第208話 人工知能、医療の現場を見る
メール公国の騎士を仮設の診療所に運ぶ最中、クオリアはかつてアイナを救った医者に尋ねた。
「
「言っていなかったかい? 今は王宮に留まっている訳じゃない。各地を回って、医療が行き届かない僻地に行っては、医療活動を行っている……アイナちゃんの時には、偶々王宮にいたに過ぎなかったのさ」
心底うんざりしているように、医者は深くため息をつく。
「……ただ、僕はどうも死神のきらいがあるようだ。行った先々で、何故か重傷者が多くなる。こんな風にね」
「それは誤っている。この事態の原因は、あなたにはない」
「ハハハ、ありがとう。けど、僕は医者だ。目前で倒れている人間がいるのに、敵だから侵略者だからと区別する事も出来なければ、自分の運命に呆れる暇も作ろうとは思えないんだよ」
診療所に着いた。
その先に待っていた“地獄”を見て、医者はこう呟く。
「でも、こんな戦争が起こらない事が一番だよ」
人間の治療と、
一見似ているようで、この二つにはあまりにも深い溝がある。
「状況、分析」
クオリアが見た医療の現場は、壮絶の一言に尽きる。
街中から掻き集めた布の上に負傷者が横たわって、呻いている。その周りで、治療に当たっている街の人間、騎士、そして修道女がめまぐるしく動いていた。
血。
傷。
そして呻き声。
これらは今までの戦闘で、クオリアも十分にラーニングしている筈だった。
脅威を出血させ、激痛と相乗りする傷を与えた結果、呻き声も聞いてきた。
にも関わらず検出されるもの全てが、クオリアに一段と重いノイズを与えてくる。
「これは、非常に理想的な状況ではないと認識」
横たわる怪我人も疲弊している。
それを治そうとする無傷の人間も疲弊している。
二つの立場から検出される“美味しくない”値に、相違点は驚くほど無かった。
「クオリア!?」
「フィールを認識」
クオリアを見つけるなり、一人の修道女が走りこんできた。
茜色のショートヘアに、眼鏡の僧衣――既にその情報はフィールとして登録されている。
「す、すごいよ……あの使徒とも戦って、メール公国ごと返り討ちにしちゃうなんて……」
「フィール。スイッチへの脅威の侵入は阻止した」
「……」
「“だから、もう、死、ぬだな、んていわない、で”」
たどたどしく口にしながら、クオリアは確認する。
目前のフィールが、五体満足で傷付いていない事を。
困惑する瞳の中に、死の救済が訪れていない事を。
勿論このスイッチに住む多数の“
しかしそれ以上に、フィールの中で木霊し続ける“ユビキタスの教え”というものに、真っ向から対峙していたのだ。
一方のフィールは、過ぎ去った死の救済を意識する様に瞼を閉じつつ、伝えるべき事を伝える。
「……子供達は、無事仲間に預けたよ。もう、大丈夫」
「状況認識」
「とにかく、今は君の無事を嬉しく思うばかりなんだよ……あっ、そうだ」
フィールは緊迫した表情で、医者へこの仮設診療所の状況を伝える。
「備品が足りなくなってて……! このままだと数が行き届かない!」
手に纏わりついた血と、頬を伝う汗が、まだ彼女の戦いが終わっていない事を示していた。
医者も苦い顔で唸る。
「……準備が無かったからな。ある分で何とかするしかない」
「私、何とか騎士にも呼び掛けて、街から物資を貰えないか頼み込んでみるよ!」
クオリアはフィールの後ろで、酷い傷を抑えて蹲る騎士を見た。
今回のメール公国からの襲撃は青天の霹靂だ。
故にスイッチに、傷付いた騎士達を癒す十分な準備がないのも頷ける。
リソースが無ければ十分な成果が上げられないのは、治療も修復も同じだ。
「説明を要請する。現在治療に不足している物は何か」
「えっ?」
クオリアは実践するかのように、5Dプリントで一つの機械を生成した。
一見小さな箱の様に思われた銀色の正方形からは、小さな炎が噴き出すのだった。
更に器をその上において、近くにあった水を入れて沸騰させる。
煮沸用の湯が、すぐに完成した。
「……魔導器、も作れるの」
「それは誤っている。このバーナーに火属性の魔術は存在しない」
「いや、どう見ても火属性の魔術なんだけど……」
フィールも、医者も、傷だらけで横たわる騎士も、血塗れで治療に回る修道女も、摩訶不思議なアイテムを呼吸する様に創り出すクオリアに、大きく見開いた眼を向ける事しか出来なかった。
「5Dプリントを使用した場合、治療に必要な資源を生成する事が出来る」
銀色の細光は、一瞬だけその輪郭を象る。
外科用のナイフ。包帯。ガーゼ。縫合用の糸と針。横たえる為の布。
次の瞬間には、それらが生成された。
「おぉ……これなら何とか騎士達を救い出せそうだ」
「薬とかも作れる!? 破傷風が怖い人もいて……!」
「投与する物質の計算を実施」
クオリアには、マインドとの戦闘時にラーニングした毒の情報がある。
これを応用して、破傷風を阻止する
5Dプリントで、薬を試作しようとした時だった。
「肯――」
そこで、クオリアの脳裏に過去が
5Dプリントで直接、肉体へ細胞を補填した時、アイナはどうなったかをクオリアは忘却していない。
斑点による異常。
呼吸困難。
浮き上がる血管。
「否決する」
クオリアの思考回路が、雁字搦めにされた。
最適解が、捻じ曲げられた。
アナフィラキシーショックという
「肉体に付与する場合、5Dプリントでは十分に安全な物質を生成する事が出来ない」
5Dプリントの動作を停止させたクオリアの表情は、鋼鉄の様に凝結されていた。
もう肉体は人間なのに、一切の歯車がかみ合わなくなったアンドロイドを真似ているかのようだった。
フィールがクオリアの様子がおかしい事に気を遣い、心配の眼差しを向ける。
「クオリア……あなたも大丈夫?」
「肯定。動作には問題ない」
医者は大きく頷き、クオリアの肩を叩く。
「いや、充分だ。これだけ用具を作ってもらえるなら、多くの患者を救う事が出来る。薬はある分で何とかしよう。クオリア君、頼めるかい」
「肯定」
クオリアの掌から発した光は、傷付いた戦士を救う道具を次から次へと生み出していった。医者やフィールを始めとした治療者が、それを手に取って傷に苦しむ騎士達の下へ向かう。
脅威が去ってもまだ立ち退かない“死”。
医療はその死を退ける武器。
この死もまた、クオリアが戦うべき概念だ。
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