第235話 人工知能、きっと二人はどこか似ていた②

「は、ハルト……」


 クオリアの隣でアイナが口を歪ませ、目を逸らした。

 今目前で無様に連行されながら、最低限の威厳を取り繕おうとしているハルトは、“げに素晴らしき晴天教会”の代表とさえ言えるテルステル家の人間だ。


 アイナにとっては、兄であるリーベの仇にさえ思えてしまうのだろう。

 これ以上怒りという感情を増幅させたくない。アイナの瞑った瞳からは、そんな複雑な値がラーニング出来た。


「クオリアアアアア!!」


 惨めに縄に引っ張られながらも、ハルトがクオリアへ咆哮を繰り返す。


「何という大罪を犯した……! ユビキタス様の意志を紡ぐ正当な後継者たる兄上を、なんと卑怯なやり方で殺してくれたのだ……!」

「あなたは誤っている。キルプロの生命活動を停止させたのは自分クオリアではない。また、“卑怯”の単語は登録されていない」

「クオリア様を卑怯者などと……!」


 思わず飛び出そうとしたアイナだったが、見ずともその行動は予測できたので腕で遮る。“卑怯”の意味は分からないままだが、アイナが猫耳を逆立てる程の罵倒なのは理解した。


「獣人風情がふざ、けるなっ……! 下郎共……離せぇぇ!!」


 屈強な騎士達に引きずられ、観衆達へ見世物状態になりながら、どんどんハルトの姿が遠くなっていく。

 耐え忍んでいた表情のアイナだったが、途端に何か「あれ?」と眼を見開いた。


「アイナ。何かを認識したのか」 

「この声、どこかで……」


 王都の、とある店のフラワーガーデンで聞いたような。

 という所まで思案を巡らせていたが、すぐに首を左右に振って払ってしまう。


「いえ、クオリア様を卑怯者呼ばわりするような人、私が忘れる訳ありませんから……ましてやハルトと会った事もありません。思い違いでしょう」

「……」

「クオリア様、スピリト様の所に行かないのですか?」


 連行されるハルトの背中を見たまま、クオリアが動かない。

 じっと見つめたまま、動かない。

 アイナが怪訝そうにクオリアを見つめていると、ようやくクオリアがその意図を出力した。


「ハルトの人間的反応は他の個体と比べ、それぞれ僅かな違いがある」

「……はい? どういう事ですか?」


 昨夜、ハルトと戦った時からずっと感じていた違和感を、クオリアは口にした。


「結論。


 そのままアイナには呑み込めなかったようで、きょとんとした顔で聞き返してきた。


「つまり……あらゆる行動が、嘘って事ですか?」

「そう推測される。しかし、人間の特性上あのような状態は少なくとも異常と判断する」


 嘘を付いている、なんて生易しいものではない。

 ハルトの心そのものが、自分さえ騙す嘘のみで構成されている。


「仮定。


 ここに来て、一つの問いが匿名の霧に囲われた。

 “心とは何か”。

 それを解き明かすには、“嘘”という性質さえもゼロから学習しなければならない。


 だがそんなハルトよりも、クオリアが今着目している“心”は別にある。


「――皆様。大変申し訳ございませんでした」

「ノイズが発生」


 その声を聴くと、クオリアの演算回路にノイズが発生する。

 異質な“笑顔”が、クオリアの前を過ぎ去ろうとしていた。


「これより私達はあなた方が笑顔になる様に、奉仕する事こそを、唯一の善として実行します。まずはあなた方が求める通り、私はあなた方に捕縛されます」

「……縄が無くていいのは楽だが、くそっ、なんだこりゃ。気持ち悪いな」


 吐き捨てながら過ぎていくサーバー領の騎士達の中に、進攻騎士が一人笑顔を浮かべている。囚われの身として、拘留所まで自発的に進んでいく。

 笑顔だらけなのに、どこにも“美味しい”を感じる事が出来ない。


「あれは“心”ではない。……楽園、“虹の麓”……これは評価が低い」

「……私、こんな貼り付いたような笑顔ばかりの世界……いやです」


 隣でアイナも神妙な顔をして頷く。


「この人間達には、正常な“心”が存在しないと判断」


 クオリアは一ヶ月前、量子世界の彼方でシャットダウンと似たような問答をした。

 合理的な笑顔塗れの世界。“PROJECT STAGE 2”。

 勿論厳密には違うが、今クオリアが見ている“虹の麓”の片鱗は、シャットダウンが出した“笑顔だけの正しい世界”に酷似している事は間違いない。


 ノイズの正体はこれだった。

 あの進攻騎士の様に、誰かの笑顔を見る事“しか”行動原理が無いような、機械と同じく心も“美味しい”もない世界。そうなるのが、クオリアは嫌だった。


 雨男アノニマスを、完全な脅威と判断する事は今でも出来ない。アイナの命を救った恩を一日たりとて忘れたことは無い。

 だが、彼の言う楽園だけは許容できない。


「結論。“虹の麓には、“心”が存在しない」


 クオリアの脳裏にあったのは、皆の笑顔。

 それが虹の向こうに霞んでいくイメージだった。


雨男アノニマス。あなたは誤っている」


 その敵対宣言は、今まさに檻のある建物に押し込まれようとしていた雨男アノニマスの耳にも入っていた。

 


