第191話 人工知能、王都の外へ向かう

「……」


 更に翌日になっても、ロベリアは帰らなかった。

 一人置いていかれたスピリトは、ソファで祈る様に項垂れていた。


「……あのお姉ちゃんが何も遺さず捕まるようなヘマをするとは思えない」


 自分に言い聞かせる様に、ささやかな願いをスピリトは呟く。

 縮こまるスピリトを苦く見つめていたのは、兄を失った経験があるアイナだった。


「だとしたら……もしかして王都から出てしまったのでは」

「その可能性は高い。それを仮説として、エスが御者への調査を実行している」


 と、クオリアが話をしたタイミングでエスが帰ってきた。


「クオリア。昨日ロベリアを乗せたと発言する御者が見つかりました」


 曰く、昨日の夜にロベリアに委託され、王都から離れた西の林道まで運んだ。

 しかし林道を暫く進んだ所で、別の御者団が待ち構えていたという。


 ロベリアも納得して御者に駄賃を渡し、その御者団に送迎され――その後の行方は分かっていない。

 つまり、ロベリアは計画的に王都を出た事になる。


「……なんでよ!!」


 真っ先に壁に拳を減り込ませたのは、スピリトだった。

 彼女を警護するという役割上、本来ロベリアに同行すべきなのに。


「なんで……私を置いていってんの……!」


 壁の軋む音。歯が軋む音。拳が軋む音。

 加えて苦虫を嚙み潰したようなスピリトの悔恨だけが、主人の居ないロベリア邸に響き渡る。


「あなたを随伴させずに移動した理由は不明」

「不明なら聞き出すまでに決まってんでしょ!」


 頭に上った血を冷ます暇も無く、そのまま玄関へずかずかと歩いていく。携えるのは長剣だけと、遠出するにはあまりにも荷物が少なすぎた。

 流石に放っておけず、アイナが追い付く。


「ま、待って下さい……! そうは言っても、そもそもどこに行ったのかが分からないじゃないですか! 準備も無しじゃ、スピリト様も二重遭難するようなものです!」

「そ、それは……でも! こうしてなんかいられない!」


 今すぐにでも追いかけたい気持ちが先行している。いつ攻められても対応できるような隙の無い佇まいが、今のスピリトからはすっかり消えている。

 置いてかれた事に起因する憤怒。

 今こうしている間にも傷つけられていないか、という心配。

 スピリトの中で感情ノイズの砂嵐が吹き荒れている事を慮れるくらいには、クオリアも人間を学習し始めていた。

 実際、クオリアの中にも何故か似たようなノイズが走っている。


「ロベリアは“サーバー”領へ向かったものと推測される」


 ノイズを無視して、クオリアは淡々と状況分析の結果を出力する。


「一昨日、ロベリアはサーバー領を描画したマップを確認していた。また、御者から聞き出した林道の地点、その進路を計算しても齟齬はない」

「サーバー領……!?」

「また、ロベリアは主にサーバー領の中心付近に備考メモを記載していた。記載内容の意図は不明だが、本件と関連する可能性は高いと判断する」


 それを聞いたスピリトの眼に、僅かに冷静さが戻る。


「……“ラック=サーバー侯爵”の所に、いったのかも」

「説明を要請する。ラック=サーバー侯爵とはどのような人物か」

「サーバー領を統治する領主。あそこは“晴天教会”の信仰が比較的深い地域でね。ルート派に当たるわ」

「晴天教会……」


 兄を殺され、自身も酷い目に遭った“げに素晴らしき晴天教会”を連想してアイナが狼狽する。それを見てスピリトがフォローする。


「サーバー領自体は、獣人がかなり住みやすい地域よ」

「えっ? そうなのですか?」

「あまり目立たない地方だから、王国の西側にいた事が無いなら知らないのも無理ないかもだけど」

「はい。私は北の方にいたので……」

「蒼天党のメンバーも、このサーバー領にいる獣人が一番少なかったみたい」

 

 アイナの警戒を解いた上で、スピリトが続ける。


「そして……晴天教会の在り方を巡ってルートと対立してるのよ。聖書である“晴天経典”の解釈を中心にしてね。お姉ちゃんとしては、ラック=サーバー領主が考える晴天教会の在り方に賛同してて親交を深めてる……私も何度か会ってるけど、悪い人じゃない」

「それならば、これより守衛騎士団“ハローワールド”はラック=サーバー侯爵にコンタクトを取る事を役割とする。アイナ、あなたにも同行を要請するが、体のリスクは解消されているか?」


 えっ、と声が漏れるスピリトを尻目に、指示を受けてアイナが励みになるような笑顔で返す。


「はい。もう遠出する分にも問題ありません! じゃあ外出の準備をしますね!」

「アイナ。私も一緒に準備します」

「うん、お願いします」


 当たり前の様に外出の荷物を揃えようと奥に消えたアイナとエス。

二人の背中を、茫然とスピリトは見つめていた。


「いやいや何当たり前の様に出動しようとしてんの!? 私一人で十分だよ! まだ王都内の晴天教会の暴徒も無視できないでしょ!? アイナだって全快したとはいえ、いきなり領地越えはキツイでしょうに!」

「現在、一ヶ月前と比べて“げに素晴らしき晴天教会”の暴走行為は減少傾向にある。“ハローワールド”以外の守衛騎士団も一部、この暴走行為を積極的に停止させようと動いている。それよりも、ロベリアが状況不明である事の解決が最優先と判断する」


 そもそも、守衛騎士団“ハローワールド”の創始者にして管理者はロベリアだ。

 こんな事前通知も無く不在にされては、一員であるクオリアとしては黙っていることは出来ない。守衛騎士団“ハローワールド”には、クオリアやエスだけではなく、ロベリアも必要だ。


 ……アイナを連れていく事へのリスクについては、それを打ち消す程のがあるのだが、ここでは言及しない。


自分クオリアも説明を要請する予定だ。あなたと、自分クオリア達を置いて、何故サーバー領に移動したのかを」

「……」

「もしロベリアが誤っている行動を取ろうとしているならば、自分クオリアは止める必要がある。その為、ロベリアの行動については理解する必要がある」

「……」

「“みんなで、ロベリアを、ただいま、させ、よう”」

 

 ぎこちない弟子の言葉を耳にして、スピリトが小さく笑う。


「あー……なんというか、いい弟子持ったなって」


 クリーム色の長髪でも覆えない顔を、腕で拭う。

 碧眼から溢れる雫は隠しきれない。


「ありがとう……ありがとう……」







 少し後、四人を乗せた馬車が王都から発進した。

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