第209話 人工知能、医療に貢献する

 クオリアは壮年の医者による的確な治療を見ていた。

 それを見て、ラーニングする。

 最適な包帯の巻き方を。

 最も負担の少ない針と糸の通し方を。

 5Dプリントでは成し得ない、人の治し方を。


「手際がいいな、クオリア君」

「あなたの動きが最もモデルとして最適と判断し、ラーニングを実施している」


 修復と治療は、概念からして違う。

 損傷個所が完全に元通りにすることを修復と呼ぶ。 

 一方治療とは、これ以上傷が広がらないようにする事を指す。その為に、傷を塞いでは縫って、後は人間の自然治癒能力に委ねる。


 アンドロイドからすれば不合理だ。アンドロイドの修復ならば、5Dプリント等の物質変換機能を使って、元の設計図通りに損壊箇所を書き換えるだけなのだから。


 それでも、人間相手の最適解だとクオリアは納得済みだ。嫌と言う程。

 完全なる最適解を人間に適用すれば、人間は壊れる事を学習済みだ。嫌と言う程。


「無視できない深刻度を認識」


 だが、クオリアの手が止まる。


「ぐ……ああ」


 痛みに喘ぐ目前の騎士が抑えていた腕には、刺し傷があった。

 浅いが、明らかに異常な膨張をしていた。発熱もしている。

 細菌が多く入り込んでしまっていた。


「傷口の化膿を認識」

「もう、ダメだ……うっ……」


 人間が生来持つ免疫では間に合わない可能性もある。壊死だって起り得るだろう。

 薬さえあれば。

クオリアが塗布型の有機化合物を生成出来れば。

あるいは免疫を活性化させる有機化合物を生成出来れば。

 死すら覆せる、万能薬を創れれば。


「最適解……」


 クオリアは、唇を噛んでいた。


 シャットダウンの時代に、薬は創ったことは無い。

 創る必要は無かったのだ。

 何せ人類の一切が滅びた世界に、オーバーテクノロジーによる薬など不要だ。


 しかしクオリアが5Dプリントを起動できないのは、前世での経験がない故の、ラーニング不足だからではない。

 エラーは何処にもないのに、設計図は頭の中にあるのに、できない。

 十割の成功率で無くとも、アナフィラキシーショックのリスクを背負ってでも有機化合物を作成し、この騎士に付与するべきだ。


 しかしアイナのアナフィラキシーショックの残響と共に発生する、脳を削るようなノイズが、その最適解を捻じ曲げてしまう。

 

「希望を捨てるな」


 一瞬、クオリアが励まされたのかと勘違いした。

 そう力強く口にする医者の手が苦しむ騎士の肩を叩き、隣で修道女が持ち上げる匙一杯に溜まった粥を示す。


「今はこの粥を食べなさい。免疫に作用する薬草を磨り潰してある」


 その医者はいつだって、この中の誰よりも真剣な眼差しをしている。

 生死不明のアイナの隣で打ちひしがれていた時も、同じく冷静ながら熱い瞳で、クオリアに“希望”を持たせた。


 粥を口に含んだ騎士から、“美味しい”の検出値が僅かに上昇した。きっと味とは別の“美味しい”だった。


「いざとなれば、例外属性“恵”を使う。あまりやりたくはないがね」


 ――例外属性“恵”。

 このワードを発した医者を、クオリアは凝視した。

 確かそれは、“洗礼”によって例外属性“詠”と共に付与される、晴天教会特有の属性だった筈だ。


 珍しい事に、クオリアはずっと忘却していた。

 花屋の女店主から、この医者も晴天教会の信徒だという情報は入手していたのだ。


 つまり、この医者すらも現人神を親の様に敬っている可能性がある。

 誤っている。その可能性は大いにある。


「誰か! この獣人を看てやってくれ!」


 問うべき内容を演算していると、また一人騎士が運び込まれた。

 血塗れな獣人の騎士に意識は無く、胴体に非常に深刻な裂傷を帯びている。辛うじて呼吸はしているが、とても包帯を巻けば改善するような状況でもない。

 誰もが最悪の結末を想定した。

 

 突如、その致命傷に翳した医者の右手から、魔力が溢れるまでは。


「……なんとかしよう。例外属性“恵”の、ユビキタス様の力を借りてでも」

 