     ■        ■


 石が閉じる冷たい音。

 直後、ふらつきながらもハルトが檻の棒に手をかける。


「君達……僕を助けて、“正統派”に改宗するつもりはないかい!?」


 必死に掴んだ檻の向こう、去ろうとする騎士へとハルトは誘いの言葉を恐る恐る掛ける。

 騎士達は睨み、鼻で笑う。


「ユビキタス様はちゃんと我らの心を届かぬ天から見守ってくれている。俺達はそれを知っているから、テルステル家だろうが戦えるんだ。だが願わくば、これ以上ユビキタス様の血を汚してくれるな」

「そんな! 待ってくれ!! 待ってくれええええ!! 嫌だあああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」


 慟哭の後に、会話は無かった。ただ階段を上って去っていく音、ハルトが一人、檻の中で座り込んだ衝撃しかなかった。


 ハルトは、絶望そうな顔をしていた。

 暫く、硬直していた。

 そして、テルステル家三男という仮面を外す。


「……さて、やはりクオリアは俺を雨男アノニマスと断定できないようだな」


 雨男アノニマスたるハルトに幸運した、嬉しい誤算。


『クオリアと共に連行されたら、微妙な挙動の違いとかで、正体に勘付かれてしまうんやないか?』


 ケイの疑問に答えた通り、ハルトが雨男アノニマスだと勘付かれることは無い。先程のクオリアとの接触で、確信を得た。

 理由は、雨男アノニマスに扮したシックスの前で、ハルトが倒れていたという事実が邪魔しているからだ。


 『ハルトが雨男アノニマスにやられた』。

 この事実の目撃者を誰にするかについては特に意図していなかった。

 目撃したのが誰であろうと、雨男アノニマスとハルトが別人物であるとクオリアに印象付けただろう。


 蓋を開けてみればスピリト達に見られたことは、完全な幸運だった。

 信頼できる仲間からの情報を、クオリアは無視出来ない。

 結果、如何に微細な挙動の違いで真実を掴むクオリアと言えど、ハルトと雨男アノニマスを結びつけることは不可能になったのだ。


「俺の状態に全く勘付いていないって事も無さそうだ。やっぱリスクはある、か……」


 とはいえ、この“情報”によるクオリアへの制限も完全ではない。

 先程のクオリアの反応から、違和感くらいは憶えていると判断していた。


『“虹の麓には、“心”が存在しない』


 クオリアについて感じていたのは、リスクだけではない。

 あんな発言をした、落胆もだった。


「しかし……言うに事を欠いて、なんだよ“心”って。拍子抜けもいい所だ。本当に意外と、非合理的な事もいうんだな……」


 楽園への完全な同意は、最初から求めていない。

 しかし、もしかしたらどこかで期待していたのかもしれない。

 そしてラヴが名付けた“ハローワールド”、その看板を背負うクオリアに失望してしまったのかもしれない。


「じゃあ、てめぇは心を知ってんのか」


 一人。雨男アノニマスは誰かに詫びるように、重く口にした。


「食糧の独占と、飢餓を。貴族故の傲慢と、奴隷故の差別を。誰かを足元に置きたい支配欲と、神に意志も委ねたい怠惰を。生きる為の必死の苦悩と、死すら厭わぬ絶望を。免罪符になる正義と、四面楚歌の孤立を。戦争故に剣を振るう不本意と、戦争故に無関係に命が奪われる虚無を――これらは全部、てめぇの言う心故に起きてることだよ。ずっと俺達は、この2000年でそれを繰り返してきちまった」


 誰も聞いていない。

 壁に跳ね返って、呪詛としてハルトの耳に入る。


「……あの騎士達は二度と傷つけることは出来ない。誰かを助ける事だけを考えて生きる。誰もが笑顔で明日を迎えられるようにする。全世界の人間が楽園の住民になれば、ラヴがずっと夢見ていた世界が実現する……産まれた時から笑顔で天寿を全うする、心故の悲劇が全部なくなる世界になるんだよ……!! 俺はそれを、晴天教会の終焉と共に、この命を懸けて成し遂げる……!! ……」


 誰も、いない。

 もうハルトを止める者は誰もいない。

 檻の中でただ一人、枯れた声で想像の向こう側にいるクオリアを睨みつける。


「止まない雨は無いじゃねえよ。今降ってる雨で世界は沈んでるんだよ……!! “心”なんて美しい綺麗事の為に、これから先も明日を生きる事が出来ない命が出てくる。そんな世界の現状を良しとするなら――」


 ハルトの脳裏にあったのは、ラヴという少女の笑顔。

 その死に顔が、雨の波紋広がる泉に沈んでいく様だった。


「クオリア。てめぇは間違っている」



 元人工知能の、心拾う少年。

 元人間の、心捨てた少年。


 きっと、二人はどこか似ていた。

 それはきっと、コインの表裏のように。

 それはきっと、実像と鏡像のように。

 それはきっと、太陽と月のように。

 それはきっと、寝る時の夢と起きている時の夢のように。

 それはきっと、平行の直線同士のように。

 それはきっと、イコールを挟んだ数式の様に。

 それはきっと、人工知能と人間のように。

 それはきっと、兵器と獣のように。

 それはきっと、心と世界のように。


 どこまでも極限まで似ていて、しかし二人は決定的に矛盾した。

 似ているだけで、根本的に違った。

 心から、違った。

 “美味しい”と“楽園”は、破滅的に相反するものである。

 

 

 きっと、二人はどこか似ていた。

 でも、それが二人の答えだった。

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