第233話 人工知能、色無き虹を見る②
星座のような雲から、煌めく雨粒が降ってきた。
ハルトと、悪辣たる騎士目掛け、拍手のように大豪雨となって水面へ打ち付ける。
魔術人形達の直前で貼られた虹の柱。これが壁の役割を果たして、内側に水面が溜まっていく。
天の川のような水面が、中の人間を飲み込む。
「あああああああ!! あああああああ!!」
騎士達は、為すすべもなく沈む事しか出来ない。
しかも何かの引力が発生しているのか、藻掻く事さえ封じられた。
「呻くなよ。別に窒息する代物じゃねえ。少しだけ大咀嚼“ヴォイト”の“涙”に心を喰われてもらうだけだ」
ハルトも、もう殆ど肩まで浸かっていた。
にもかかわらず、一人だけ落ち着き払っていた。
「教えてくれよ。今どんな気分なんだ? 人の笑顔しか考えられない状態ってよ」
「あ、あ、あ……」
「もう答える事も出来ない、か」
騎士達の眼から光が奪われていく。力が失われていく。
虹の密室に囲われたまま、星空の海中に落ちていった。
一体何故、
結局その訳も、自らの身に何が起きているかもわからない。
もう何もわからない。
脳の中まで浸されているような感覚だけが、騎士達の全てを支配していた。
「いい笑顔だな」
世界の穢れ全てから解放されたような笑顔が、意識を失った騎士に宿った。
「なあ、ラヴ。やっとここまで来たぞ。君が間に合わなかった夢の世界は、誰もが不当に死なず、笑顔で明日を迎えられる“虹の麓”は、すぐそこだ」
■ ■
翌朝になっても小雨はまだ降っていた。
脳の負担は回復したのか、クオリアの動作に支障はない。
「昨夜からの回復状況をフィードバック。今後フォトンウェポンの遠隔操作を実施する際の改善点を……」
改善点の列挙と同時に、昨日までの出来事を振り返る。
あの“虹”を見た後、他の騎士達が現場に向かうも――既に虹は止み、魔法陣の一つさえ無かったという。
あの山頂に陣取って
昨日の情報を整理しつつ、宿屋の階段を降りると、見慣れた猫耳が丁度前を通過した。
「おはようございます……! クオリア様、もうお体は大丈夫ですか?」
「肯定。あなたはレガシィの事で、何か異常は発生していないか」
「今の所は。ちょっと慣れない所に筋肉痛がある、くらいでしょうか」
苦笑いしながら、スカートに覆われた太腿を摩る。ピエーの鳩尾を蹴った時、負荷が彼女の脚にかかったのだろう。
「昼には
「肯定。サーバー領の首都である“ローカルホスト”に移動する」
「道中の食事の準備をしたいと思いまして。これから買い出しに出掛けます」
「理解した。
「別にそれぐらい一人で行けますよ……! クオリア様は休んでてください」
「あなたもまだ万全な状態ではない。その為、重量物を運搬させることは負担となるリスクがある」
それは、建前と定義されるものだった。
クオリアは、一人でどこかへ行くアイナの背中を見送るのが、まだ怖かった。
非合理的な演算結果なのはクオリアも分かっている。
だが非合理的な判断をさせるくらいに、元アンドロイドは今でも血塗れな少女の夢を見る。
それに、アイナと二人になるメリットもある。
「あなたと同行した方が、
何となくアイナと一緒に居る時の方が、一人で部屋にいるよりも体が回復するような気がした。
そんな気持ちを、クオリアとしては思ったままに出力しただけだった。
だからアイナがどうして湯気でも立ちそうなくらいに紅潮しているのかが、分からなかった。
「で、で、ではお願い、します」
「アイナ。あなたの挙動に異常が検出されている。やはり休息行為をするべきだ」
「だ、大丈夫です!」
アイナがおかしい。
クオリアが広げた傘へ、アイナを入れた時もそうだった。
密着したクオリアと傘を、目線が行ったり来たりしている。
「え、えーと……」
「アイナ。やはりあなたの挙動に異常を検出」
「……クオリア様、色々ずるいです……」
店までの肌寒い道中、一つの傘の下で妙に縮こまっていたアイナの挙動をラーニングしつつ、状況の整理を再開する。
「説明を要請する。スピリトとエスはまだ睡眠状態か」
「スピリト様がこの街に来ているサーバー領の領主と話をしに行きました。ロベリア様が
「
「それで、エスちゃんは起きてたので誘ったんですが……考えたいことがあるって、今は部屋にいます」
まるでその時のエスの表情を再現する様に、物憂げな表情になってアイナが妹のように接しているエスの心を慮る。
「……仲間だった魔術人形が昨日の戦いに居合わせた事に、何か思うところがあるみたいで」
悩むのも、人間らしくなった証拠だ。心があるからこそ、悩むことが出来る。
