第229話 人工知能、脳のオーバーフローから目覚める
「異常終了からの再起動を認識」
目を開くと平穏で簡素な寝室が広がっていた。上に乗っている布団を払い、窓に移る夜の光景を見た。ここがスイッチであることは間違いない。
「クオリア、お前の応答を要請します」
「……あの後、君は意識を失ったんだ。鼻血がすごかったよ」
反対方向を見ると、フィールとエスが隣に座っていた。
「状況分析」
これを追いかけようとした時点で、記録が途絶えている。
「フォトンウェポンの遠隔操作による演算回路への負担が限界値を超えた為、
「……」
「エス、説明を要請する。
造形が整った、あどけない人形の様な顔。
それがクオリアと数センチにまで迫っていた。
「お前の心に問題がない事を確認しています」
「理解を要請する。
「クオリア、お前は自身への損傷を過小評価する傾向にあります。私は、お前がまた “シャットダウン”にならないか、心配でした」
「理解を要請する。“大丈、夫”」
すると、身を乗り出したエスから後頭部を撫でられた。
“なでなで”だった。
まるでバッテリーでも充電するかのように、温もりがクオリアに心地よさを与えていた。
「疲労が溜まっているのならば、私は“なでなで”でお前を称賛します。そして後ほど食事を作成します」
「“あり、がとう”」
「……天にましますユビキタス様、戦士を無事に帰還させることが出来た事、心より感謝申し上げます」
祈っていたフィールに、クオリアが尋ねる。
「説明を要請する。現在キルプロはどのような状況か」
「ハルト枢機卿とキルプロ枢機卿は行方不明。進攻騎士団は散り散りになって、もう軍の形を成してないみたい……スイッチは、理不尽な侵略戦に勝ったんだよ」
窓の外で縄にかかっている進攻騎士が何人か見えた。敗北した事への恐怖よりも、信じていたものに裏切られた絶望の方が、その表情から多く検出された。
信仰していた対象が消え去ったような、進攻騎士の絶望。
キルプロの敗北を聞いて、かつ “白龍”が消滅した事で、戦意を喪失したのだろう。
だがもう一つ、分からない事があった。
「フィール。あなたがここまで
「いや……
「はい。私やスピリト、レガシィも丁度その場に遭遇しました」
「
「
何かと
しかしクオリアとしては、あの場で
彼の言う楽園、即ち“虹の麓”とは何なのか。
キルプロを倒したら、あの場で全て話してもらうつもりだったのに。
「――シャットダウン」
前世の個体名が、クオリアの耳に入った。
クオリアが意識を取り戻した事で安堵していたエスの表情が、また無に帰す。
「クオリア。アイナが元に戻っていません」
エスの言う通り、今近づいてきているのはアイナではない。外見はアイナでも、その中身が違う。
愛らしい顔立ちを覆っているのは、いつもの優しい微笑みではない。
無味乾燥の、機械の様な鉄仮面だ。まだレガシィがログインしている。
「レガシィ。アイナからログアウトする事を要請する。警戒すべき事態は終了した」
「間もなく
要は、レガシィが表面化していられる時間はもうすぐ終わる、という事だった。
しかし、すぐレガシィは続ける。
「説明を要請する。シャットダウン。貴様は何故不効率な方法で戦闘行為を行うのか」
「不効率な方法って……さっき“白龍”を倒した時の事?」
「肯定」
フィールが尋ねると、頷かずレガシィは応答する。
「5Dプリントによるフォトンウェポン生成、かつ
人型自律戦闘用アンドロイドに立ち戻る、全ての“美味しい”を完了させる最終兵器。
その言葉が出た途端、クオリアの隣でエスが魔術人形らしからぬ震えを一瞬だけ見せた。
「否定する」
クオリアは淡々と、決まりきった答えを返す。
「
「何故シャットダウンへと戻らない。貴様が過去に
「
人間として転生してから、学んだ“言葉”だった。
シャットダウンの時代には無かった、人の心が反映された文字の羅列。
「貴様は矛盾している。それらの文字に、シャットダウンへの回帰を上回る優先度はない」
「あなたは、人間について、この世界についてラーニングする必要がある」
「既に私には人間についての情報がインプットされている。人間の構造だけではなく、地球上の人間がどのような経緯を経て消滅したのかも、インプットされている」
「あなたは誤っている」
クオリアはその誤りを突く。
「レガシィ。あなたはこの世界の存在となった。故にこの世界について知らなければならない。地球で得た情報は破棄する事を推奨する。人間とはどのようなものか、獣人とはどのようなものか、魔術人形とはどのようなものか、アカシア王国はどのようなものか、宗教とはどのようなものか、あなたが今インストールされているアイナとは、何か――“心とは、何か”を、ラーニングする事を推奨する」
「……」
「レガシィ、応答を要請する」
レガシィの様子がおかしい。
直立不動だったのが、だらんと体中の脱力が始まり、今にも倒れそうになっている。
その限界を迎えたのだ。
「貴様は……私が作成した時のシャットダウンから……想定外の学習によるダウングレードを……実行している」
胡乱で、今にも閉じそうな瞳でクオリアを見た。
その瞳に映っていたのは。
とある、青い星の様に見えた。
「人間は……失敗例……人間は最終的に……必ずあの完了形を迎える……シャットダウン……貴様も……人間と同じ演算をしている事に……私は……非常に……私は……貴様を……また管理しなければ」
それ以上の声は無かった。フッ、と全身が脱力してよろけた彼女をエスが受け止める。
数秒後、猫耳を宿した少女の顔が起き上がった。
開く瞼の間に、しっかりと光が宿っていた。
「……エスちゃん……クオリア様」
エスが支えていたのは、クオリアの目前で目を覚ましたのは――紛れもなく、レガシィがログアウトした後の、ありのままの姿。
つまり、アイナだった。
「アイナ!」
通常時より大きな声を出して、アイナに真正面から抱き着くエス。
その後ろ髪もラーニングしながら、クオリアもアイナに尋ねる。
「アイナ。説明を要請する。あなたの意識に、問題はないか」
「……はい、何というか、夢を見ていた感覚です」
寝起きの様な雰囲気で、エスの後頭部を撫でながら“夢”の内容を語る。
「何となく……私が眠っている間に、どうなっていたのか……“レガシィ“って人になってたのは……分かります」
「アイナ。レガシィは“人”ではありません」
「あ、うん。それは何となくわかるんだけど……私にはね、この“レガシィ”が人間みたいな所もあるって、思えたの……」
何やら、レガシィをただのシステムと断定するのに何かが引っ掛かっているようだ。
自分でも整理がついていないような疑問符を浮かべていたアイナだったが、突然思い出したようにクオリアの方を見た。
「そ、それより、クオリア様は無事なのですか!?」
心配そうに、真っすぐ見てくる少女の眼。
紛う事無く、純度100%のアイナだ。
それを見て、クオリアの演算回路から僅かなノイズが消えた。安心した。
「アイナ。説明を要請する。今
「……いいえ。でも体は辛そうです」
「理解した。
「――クオリア! 起きてたの!?」
部屋の扉が勢いよく開くと、スピリトが駆けこんできた。
「今、外でとんでもない事になってる!」
「説明を要請する。どのような事が起きているのか」
「頭が、この街の入口に晒されてて……」
「説明を要請する。それは、誰の頭か」
その回答を聞いて、クオリアはスピリト共に建物を飛び出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます