第190話 人工知能、少女が消失する前日に話す

 雨は上がり、晴天教会の暴動も無い、そんな静かな夜だった。

 “サーバー領”を事細かに描写する地図を、ロベリアは一人見下ろす。現在サーバー領の近くで何が起きているのか、それを示す資料もセットだ。


「……」


 一人、重荷を背負うかの如く顔を顰めていた。

 真昼、テーブルの向こう側にいた父親の顔が頭に貼り付いて離れない。

 

 為そうとする道の上に、巨大な壁として盲目の王が仁王立ちしている。

 その向こう側に在る曖昧な楽園に行けないまま、ロベリアはしゃがみ込んで――。


「――ロベリア」

「あれ?」


 思わず拍子抜けした声が出てしまった。

 ドアの前にクオリアが立っていた。


「いつの間に入ってきてたの?」

「4秒前と記録される。尚、この扉を3回ノックする事は実行した。しかしあなたから応答が無かったため、無許可で入室した」

「ありゃ、ごめんごめん。それで、どったのさ? あっ、今日凄い星空綺麗だったし、一緒に天体観測でもしよっか?」


 スイッチが切り替わったかの様に、天真爛漫にクオリアへ近づく。

 だが、人工知能の眼は誤魔化せない。遂数秒前まで、氷結の値がロベリアの顔から読み取れていた。


「ヴィルジンとあなたが話した後、定常的な挙動パターンと異なる部分が検知されている。先程あなたがカレーを食事した際も、“美味しい”が低く取得された」

「……ほほう。それで心配になって来てくれたと」


 ぴく、とロベリアの動きが止まる。


「でも慣れたものでさ。あの人、私達を7年前に拾った時から、あんな風に唯我独尊だったから。あんな風に、他人の幸せが何かって事を、勝手に決めちゃうの」

「他個体の要求を決める事は、人間は出来ない」

「それをやるのがヴィルジン国王なんだよ」


 力ない笑いが、寂しくロベリアを彩る。


「でもまさか、クオリア君と結婚しろとか言ってくるとは思わなかったな」

「……」

「お? もしや満更でもないかな?」


 上目遣いのロベリアは、いつもと変わらない表情だった。

 けれど、内在する値がいつもとどこか違う。取り繕って、無理矢理帳尻を合わせているだけだ。

 疲れている。苦しんでいる。怒っている。

 あのヴィルジンがロベリアに与えたダメージは、非常に大きい。


「クオリア君?」

「“むり、しない、で”」


 はっ、とクオリアは口元を抑えた。無意識に出た声に、驚いてしまった。

 きょとんとしたロベリアを見ながら、再度出力する言葉を演算する。


「……エラー。“結婚”は詳細に定義されていない。相手と家族になる為の行為であることは記録されているが、自分クオリアはあなたもスピリトも既に家族に近い関係であると認識している」

「……ぷふっ、あははは」


 鬱々とした闇を吐き出すように、ロベリアが噴き出す。腹を抱えて大笑いを始める。


「結婚を知らないっていうか……多分クオリア君の場合は、自分のやりたい事、やるべき事に真剣なんだと思うんだな。どこかのアロウズみたいに女にうつつ抜かそうという考えさえ起きてないんだよ。まあ、流石に裸には反応しまくりだけど」

「エラー……エラー……あなたとスピリトの禁則領域を想起した事によるノイズが発生」

「駄目だ笑っちゃう……むっつりなのかオープンなのかどっちかにしてよ……!」


 二人が出会った時と変わらない爆笑っぷりでロベリアが暫く応答不能になる。

 一通り笑い声を上げると、ようやく椅子に座ってクオリアを見上げた。


「……ねえクオリア君。私がやっている事って、“ままごと”なのかな」


 ロベリアは、続ける。


「私のやっている事って、意味ないのかな。父上の様に、犠牲は犠牲として割り切らないといけないのかな」

「それは、あなたが定義する事だ」


 いつか、エスと同じ問答をした事を思い出す。

 ディードスに使役されていた時代のエスは、真っ白だった。ただの人形として、彼女自身の夢は皆無だった。

 けれど、ロベリアはその夢があるが故に、悩んでいる。

 問いは同じなのに、その背景にある“心”は真逆である。


 クオリアには、経験した実績をヒントとして話す事しかできない。


「しかし、自分クオリアは認識している。あなたは古代魔石“ブラックホール”の発動を止め、獣人の投降を促すための体制を整えた。その後、獣人や住居が破壊された人間への支援を実行し、晴天教会の誤った行動にも対応した」


