第200話 人工知能、それでも神を否定する

「げに素晴らしき晴天教会の修道女として、改めてあなたに感謝します」


 フィールが窓から顔を出してきた。

風に揺れる茜色の髪を整えつつ、クオリアをじっと見つめてくる。

 クオリアの御者台からフィールを見返すと、車内も見渡せる。疲れて眠っていた子供達も認識出来た。その子供達の事が、クオリアは気になっていた。

 人間について、ラーニングした一つの常識。子供は、親がいなければ幸せにはなれない。“美味しい”を創り出す事はできない。


「説明を要請する。スイッチに着いた後、この子供達はどのように保護される予定か」

「まず、この子達の親戚を探すつもりだよ。いない場合は、私達が運営してる孤児院で引き取るしかないけど」

「孤児院を生活拠点とする場合、この子供達の“美味しい”は創られるのか」

「お、美味しい?」

「笑顔を指す」


 フィールは力強く頷いた。


「 “げに素晴らしき晴天教会”の修道女として、ちゃんと笑顔と一緒に成長できるように尽力する!」

「……」


 じっと見つめるクオリアへ、決まり悪そうに眼鏡を直しながら見返す。


「もしかして私も子供だろとか思ってる? 一応15歳で酒は飲めずとも、しっかり成人してるんだけど。ちゃんと神学校も卒業済みですー」

「“美味しい”を創る事ついては、年齢との相関はない。ただ、自分クオリアは、晴天教会に所属する人間は、“美味しい”を消失させる傾向にあるとラーニングしていた。しかし、あなたは例外と認識している」

「……そんな事は無いよ。王都で君が退治した“正統派”を称する連中ばかりじゃないんだよ。クオリアが王都でこの一ヶ月、“正統派”の暴徒達を倒してくれていたのは知ってるよ。一ヶ月前、蒼天党の蜂起も鎮圧した立役者って事もね」


 クオリアからすれば初対面のフィールだったが、フィールからはクオリアの事を知っていた。

自分の名が広まっている。その事実を聞いて、クオリアの中に高揚感が湧く事は無い。

 ただフィールが自分の事を知っていた。それを認識するのみだ。


「げに素晴らしき晴天教会の中にも、宗派ってのがあるのは知ってる?」

「肯定。“正統派”とは、ルートが所属する宗派と認識」

「そう。晴天教会立ち上げからずっと、世界には“正統派”の教えが広がっていた……でも、あれは本当のユビキタス様の教えじゃない」


 呪詛の様に低い声がフィールから響いた。

 フィールは懐から厚い本を出す。魔術書以上のページ数で、しかし紙一枚一枚はとても薄い。


「クオリアは晴天経典を読んだ事ある?」

「否定。読んだスキャンした実績はない」

「これがそうよ」


 クオリアは片手で馬車の手綱を掴みつつ、もう片方で聖書を開いた。しかし情報のインプットを演算回路は即座に拒否した。


「エラー。


 晴天経典を綴っていた文字は、クオリアにとっては文字では無かった。

 文字化けしている、と言っても過言ではない。


「そう。読めるはずない。だってあなた、“洗礼”を受けていないもん」

「説明を要請する。“洗礼”とは何か」

「“洗礼”っていうのは聖職に預る為の儀式でね。“洗礼”を受けると、ユビキタス様の力の源であった例外属性の魔力が宿るの。この“古代エニグマ語”は、“洗礼”によって帯びる魔力の一つ、例外属性“詠”を使わなければ、理解することは出来ない」


