第189話 人工知能、知らぬ間に標的にされる

 王都から離れた、ある地方。

桃色の髪を束ねた一人の女性がワインを片手に奴隷達の拳闘を見下ろしていた。素肌に外套一枚を羽織っただけの煽情的な恰好で、装飾が施された屋根付きのベランダから命令を下す。


「ワインが不味くなりましたわ。互いに全力で淘汰せよと申した筈ですよ。処断なさい。勝者も敗者も」

「そ、そんな……! ルート様、慈悲を、こんなのあんまりだああああああああああああああああああああああ!!」


 二人の奴隷達の最期を見届けることなく、ギロチンの刃が降りた音だけ聞きつつ室内へと戻る。室内には海色の髪髭を生やした濃い顔の壮年が佇んでいた。


「よろしかったのですかな、ルート王女。折角の一家団欒の機会でしたのに」

「私はもう王女ではありませんわ。ヴィルジン国王を本来支配すべき教皇の立場です。次にそう呼べば処断しますわよ」

「これは失礼」


 “ルート”は開けた外套から覗くはだけた前面を隠すこともせず、深々とソファに腰を下ろしてワインを飲み干す。

 新雪の様に白く保たれた極上の女体を一瞥すると、男は喉を唸らせる。


「今日もお美しくあられる。ルート教皇」

「そういう貴方も、老いても白髪に塗れないですわね。流石は現人神ユビキタスの子孫。ランサム公爵」


 晴天経典曰く、かつて大咀爵ヴォイトを打ち破った現人神ユビキタスは、天上の神とまぐわい子を宿したとされる。その子はユビキタスの弟子らと共に、“げに素晴らしき晴天教会”を設立した。

