
執務室のどよめきが頂点に達した。
ただし、先程までマスに向けられた畏敬に似た感情とは正反対。
突き刺すような畏怖が、枢機卿達を釘づけにしていた。
「あれに勝てる者は誰もおらん。親である俺でさえ、な」
引きつった枢機卿達を咎める事もせず、ランサムは瞼を閉じる。
「……正直、危険かと……“ローカルホスト”も、そもそも我らが手中に納めようとしている王都さえも、全てが消滅しますぞ」
枢機卿達の懸念を無視して、ランサムはマスに命ずる。
「マス。デリートの枷を解いておけ」
「はっ」
陰から陰へ消え入るように、マスが姿を消す。
「なんとしても我が息子ハルトを連れ戻し、サーバー領は跡形も無く破壊してやる。その上で我らの悲願である聖地に君臨し、神による世界統治の狼煙を上げるとしよう」
そのランサムの声が、段々遠くなる。
枢機卿達に威厳を示し続けているランサムの執務室が、マスから遠くなり。
灯りも着けないまま、一寸先は闇の廊下を執事の老人は歩き続ける。
「……」
マスは、準備に向かう為に廊下を歩いていた。
その最中、ルートの私室の扉から光が零れているのを見た。
『良い劇になりそうですわ』
しかし特に用はない為、中で酒でも嗜んでいるだろうルートの気がかりにならない様、静かな足取りでその前を横切った。
『あの泥棒猫の姉妹に許された、最期の台詞はそうね――』
どこかほろ酔いの声が聞こえた。ルートは若いながらも酒には強かったはずなので、相当飲んでいる事は違いない。
その考察をするのみで、マスは何も反応せず過ぎ去った。
『――“どうして、クオリア?”と、“こんな事なら王女になんてなりたくなかった”と、“生まれてきてごめんなさい”かしら』
■ ■
「“デリート”まで出されちゃ、娘達の“ごっこ遊び”じゃ済まなくなりそうだ」
そして何故かランサムが次に起こす行動を、いの一番に察知した男がいた。
テルステル家の屋敷から何千、何万里とかけ離れた王都にいる、とある盲目の国王――ヴィルジンだった。
「クエリ。“ニコラ・テスラ”並びにサーバー領に向かう騎士の総団長に連絡。これより散歩を始める」
あ、一応カーネルにも伝えといて、と付け加えるとスーツ姿の王宮秘書クエリは頷き、姿を消した。
一人になったヴィルジンは、その後一瞬だけ椅子に深く腰を掛け、何も無い天井を見上げる。
「……それにしても、やっと動いたな。
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