 晴天経典を構成する“古代エニグマ語”。

それを読むための、認証条件となる魔力を所持していなかった。

 認証プロトコルのメカニズムまでは理解していないが、少なくとも今のクオリアではラーニングも出来ないことは、腹落ちした。


「だから晴天経典は、私達“洗礼”を受けた聖職者の口からしか、普通は聞けないの。だからユビキタス様の教えも、歪む」

「その詳細の説明を要請する」

「要は、私達聖職者の解釈次第なのよ。世に広まる、ユビキタス様の御言葉の意味というのは。たとえ、経典に書いてある内容と違っていたとしても」


 普通の信者は、晴天経典を読むことは出来ない。しかし聖職者は晴天経典を読むことが出来る。

 結果、信者は聖職者の言う事こそユビキタスの御言葉と信じ込んでしまう。

 例えそれが、晴天経典と真反対の言葉を紡いでいたとしても。


「現在の言語に翻訳されている晴天経典も多数あるよ? でもどれも、恣意的に捻じ曲げてられている部分が多くある。ユビキタス様の御言葉が、正しく伝わってない。“正統”にとって都合のいいように、編纂されてる……大体免罪符なんて、許しを金で買うなんて仕組み……あれは絶対に違う」


 悔しそうな意志を、眼鏡の中から取得した。


「だから私は、正しく晴天経典に書いてあることを正直に伝える活動をしてる。起きた時、朝ご飯を食べる時、自らの役割を果たす時、隣人と諍いになった時、誰かを許せない時、許す時、命の危機が迫った時、最愛の人が死んだ時、感謝する時、眠りにつく時、そして祈りの時……人としてどのようにあるべきかを、ユビキタス様の御言葉で導く事でね」

「あなたの活動は理解した。ただし先程から一点、あなたは誤っている」


 大咀爵ヴォイトを討伐した最中に見えた、古代魔石“ブラックホール”の中の世界。その中でユビキタスは、ただ涙を流しながらヴォイトを貫いていた。

 神という特徴など、どこにも見受けられなかった。


「ユビキタスは、普通の人間である可能性が極めて可能性が高い。ユビキタスを人間の上位存在に位置させる方針は、誤っている」

「クオリア!」


 飛矢のようにフィールの声が突き刺さった。

 怒り。その値が、フィールから読み取れた。


「……私も神学校で世界を学び、修道女として各地を巡っているから知ってる」


 一呼吸を置くと、静かに語り出す。

 

「別の神を崇める異教徒の存在も、そしてあなたのような無神論者の存在も知ってるわ。世界は嫌になる程、無限にあるって分かってる。だからそれがもう善だとか悪だとか、そんな事を論じるつもりは無いよ? でも……」


 フィールの後ろで、子供達が不安そうに眼をこすりながら起きていた。


「だけど救われたあなたとはいえ、ユビキタス様を侮辱する事は絶対に許さない……私達、人は不完全な存在。この世で完全な存在は、現人神ユビキタス様のみ。私はそれが唯一無二にして、絶対の法則だと信じてる!」

「その法則は、非常に信頼性が低い」


 フィールの顔から“美味しい”が失われていくのは分かった。だが人工知能は嘘をつくことができない。

 歯軋りをして、まるで挑戦を受けて立つかのようにフィールが睨んでくる。


「あなたは教えに目覚めていない迷える子羊。こうなったらユビキタス様の名の下に、あなたを“げに素晴らしき晴天教会”の教えに目覚めさせる!」

「それは理想的では無い。あなたは誤っている」


 何故なら“神”と呼ばれる概念は、どこまでも語り尽くす事が出来ないから。0と1で表現する事も出来なければ、人間の眼で捉える事の出来ないまやかしだ。にも関わらず、脅威が動く建前にはなっている。

 だからこそ、こんなに苛立つフィールの感情がクオリアには理解できなかった。


「……状況分析」

「状況分析!? あなたいい加減……えっ、何を状況分析してるの?」


 突如対話の殴り合いの中で、クオリアは最優先に対処すべき情報を入手した。

 剣がぶつかり合う音。男達の叫ぶ音。

 巻き上がる煙の臭い。

 それは、馬車の行先である、坂道の向こう側からあった。


「現在、この先で大規模な戦闘が発生している」


 唖然としていたフィールの隣で、情報のラーニングに努める。

 頂きから一望できる景色。広大な自然の中心に、大きな街である“スイッチ”が映っている。

 だがそのスイッチから少し離れた平地で、メール公国の騎士団と、アカシア王国の騎士団――千人規模の戦闘が発生していた。

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