 2000年という時の経過は、一体誰がその血を継いだのかを曖昧にした。

 しかし、ランサム=ロドリゴ・テルステル――現在純粋なるユビキタスの血を継ぐのは、枢機卿の中でも最も力を持つこの男と、その息子達のみである説が有力視されている。


 一時代前、“晴天教会”は窮地にまで追い詰められた。ヴィルジンとの抗争に敗北したのである。

 しかしこのランサムを仕留め切れなかった事が、二つあるヴィルジン最大の失敗のうち、一つだったと人は語る。

 もう一つは――ルートを産んでしまった事だと言えよう。


「ところで、港町パレンティナの奪還はいかがでしょう? カーネルが防衛を強化したと聞きましたが」

「ええ。ヴィルジンが悪辣にも我が家から没収するまでは、我々テルステル家の物でしたからね。しかし……」


 交易の要としてアカシア王国を盛り上げてきた港湾の名を出すと、ランサムは嘆息する。


「あの男女カマ公爵め。我らの動きを察知したのか、随分前から騎士団を整えていました。正直、攻めあぐねている所です」

「今はカーネル公爵の直轄領ですものね。王宮にいた時からあれは一番面倒で鬱陶しい存在でしたわ」

「裏を返せばカーネルを釘付けに出来たとも言えます」

「どういう事かしら?」

「隣国のメール公国が聖戦要請に応じ、軍を動員しました」

「成程。カーネル公爵を港町パレンティナに釘づけにして、西から攻めようというのですね」


 カーネルが現在防衛する港町パレンティナは、アカシア王国の東側に在る。

 一方で、今ランサムが攻め入ろうとしているメール公国は西側に存在する。

 つまり、手薄な西側からアカシア王都へ進軍を始める気である。


 アカシア王国の王都は、“げに素晴らしき晴天教会”にとっては“聖地”指定されている。

 『聖地を異端たるヴィルジンから奪還する』という目的の下では、例え他国であろうと晴天教会を国教としている限り、動かざるを得ない。

 世界最大の宗教の力は、未だ健在の証拠である。


「蒼天党、そして空の衝撃ブルースクリーンで王都が混乱している今こそ、本来の統治者が誰であるべきか。それを分からせる時かと」

「ふふふ。あなたを我がと出来た事を嬉しく思いますわ。教皇として、聖地奪還の聖戦にて奮戦するあなたに、祝福の抱擁を――」



 から暫くして、テーブルに座って書類に目を通すランサムに、ベッドから一糸まとわぬ姿でルートが尋ねるのだった。


「そういえば、雨男アノニマスという異端はどうなっているでしょう?」

「丁度奴の悪行に眼を通していた所です。つい昨日も、進攻騎士団の一団が散々に打ち破られました」

「こそこそとドブネズミの様に……正体もまだ明らかになっていないそうですわね」

「ご安心なされよ。アカシア王国全てを手中に納めれば、鼠一匹隠れる所は無い。反逆した罪咎にて、その魂まで火炙りにされる事でしょう」

「まあ、頼もしい」

「しかし、面倒なのは雨男アノニマスだけではありません」


 ベッドでワインを口に運ぼうとしたルートの動きが止まる。


「王都での異端、異教徒狩りが思いの他進んでいない……ヴィルジンの力を削ぎ切れていないのです。主にクオリアのせいで」

「クオリア……ああ、古代魔石“ブラックホール”の発動を少年騎士の事ですか? ディードスの一件にも関わったという」


 ふん、とルートが若干苛立ちを思い出しながら、外套を羽織る。


「折角“私の替え玉”を用意して避難も完成し、ウッドホースが王都を滅茶苦茶にしてくれるのを待っていたのに……」


 トロイの総団長であるウッドホースも、別段“げに素晴らしき晴天教会”を信仰していた訳ではない。だが彼の野望を裏から工作した結果、何も手を下さずとも国王ヴィルジンを殺せるチャンスを無駄にしてしまったルートからすれば、このクオリアという存在は敵以外の何物でもない。

 しかも、クオリアの厄介さはそれだけではない。


「しかも、空に現れた大咀爵ヴォイトを討伐したのがクオリアという噂も少しながら立っているではありませんか」

「左様にございます。無視出来ませんな」

「ええ。現人神ユビキタスの信仰に関わる、由々しき問題ですわ」


 “げに素晴らしき晴天教会”にとって、大咀爵ヴォイトを倒したという噂は、ほんの些細な広まりでさえ、許容できるものでは決してない。

 大咀爵ヴォイトを倒したという事は、謂わば現人神ユビキタスと同じことをやってのけたという事になる。即ち、ヴォイトを討伐した事によって確立されていた現人神ユビキタスのアイデンティティが唯一にして絶対の存在ではなくなってしまうのだ。

 結果、晴天教会の権威は僅かにでも失墜する。


「あの娼婦の子も、面倒な奴を引き入れてくれたものですわ」

「娼婦の子?」

「あのちょこまか鬱陶しいロベリアですわ。確かクオリアは、ロベリアがサンドボックス領から見つけてきた人材だった筈」

「そのロベリア嬢の事ですが、彼女も今回の聖戦に少なからず関わるかもしれませんぞ」

「あのロベリアが?」

「実は今回の聖戦には、一つだけ障害があります」


 ランサムがルートの下まで向かうと、アカシア王国全体を表した地図が広げられた。アカシア王国と、現在ランサムが軍を集結させている地。その間にある領地を一つ示して見せた。


「教皇。“サーバー領”の事はご存じで?」


 サーバー領。

 ランサムが丸で囲った地は、そう呼ばれる通過点であった。


「ええ……今回の聖戦に当たり、阿呆にも協力を渋っているとか。げに素晴らしき晴天教会に帰順しているにも関わらず、なんと浅ましき事」

「ですが、我らの軍が王都に向かうにはサーバー領を横断するしかない。ですがここの領主はどうも素直に通してくれるかどうかさえ怪しい」

「前々からにすら文句言ってきていますからね。左様ならば構いません。私の名の下、領主に破門、異端認定を突き付けておしまい」

「勿論そのつもりですが、ここでロベリア嬢が関わってきます」


 一瞬、ルートが沈黙してランサムを見つめる。


「まさか……ここの領主と繋がってますの?」

「間者によれば、その線で間違いないかと」

「ふぅん……」


 豊満な双乳を支える様に腕を組み、少しルートが思案する様に天を仰いだ。

 厄介ごとに出くわした時の嘆息ではなく、玩具でも見つけたような小さな笑いが彼女を包む。


「邪知暴虐な父を跪かせるよりも、まずは恥所たる妹に屈辱の血涙を与えてもよさそうですわ」

「現人神の啓示が舞い降りましたか?」

「ええ。とびっきり最高の神託を受けました。ロベリアはサーバー領にやってきますわ。間違いなく」

「ロベリア嬢を弑する事になりますぞ」

「一応直ぐには殺さないで欲しいですわ。あれにはたっぷり怨嗟の中で蕩けてもらいたいの……」


 ルートはワイングラスの中で赤い液体を転がす。

 反射して、ロベリアが映ったような気がした。


「了解いたしました。ご安心ください。我が息子達を始めとした進攻騎士団は精鋭揃いです」

「ええ。惨めに平伏すロベリアが楽しみだわ……娼婦の娘の癖に、身の程を弁えず教皇たる私と同じ血が流れているあの女を、スピリトごと抹消したくて溜まらなかったですの」


 グラスから数適、赤ワインが零れる。

 サーバー地方と王都のみ、赤黒く滲み渡るのだった。





 ただし、この時点でルートとランサムは――雨男アノニマス

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る