 先程改宗者から摘出した魔石、その中に流れる正体不明の魔力と同じ値が検出されていた。

 しかし獣人の体は紫色になったり、膨張したりしなければ、“改宗者”になったりもしない。


 晴天経典の“奇跡”が再現された。

 文字通り、その獣人の傷は回復した。

 映像を逆再生にしたかの如く、裂傷が塞がっていくのだった。


「深刻なダメージの修復を認識」


 まだ獣人は意識を取り戻していない。裂傷から派生したダメージや、他の傷は癒えていない。それでも致命傷が塞がった事で、生命活動の維持率が一気に高まった。これなら通常の医療行為で間に合うレベルだ。


 しかし一方で医者は、立ち眩みでも起こしたかのように膝を着いていた。


医者ドクター。説明を要請する。あなたの挙動に乱れが生じている」

「……例外属性“恵”を使うと、どうしてもこうなってしまうのでね……まあ、自分の限界くらいは把握しているさ」

「説明を要請する。これが例外属性“恵”か」

「そうだ。見るのは初めてか?」


 小さく笑いながら、医者はクオリアに目を向ける。

 初めてでは無かった。過去に王都にて晴天教会の人間と戦っている最中、“自身の損傷を正体不明の魔力で治療する”連中と戦闘をした事がある。


「過去の戦闘実績と一致。例外属性“恵”を登録……説明を要請する。この例外属性“恵”を使用した場合、先程から実施している医療行為よりも、生命活動の停止率は更に低下できる。ならば、この例外属性“恵”を利用するのが最適解と認識する」

「残念だが、見ての通り使用回数が限られていてね。また、さっきの致命傷が限度だ。何でも治せる訳じゃない」


 確かに例外属性“恵”を使った途端、膝を着いた医者の発汗量が著しかった。


「そもそも例外属性“恵”は自分に使うならばいいが、他人だと細胞分裂を劇的に早め、寿命をかなり使ってしまう……彼も10年ほど寿命を失った。後でそれを説明しなくてはな」

「肉体の稼働保証期間が少なくなるという事か」

「まあそう言い換えてもいいだろう。例外属性“恵”は緊急事態に使うべきものだ。本来は時間をかけて、じっくり治すのがいいんだよ」

「説明を要請する。アナフィラキシーショックは発生しないのか」

「少なくとも、免疫暴走の事例は起きていないが……」

「……状況分析」


 クオリアは過去の事例に、例外属性“恵”を当て嵌める。

 もし一ヶ月前クオリアが例外属性“恵”を使えていたら、アイナは生死の境を彷徨わずに済んだはずだ。アナフィラキシーショックも無く、胸の刺し傷を癒せたかもしれない。


「一ヶ月前の事なら、君はアイナちゃんを救えたじゃないか。それでいいんだよ」


 そんな仮定を過去に当て嵌めていると、少し呆れたような顔で医者が諭した。


「あの時例外属性“恵”を使えていたらなんて、たらればを考えるのは野暮だ。人は、その時ある物で何とかするしかない。君はその枠組みの中でも、騎士としてではなく人間として、自分の役割が何かというのを五里霧中で模索したじゃないか」


 少し休憩がてら、医者はその場に座り込んだ。

 もう運び込まれる騎士の数は減少した。アカシア王国の騎士も、メール公国の騎士も、殆どが十分な治療を施された状態になっていた。

 楽しく修道女と会話するあの騎士にも、包帯が巻かれている。

 クオリアが作った包帯が、巻かれている。


「それに今回君が用具を生成してくれたおかげで、多くの命が救われた。もし君がいなければ、治癒する事すらできずに死んでしまった騎士もいただろう。医者として礼を言うよ」

「それは、誤っている」

「どうしてだい?」

「資源を使用し、生命活動の維持に貢献したのはあなたや、あなたと役割を同じにする人間だ」

「そうだな……一人の命を救うのに必要な人数は一人じゃない。一人の知識だけじゃ、一つの技術だけじゃ命は救えない……だけど、それでも君がここにいてくれたことの意義はとても大きい。僕は間違いなく、君のおかげでこの騎士達が救われたと、あくまで感謝を述べるとしよう」



 ――こうしてアカシア王国とメール公国の衝突後、この仮設診療所に運び込まれた時点で息のあった騎士、約5000人の内、死亡してしまった23人を除けばその容態は快方に向かった。


 クオリアは、その医療という戦争の最中に、ラーニングした。

 人の命を救うのは、“美味しい”を救うのは、本来こんなにも難しい。

 きっと、人工知能がハードウェアを修復する事よりも、何の技術も使っていない筈なのにずっと難しい。

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