 ロベリアは、この一ヶ月休んだ事は無い。

 蒼天党の一件の後処理、台頭してきた晴天教会の暴徒達への対応に奔走していた。

 結果論から見ても路頭に迷う獣人は減少した。

 住処を失った人間への仮住居提供により、王都のスラム化を食い止めた。

 晴天教会の跋扈を支援していた貴族の力も抑えた。


 ロベリア曰く、それ以上にヴィルジンは貢献しているらしいが、クオリアには関係ない。

 それだけの事をやり遂げた、たった17歳の少女をクオリアは見てきた。

 そして玄関で良く倒れており、ベッドまで背負った事もあった。


 しかし、その称賛だけではロベリアは足りない。


「……世界はアカシア王国の王都だけじゃない。蒼天党の混乱、空の衝撃ブルースクリーン、その波紋は王都の外にまで続いている。もっとやらなきゃいけない事が、ある筈なんだ」

「あなたは王都の外に位置した事があるのか」

「あるよ」


 ロベリアは頷いた。


「……アカシア王国ですらない、他国のスラム街にいてさ。お母さんが身を窶してまで、7年前に病死するまで、なんとか食べる物を用意してくれた。お隣から人の動く音、赤ちゃんの泣き声がよくしてたっけな。反対側のおじさんは、よく食料が手に入るゴミ捨て場、教えてくれたよ」

「その人間達は、今はどのようにしているのか?」

「死んだよ。守ってくれる騎士がいなくてさ。私とスピリトとお母さんは、運が良かっただけだった」

「……状況理解」

「今の活動じゃ、その人たちも救えない。父が犠牲側に含めた人、晴天教会の庇護下にない人、種族が異なる人……折角この世界に生まれて、死ぬために生きたなんて、あまりに理不尽だから」


 その時、ロベリアが壁の方へ向いた。

 壁の向こう側に、十字架が存在すると、クオリアは認識した。


「ラヴだって、生きたかった。ラヴに見せたかった。あの子が望んだ、みんなが笑顔の世界を」

「……状況分析。あなたの発言に賛同する。“美味しい笑顔”に座標は関係ない。自分クオリアは、この問題を解決するべきだと強く判断する」


 ヴィルジンも言及していた事だ。

 王都の外で今もなお、笑顔を待っている存在が多く待っている。

 ただし、ある一点においてクオリアはヴィルジンに協力しきれない。ヴィルジンを信用しきれない。


「そして自分クオリアは少数の“美味しい”をコストにする手段は承認できない。別の手段を検討する事を強く要請する」

「……」


 クオリアの表情の変遷は薄い。しかし、純粋な願いがそこにはあった。

 “美味しい笑顔”を求める、人間でないと持ち得ない心。

 それに裏打ちされた強い瞳を、ロベリアはどこか羨望しながら見つめた。


「かっこいいぞ。お姉さん、惚れちゃいそうだ」

「説明を要請する。“惚れちゃいそうだ”とはどのような意味か」

「大丈夫だよ。クオリア君」


 サンドボックス領から出た夜、握手した時と同じように、ロベリアがクオリアの手を握った。

 暖かさを確かめる様に、強く握る。


「ちゃんと私は、君が笑顔をどこでも見られる世界を実現するから。ちゃんと人が生きる為に生きる、そんな世界にするから」



            ■          ■




 一人になると、先程ラヴの墓で見つけた向日葵に挟まっていた手紙を、ロベリアは開く。

 その見出しには、古代魔石“ブラックホール”の流出を知らせた筆跡で、こう書いてあった。


『サーバー領に晴天教会が軍を差し向けている』


 雨男アノニマスの筆跡を、目で追う。

 部屋全てを凍てつかせるような、深海よりも暗い瞳を一人澱ませて。


『ラヴが見たかった楽園を成就させたいなら、ロベリアにやってもらう事がある。“場所”が欲しい。その為にサーバー領の――』

「そろそろ、答えを出す時か」


 その夜、ロベリアは思い出した。

 最終破壊兵器シャットダウンへと送り出してしまった、クオリアの背中を。

 雨曝しのまま、永遠に停止した親友たるラヴの遺体を。






 そして翌日。

 ロベリアは、姿を消した。

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