帰ってきたらエスの悩みもラーニングしたい。そう思った直後だった。
甲冑の足音があった。
雨でも洗い流せない、血の臭いがあった。
「脅威を認識」
クオリアがアイナを庇いながら止まった直後、物陰から一人の騎士が幽霊のように湧き出た。
甲冑から見て“正統派”。進攻騎士団。
それだけの情報があれば、アイナを襲ってくる事も容易に予測できる。
ひとまず無力化の為のフォトンウェポンを生成しようとした時だった。
後ろで震えていたアイナが、途端に何かに気付いたように、眼を見張る。
「クオリア様、この人……何か、ヘン」
「説明を要請する。それはどういう――」
クオリアはもう一度、小雨に打たれるがままの騎士を見た。
ぐちゃ、と騎士は剣を落とした。
拾う事無く、騎士は顔を真正面に向ける。
“笑顔”だった。
「……そこの二人、何かお困りの事はありませんか?」
これまで、クオリアは色んな“美味しい”をラーニングしてきた。だからこそ、それが反映された笑顔のデータ蓄積量も今や凄まじい。
「……アイナの発言通り、これまでラーニングした人間の挙動ではない」
蓄積があるからこそ、クオリアも今取得している“笑顔”から、その煌めいた純粋無垢な瞳から、不気味なノイズをインプットしていた。
確かに、今歩み寄ってきている騎士は、心からの笑顔になっている。
しかし、これまで取得してきた“美味しい”と、何かが違う。
人と、人を模した機械というくらいに、違う。
「じゅ、獣人の娘さん……あなた方にはこれまで、酷いことをしてきました……その分、あなたには幸福になってほしい……」
「えっ、えっ……?」
アイナに近づこうとした騎士を、クオリアが割って入り、押し返す。
暴力の意志は、一切感じられなかった。
ただ、いつもの脅威とは別ベクトルの“怖さ”を、クオリアは認識していた。
「あなたの目的は何か。“正統派”の行動パターンから、大きく矛盾している」
「大したことではありません。今重要なのは、あなた達を笑顔にする事です」
騎士はスイッチの街並みを見渡し、一瞬だけ表情を曇らせた。
「それだけではありません。このスイッチには、我々が攻めてしまった事で多大な損害を被らせてしまった……暴力は、不幸しか生まないのに」
「……あなたがするべきことは無い。あなたは、捕縛されるべきだ」
「そうすれば、あなた方は笑顔になりますか?」
また“ノイズ付きの笑顔”をクオリアに見せてきた。後ろでアイナも戸惑いを隠せていない。
「あなた方が笑顔になる方法はなんですか? 今お困りのことは何ですか?」
「え、笑顔になる方法って……」
「ああ……きっとあなた方はお腹が空いているのでしょう。今は朝ごはんの時間です」
騎士は振り返ると、剣を拾う。しかしそれをクオリア達に向けることなく、これまた不気味な足取りで、街の外へ向かい始めた。
「ならば、私は山に行って、魔物を屠殺してきます。これからは私の暴力は、魔物を滅ぼし、その肉で人々のお腹を満たす事に使いましょう。他にも沢山の力仕事をしましょう。みんなの為に」
「行動の停止を要請する」
「屠殺は穢れの行為です。その点、私はこれまで多くの命を奪った事により、その穢れに耐性があります。これは、私にぴったりな役割です」
「あなたは誤っている。それはあなたの役割ではない」
回り込んだクオリアが、ピンポイントで顎に掌を打ち込んだ。
予測通り脳が揺れ、そのまま騎士は泥濘の上に卒倒する。
泥塗れになりながら気を失っても、騎士は気持ち悪い笑顔を貼り付けたままだった。
「クオリア様、これって……」
『クオリア、聞こえる!? アイナも一緒!?』
二人の耳に、スピリトの慌てた声が響いた。
「スピリト。あなたは現在、領主の所にいると認識」
『それどころじゃないんだよ! 昨日撃退した進攻騎士団の一部が街に現れて……な、なんていうか、すごく気持ち悪くて!』
はっ、と二人は同じ方向を見た。
色無き虹の様に、幸せそうに気絶している騎士を。
「説明を要請する。その騎士は、異常な笑顔をしているか」
『してるしてる! さっきから変な笑顔で恩を売ろうとしてくるのよ……しかもこの騎士達、昨日クオリアに言った、進攻騎士の残党なんだけど!』
その時クオリアの脳裏に過ったのは、昨日の夜に見た、虹の柱。
進攻騎士の残党がいたのも、確かに“虹の麓”の発生ポイントと一致していた。
「結論。この騎士達は、心が
「は、ハッキング……!?」
「状況分析。それが“虹の麓”の効果と判断」
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