閑話1-2 元人工知能 × 魔術人形 × 聖剣聖 with milk after taking a bath

 その日、風呂場でスピリトは流石に吊り上がった頬が痙攣をおこして戻らなかった。


「で? 流石にそれはやりすぎだとか“らーにんぐ”しなかったの? クオリア」


 異性であるクオリアが風呂場にいるから、ではない。クオリアを呼んだのはスピリトだし、今クオリアはとある事情でスピリトのタオル一枚の裸体が見えていない。

 そのとある事情が問題なのだ。


「状況分析。1兆通りの状況を想定し、このタオルによる顔面部分の包装を最適解として算出。実行した」


 クオリアは衣服を着用したままで風呂場に入ってきたどころか、何十枚ものタオルで顔を全方向からぐるぐる巻きにしていたのだ。


「クオリア、お前は誤っています」


 今日の風呂場にはエスの姿もあった。こちらはタオルすら巻いていない。胸の“ガイア”の人工魔石どころか、あどけなさと清らかさの中間にある女体が見事にクオリアの前で晒されていた。

 最も、タオルがクオリアの視界を何重にも遮っていた為、“女性の裸体を見た事によるエラー”は発生しない。だがその最適解の隙間をエスは指摘する。


「そのタオルの巻き方だと、お前は呼吸が出来ません。呼吸の不足は、生命活動の停止に繋がります」

「問題はない。水中における活動時のプロトコルを利用している。5Dプリントにより、呼吸時で得られる物質を血液に供給し続けている」

「なんでそんな所に全力尽くしちゃったの!?」


 よく見れば全身に5Dプリントの光が走っている。気道や肺を通り越して、全身をくまなく流れる血中を書き換え、生命活動を維持している。女性の裸を見ない為に人工的な肺を創り出したようなものである。


「前回、瞼を閉じるだけの対策では、あなたに不利益な結果になった。あなたが転び、それによるダメージを防ぐために、眼を開けてあなたの禁足事項的領域を認識してしまった」

「だから……そんな事気にする必要無いって」

「エラー……ノイズ発生……」


 当然の如く行われるえげつない技術を見せつけられた後の、徹底してスピリトを女性として扱う“プロトコル”にスピリトは狼狽と紅潮を繰り返していたが、呼吸を整え本題に戻す。


「で、話はそれよ! 君の“おーばーてくのろじー”とやらを知りたくて、胸を割って話したい訳」

「はい。私はお前の前個体である人型自律戦闘用アンドロイド“シャットダウン”を元とした超常現象について理解を要求します」

「要請を受託する」


 大咀爵ヴォイトを倒した。そう言われて信じるのは、このロベリア邸にいる少女達と、某女性口調の公爵等の一部の人間のみだ。

 それを実現し、かつクオリアという存在を脅かす可能性のある諸刃の剣。スピリトとエスがラーニングしたいのは、そのオーバーテクノロジーについてだ。


「シャットダウンの仕様について説明する。まずはシャットダウンを構成する混沌物質ワールドパーツについての説明を実行する」

「よし、どんと来なさい! 何せ私は君の師匠なんだから!」


 スピリトが叩くにはもってこいな平らな胸を叩く。エスもそれを真似して、自分の胸を叩く。

 クオリアはオーバーテクノロジーについて説明を始めた。


「うーん……ブクブク……」


 3分後、どんと行った結果、スピリトが湯船に水死体の如く漂っていた。虚しく泡が水面に伝播する。


「スピリト。あなたの理解に障害が発生している」

「待って……量子力学……? 方程式……? 待って、まず、そこから」

「量子力学とは原子、素粒子、それを取り巻く電子に適用される力学を差す。今この三次元空間に位置する存在のみに適用されるニュートン力学とは違い――」

「おぼぼぼぼぼ……」


 10分後、更に基本からインプットした結果、スピリトが湯船に水死体の如く沈んでいた。エスが助ける。


「スピリト。お前はオーバーテクノロジーについて学習すると、致命的な体力の低下が見受けられます。このままではお前は本当に溺死します」

「やかましい! 一週間くらいなら息しなくても大丈夫だっての。ていうかエス、君は理解出来たの!?」

「クオリア。スピリト。私はそろそろ牛乳を要求します」

「明らかに飽きてんじゃん!!」


 ひとまず、エスも理解できていない様だった。


「再度説明する。そもそも波動関数とは原子、分子の状態を示す事に――」

「あー、これ禁断の魔術書だ、開いたら化物みたいな魔力が体に入ってきて多分こんな感覚になる……」


 だがクオリアは手を緩めるつもりも無く、オーバーテクノロジーを支える億千万の理論を事細やかにこの風呂場で全てぶつける気だ。何十年、何百年、何千年かかろうと構わず続ける気だ。教師に向いていないタイプである。

 アプローチの仕方を間違えた。そう判断したスピリトは湯船の蛇口の如く“科学”を出力するクオリアへ提案する。


「じゃあ切口変えましょう、私達が気になった所を聞くって形にしましょう」

「肯定」

「実際、ヴォイトを蹴散らしちゃうくらいにシャットダウンは強かった……そんな君を倒せるくらいヤバい奴らがうようよしていたという事よね。その前世には」

「……“私”以外の兵器アンドロイドは、同一のネットワークに接続されていた。あれらは“私”が倒した個体から、“私”を超える速度でラーニングし、毎秒アップデートを続けていた。そのラーニングの結果、シャットダウンとしての機能全てを対策され、結果破壊に繋がった」

