第198話 人工知能、修道少女を助ける

 山林は、慣れていない逃亡者達の体力を奪う。

 それが幼き子供と、彼らを守る修道女であろうとも関係なく。


 途切れ途切れの呼吸が、立派に茂った草葉の間からいくつも上がっていた。


「はあ……はあ……」

「ふぃ、フィール様ぁ……」

「大丈夫。ここなら見つからないよ」


 あどけない幼子達を落ち着かせながら、黒の僧衣に身を包んだ少女――フィールは大樹の陰に隠れ、追跡者を警戒する。


「ねえフィール様……パパやママ達……大丈夫だよね?」

「それは……」


 フィールは言い淀む。

 突如襲ってきたメール公国の騎士達。子供達をあの凶刃から守らんと、子供達をフィールに任せ騎士に立ち向かった親。とても生きているとは思えない。

 しかし親の安否を憂う子供達の眼に、フィールは正論を口にすることを躊躇った。

 故に子供達を抱きしめて、修道女としてその心を安らげる。


「お父さんやお母さんには、現人神ユビキタス様の加護がある! だって皆を守ろうと立派に戦ってるんだもの。ユビキタス様はね、いつだって自分の役割を果たす者の味方なんだよ! だから……あんな邪知暴虐な悪魔だって、きっと返り討ちにする力を下さる筈……!」


 泣きじゃくる幼子の後頭部を必死に撫でながら、胸に下げた太陽のペンダントを握りしめながら、改めて祈る。


「天にまします現人神ユビキタス様。どうかこの子達だけは試みにせず、われらの避け所となり、悪より救い出したまえ……」


 フィールは、“げに素晴らしき晴天教会”の修道女だ。今も“晴天経典”を服の内に仕舞っている。

 ただし、彼女が――というよりは、サーバー領の“げに素晴らしき晴天教会”の教えは、ルート教皇の下にある“正統”の教えと一部異なる。

 

 故に、“正統派”からは異端扱いされている。

 それだけで、“正統派”の信仰が広まっているメール公国の人間から、命を狙われる理由になってしまう。


 メール公国が進攻に来ていたことは、フィールも察していた。

 だからこそ巡礼に訪れた辺境から、この子供達とあの勇敢な親たちを十分な警護態勢が敷かれた街へ避難させようと、独自で動いていたのに――。



 全員、戦慄の絶対零度で固まる。

 見上げると、歪に頬を吊り上げていた騎士達の顔があった。


「う、うわ、ふぃ、フィール様……!」

「隠れて!」


 背後に回った子供達を庇い、フィールが騎士を睨む。自分達よりも体格の良く、戦闘経験のある騎士が三人。一方非力な少女と、更に年端もいかぬ子どもが六人。


「かくれんぼは終わりだ。悪魔の寵児共」


 同じ晴天教会を信仰しているからこその、容赦のなさを実感した。

 この騎士達は子供であろうと嬉々として串刺しにするだろう。

 何故なら騎士達にとって、フィール達は異端だから。


「ふ、ふざけないで! 何の罪も無い子供を殺めるなど、あなた達こそユビキタス様の教えに反してるわ!」

「異端を布教する売女が何を言う」

「邪教の種は刈り取ってこそユビキタス様も喜ぶというもの」


 全く説得が応じる気配はない。女子供だろうと、皆殺しにする気だ。

 鞘から抜かれる凶刃を見て自らの最期を悟っても、フィールは子供達を最優先に考える。

 瞼を閉じて、覚悟を決める。


「……それなら私を飽くまで、痛めつければいい……その代わり、この子たちは見逃して!」

「今度は篭絡か。悪魔め」

「いや待て。あくまで子供達を守ろうというのなら、いいじゃないか」


 騎士の一人が、興味深そうに髭を摩りながらフィールを見下す。


「俺には気になっている事がある。異端とはいえ、修道女ってのは本当に性経験が無い物なのかってな」

「……!」

「異端云々を抜きにすれば正直、絶世の美女だ……清貧、貞潔、服従の三つの修道誓願が守られているかどうかを探る事くらいは、ユビキタス様もやいのやいのと言うまい」


 まだ少女ながらに、女神と見紛うような容姿だった。夕陽よりも優雅な茜色のショートヘアの下、眼鏡に装飾された美貌が陽の下に晒されている。

 更に華奢な肢体とは対照的に、双乳の膨らみが僧衣これでもかと言わんばかりに押し上げて主張している。くっきりと綺麗な球体が二つ。騎士の手が伸びているのは、その先端に向かってだった。


