第210話 人工知能、「宗教とは何か」を仮説する

「ああ、クオリアさん……さっきはありがとう……」

「やっぱりクオリア様はユビキタス様の化身だ……悪い使徒を倒して、俺達も救ってくれた……」


 横たわる騎士で出来た畦道。飛んでくる称賛に、元人工知能は見向きもしなければ、眉一つさえ動かさない。その回路には、先程の治療行為の実績情報のみが反芻されている。

 例え医者から十分だと言われても、人工知能の悪い癖は発動する。

 更なる最適解を、求めてしまう。


「……先程の深度Bに分類される損傷に対しては……を二重結合した有機化合物が……その場合アナフィラキシーショックの可能性は……」


 淡々と呪詛のように独り言を呟くクオリアに、奇異な目を向ける者もいた。

 だがクオリアへ感謝を伝える者もいた。


「……“美味しい”を検出」


 最適解を求めながらも、“美味しい”という何かを検出する事も忘れずに、ラーニングがてら歩き続けた。


「修道女様……」

 

 クオリアがフィールの後姿を見たのは、その時だった。

 傷の深刻度はそうでもなさそうだが、どこか猛吹雪の中にいるように震える獣人騎士の隣に座り込んでいた。


「何か話したいことがあるのでは? 喉に詰まっている悪魔がいるのでは?」


 治療でも、食事でも治せないくらいに沈み込んだその獣人へ、フィールはまるで添い寝でもするように優しい声をかけていた。


「吐き出してしまいなさい。私がちゃんと、現人神ユビキタス様に代わり、その懺悔を聞き届けましょう」

「……」


 獣人は躊躇いながらも、太陽のように柔らかいフィールの笑みを見て、観念したように語り出す。

 

「……怖かったんです……怖かったんだ……仲間は残虐に何度もザックザクって、剣で槍で何度も串刺しにされて、“改宗”なんて馬鹿げた事言いながら、魔石を無理やり捻じ込まれる……俺も負けたら、捕まったらあんな風にされるって、そう思ったら……!」

「うん。この手の冷たさが、その恐怖を物語ってる。あなたは何も嘘を言っていない」


 包帯に巻かれた獣人の手を、ぎゅっと両手で握りしめるフィール。僅かに、獣人の雪が溶けて、解けた気がした。


「クオリアさんが来て、使徒も倒してくれて、メール公国あいつら逃げて行って、俺やっと、死ななくて済んだと思った……けど、近くに敵がいた。足をやられてた、こっちに助けを求めてた……でも、俺は……俺は……気づいたらそいつを一心不乱に、持ってた剣で、やっちまった……畜生、そいつはもう戦えないって頭では分かってたのに……!」