「フィール様……」


 涙する子供の一声で自分を取り戻したフィールは「大丈夫だよ」と頭を撫でて、自分に世界で一番残酷な事をしようとする騎士を見返す。


「そうしたら……この子達は見逃してくれる、のよね」

「おう、ちゃんとしてやるよ」


 騎士はそう軽く返すと、自らの欲を吐き出さんと下碑な顔を浮かべながらフィールの二つの膨らみへ更に手を伸ばす。

 掌と胸が重なる瞬間、フィールは目を瞑る。もう現人神ユビキタスに顔向けできないくらいに汚され、かつそのまま嬲り殺される未来を想像する。


「ユビキタス様……」


 強く瞼を閉じて、小さい声でフィールが呟いた。



「無力化する」



 そんな声が聞こえた気がした。あまりに遠くて、幻聴かと思った。

 しかし目を開いたフィールの視界では丁度、が降っていた。


「ぎゃ、あああああああああっ!?」

「なん、うぐ……」

「あ、あ、あ……」


 次の瞬間には、騎士達は焦げた風穴を痛がりながら、神に助けを求める様に嘆き苦しんでいた。それを助けなかったのは、決して自らを穢そうとしていたからではない。

 あまりに唐突で、理解が追い付かなかったからだ。


「な、何が……」


 夢心地が続く。周りを見ても、自分達以外には誰もいない。

 

「フィール様……あれが、ユビキタス様?」


 子供の一人が、空を指差して口にした。

 その人差し指の先で、何かが重力を無視して天空に鎮座する。


 鳥、ではない。

 まだ遠くで輪郭もぼやけているが、人間である事は間違いない。


「違うよ、だってユビキタス様って、女なんでしょ?」

「わかんないよ。でも僕見てたけど、あの人からさっき光が飛んできたよ……?」

「あれ、男の人かな、女の人かな、ねえ、フィール様……!」


 思わず子供達の会話を諫める事さえ出来なかった。軽々しく現人神ユビキタスを名乗る事は、教義に反していたにも関わらず、だ。

何せ、太陽を背に飛んでくるあの人間を見て、フィール自身にも一瞬ユビキタスに見えていたからだ。


「メール公国の騎士の無力化並びに、逃走していた人間の生命活動に支障が無い事を認識」


 その少年は、奇抜な恰好をしていた。

 両足と胴体に鎧を装備していた。ただ、何個も筒が鎧の表面に貼り付いている。筒の周りではぼやけるくらいに空気が振動している。あの筒が浮遊の動力源となっているようだ。

 そして少年は、ようやく地表に着地した。


 昼一番の真上にある陽光を反射する白髪と、中性的な容姿。

極めつけに、神秘ささえ思わせるような表情が薄い少年だった。


「……あなたが、助けてくれたの?」

「肯定」

「……心より感謝します。現人神ユビキタス様の御心に沿い、この子らを助けてくれたことを」

「お兄ちゃん! お兄ちゃんがユビキタス様なの!?」


 子供の一人が無邪気に問いかける。本当に心が籠っているのか分からない真顔で、救世主である少年は答えた。


「あなたは誤っている。本個体はユビキタスではない」

「えっ……?」

「なら、名前を聞いてもいいかな?」

「本個体は守衛騎士団“ハローワールド”の一員、クオリア」



 ――それが、神の教えによって人々を救う事を目指す信心深き少女と、神の教えによって人々が不幸になる結果しかまだラーニングしていない元人工知能の少年の出会いだった。

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