「そうですか。話すだけでも辛かったろうに、よく最後まで話してくれた」


 獣人の両の拳と、フィールの両の掌。四つの手が交わる一点へ、獣人は涙ながらに顔を突っ伏した。

そして、啜り泣く。


「ううっ、ううっ、うううううううううう」


 獣人は自らの手でやってしまった誤りを、真正直に懺悔した。

 それに対してフィールは、まさに聖母のように口を開く。


「『自分の違反を隠す人は罰される。告白して乗り越える人は次を示される』……“クロムウェルによる福音書”2章4節」


 晴天経典を開いて、フィールは続けた。


「我らがユビキタス様は過ちを犯したとしても、心から悔いて吐き出して、ゆっくりと自分を見つめ直せば、あなたの次の道を開いてくださるの」

「うぅ……うぅ……」

「そうして一杯悔いて、また立ち上がれるようになったら、あなたが犯してしまった罪以上に、人に優しくなってみて」


 獣人はそれからも、フィールに縋りながら戦場で何があったかを口にした。獣人の慚愧をフィールが引き出して、吸い取っている。

 蒼天党の様に自暴自棄になった獣人から、罪という毒を吸い取っている。


 暫くすると、獣人の表情が俄かに変化した。

 まだ立ち直れていない。それでも、どこか憑りついていた何かが、少しだけ薄れていた。

 僅かに“美味しい”が検出できた。 


「俺、傷浅いんで他の騎士の治療手伝ってきますわ」

「ええ。行って、あなたも助けた人と同じようになさい」


 獣人は立ち上がって、まだ重荷を背負ったような素振りを見せながらも、前を向いて走りだしていった。

 一人になったフィールが、クオリアの方を向いてきた。

 眼鏡の奥の純真と、目が合う。


「……さっき聞いたよね、あなたは人間なのかって」


 少しして、フィールは大木を背に寄りかかりながら、訊いてきた。

 一方クオリアは、その大木に登って仮説の診療所を監視していた。患者の体に異常を認めた場合、直ぐに向かうつもりだ。


「肯定」

「使徒を倒したと聞いて、私はあなたが人間なのか正直自身が無くなった。でも、さっきの表情を見てたらやっぱり人間なんだなって思った」

「説明を要請する。さっきの表情とは何か」

「薬を作って欲しいと言ったとき、これまでで一番辛そうな表情していたよ」


 クオリアは過去の行動を検索する。しかしその時、自分がどんな風に表情筋を動かしていたかは、まったく思い出せない。

 まったく思い出せないが、多分、酷い顔をしていたと思う。


「昔、もしかして作った薬を投与した時に、何かあったの?」

「肯定。過去に実績があった」

「その過去の実績が、よっぽど辛かったんだね」

「……“家族”の治療時に、それは発生した」

「家族は……嫌だね。また起きたらどうしようって、思ったんだよね」

「……肯定。しかしあの時点では、やはりあなた方が薬と定義する有機化合物を生成する事が最適解と判断」

「『あなたがたの悩みを、いっさいユビキタス様のものとしなさい。ユビキタス様がその重荷を背負うからです』……ケテルによる福音書5章7節」


 いつの間にかフィールの胸元で開いていた聖書は、クオリアからも見えた。しかしやはり、洗礼によるアクセス権を突破して“古代エニグマ語”を読み解くことは出来なかった。

 しかしユビキタスの教えは、クオリアには受け入れがたいものである事に違いはない。


「あなたは、誤っている。自分クオリアはユビキタスへの信用度が低い」

「それでも、一回ユビキタス様に悩みを預けて、ゼロから考えてみたらどうかな?」


 聖書から言葉を選びつつ、クオリアを見上げるフィールの眼は優しかった。太陽に負けないくらいの輝きは、先程獣人に向けていたものと同じだ。

 慈愛。

 そんな値が、検出された。


「どうしても"家族”が傷ついてしまった時の事を思い出してしまうなら、それらを一度ユビキタス様に預けるんだよ。それで、空っぽになった頭で、どうすればいいか考えればいい。これは気持ちの問題になっちゃうんだろうけど」


 どうかな? と再度問いかけるフィール。

 しかしクオリアは一瞬、申し訳なさそうに目を背ける。


「提案を拒絶する。自分クオリアは、ユビキタスを頼る事は誤っていると判断する」

「……本当に、現人神の存在を真っ向から否定するんだね」

「しかし、仮説。自分クオリアではあの獣人の“美味しい”を創ることは出来なかった」


 えっ? とフィールの声が聞こえた。

 同時、花屋の女店主の言葉が脳裏に浮かび上がる。


『ボウヤ。一つだけ言わせてくれ。宗教イコール悪と考えるのも、危険なんだよ』


 その言葉の意味を、やっとフィードバックする。


自分クオリアは現人神という存在を認めない。しかし、"美味しい笑顔”を創るあなたの行動は正しいと判断する。故に、あなたは信頼が出来る」


 クオリアは、神の存在は認めない。

 だが神の御許で、道を示し続ける一人の修道女を、ようやく認めた瞬間だった。


 例え立場が違くとも、その手段はまるで正反対でも、"美味しい”を創るという役割において、クオリアとフィールは同じところへ向かっている。

 それならば、"げに素晴らしき晴天教会”と言えど、脅威とみなす訳にはいかない。


 神はいない。

 しかし神を信じる事は、それと矛盾しない。それがクオリアの個人的解釈だ。


「クオリア……なんというか、そう言われると、なかなかどうして言葉に詰まるというか」


 フィールも頬を紅潮させながら、聖書を開いて「なんかこういう時の教え、ないかなぁ」と指を忙しく動かすのだった。


「しかし、“死の救済”については、確実に誤っている」


 フィールの手が止まる。


「……いつかは、その時は来るんだよ。その時、怯えないようにするための教えだよ」

「だとしても、生命活動の停止を肯定的に捉える事は不可能と判断する」


 その時、クオリアのコネクトデバイスに反応が走る。左目に映るマップが、アイナ達のスイッチへの到着を示した。


「フィール。自分クオリアはこれより、同行していたアイナ達と合流する」

「アイナって、ここに一緒に来てた仲間の?」

「その後、またあなたに接触する。その時に、あなたの父親にあたるラック=サーバーの座標へ向かったとされるロベリアについて説明を要請する」

「ロベリア……第二王女のロベリア様の事? 確かにちょくちょく家に遊びに来てくれたけど、今来てるってのは知らなかったよ」


 むず痒く頬をぴくぴくと痙攣させながら、「仕方ないか……」と溜息してフィールは首肯する。


「分かった。あなたには大恩があるからね。父上なら事情は知ってるだろうし、私が会わせてあげる」

「“あり、がとう”。しかし説明を要請する。あなたは父親と接触する事を回避しようとする値が見られる」


 頬を掻くフィール。図星だったようだ。


「……私、正直家出当然でここにいるのよ。だからちょっと父上とは気まずいっていうか」



 それからクオリアがアイナ達の所へ向かった後、医者が血相を変えてフィールへ近づいていた。


「クオリアは!?」

「さっき仲間を迎えに行くっていうので、一時的に離れだよ」

「入れ違いか……!」

「急患?」


 フィールの質問に、医者は深刻な表情のまま首を横に振った。








雨男アノニマス様、クオリアとフィールは別れよったぞ」


 その様子を、遠くから隠れて見ていた魔術人形がいた。

 胸の人工魔石を通して、遠くの存在に意志を伝える雨天決行レギオンが一人――マリーゴールドは、いつ戦闘が始まってもいいように得物のナイフを片手にしていた。


『分かった。クオリアの方は放っていい。

「了解したのじゃ。儂はフィールについておるぞ」

『頼んだ。ランサム公爵家を滅ぼす代わりに無関係の人間が軒並み死ぬようでは、全然釣り合いがとれねえからな』

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