「それは、ディードスの支配下にあった際に各魔術人形同士での連携を可能としていたネットワークと同義でしょうか」

「肯定」

「クオリア。説明をお願いいたします。お前はその時、一人だったと認識します。一人であることに、負の感情を認識しなかったのですか」


 クオリアは、鉄屑の山頂で一人索敵を続けるシャットダウンを思い起こす。


「否定。私はその時、感情と定義されるものを取得していない」

「それはどうかなぁ」


 天井を見上げながらスピリトが疑問を呈するのだった。


「……本当に心が無かったら、クオリアになってもそれこそ人形みたいになってたよ。人の笑顔の為に戦おうなんて、そんなかっこいい事考えないと思うよ」

「……」

「それに、本当に羨ましくてけしからん体つきのお姉ちゃんと比べて、こんな貧相な体に赤くなったりも、しないん、じゃない?」

「エラー……ノイズが発生。そのような発言の停止を要求する……」


 言ったスピリトも、言われたクオリアも丁度この場所で発生した“アクシデント”を思い出したながら震え始める。


「と、とにかく……!  私は正直、アンドロイドがどうとか、オーバーテクノロジーがどうとか、まだ理解は出来てないけど、さ……きっとあったんだよ。シャットダウンの時に、心とかそういうものが」

「心」


 もしかしたら、それは“バグ”と定義した事があるかもしれない。あれはバグでも演算でもなく、考えるという行為だったのかもしれない。

 『心とは、何か?』

 そう問い、考える“自分そのもの”は、確かにシャットダウンの時に必然的に存在していた。


「私は、クオリアと会って、自分が要求するものがあると理解しました。食べて、美味しいと認識する事が出来ました。その経験から、シャットダウンに対して一つ推察します」


 ぷかぷかと水面を揺蕩うエスが、その礼を返すかのように決して悪くない面持ちでその推察を話すのだった。


「地球の人類は既に消失したとお前は言いました。しかし、もし人が生きていたら、私と同じように自分の役割を再定義し、探す事が出来たのかもしれません。何故ならシャットダウンが“転生”と定義される行為の後で、今のクオリアの意識が生成されたのですから」

「……その仮説は、考察に値する」


 今のシャットダウンが人間と会えば、その人間を“最適化”してしまうかもしれない。人間のラーニングが、圧倒的に足りていないからだ。

 けれども、エスの言う仮説を否定しきれないのも事実だった。


「でも、不思議だよね。こんなシャットダウンみたいなオーバーテクノロジーを手に入れておいて、人類滅びちゃうんだもの。実際、どうして人類は滅びたの?」

「それはインプットされていない。シャットダウンが“レガシィ”によって構築された非常に前のタイムラインで、人間が消失した事のみ記録されている」

「……私達が生きているこの星も、2000年前に似たような事が起きたのかもしれないね。大咀爵ヴォイトも一説によれば、失われた技術ロストテクノロジーの結果というし」


 長風呂が得意なスピリトは、未だ湯船につかったまま天を仰いだ。


「もしかして、アイナに転生した? っていうのかな? っていうレガシィとやらに聞けば分かるのかな」

「私はアイナの肉体で、レガシィが表面化する事を評価しません」


 逆にそろそろ火照ってきたのか、湯船から上がるエスにスピリトは尋ねる。


「さっきシャットダウンの時に人と会っていれば感情が芽生えたかもしれないとか言ってたじゃない。私はレガシィっていうの見てないけど、レガシィだって同じ可能性があるんじゃないの?」

「問題点はそこではありません。アイナとレガシィの意識が肉体に同居するという状態は普通ではありません。クオリアも、元のクオリアの意識は表面化していません。そのように、アイナの意識もいつか表面化しなくなる可能性があります。私はそれを、非常に恐れています」


 恐れている。魔術人形は普段このような言葉を使わない仕様だ。

 心が芽生えたとしたら、生憎とこの世界ではマイナス方面について学ぶことが多い。エスも例外ではないし、クオリアも沢山のマイナスをラーニングした。

 そのラーニングしたマイナスに突き動かされるようにして、エスの頭を撫でた。タオルはぐるぐる巻きでエスの表情は見えないが、何かの値がプラスに動いていくのが分かった。


「アイナの中に転生インストールしたレガシィについては、自分クオリアが経過観察を実行する。アイナが消失しない様に、自分クオリアが監視する。だから“大丈、夫”」

「はい。あなたの提案を受託しました」


 頷くエスと、頭を撫でるクオリア。

 その姿を遠目で見て、スピリトは湯気の中に過去を投影する。


(……まるで親子みたいだな。あの二人……親子、か)


 スピリトは8歳になるまで、ある貧困街にて暮らしていた。

 母と姉であるロベリアと一緒に、暮らしていた。

 ロベリアの他に、一日ずっと文字通り身を粉にしてまで二人を育てた母親からも同じような掌で撫でられた事を覚えている。

 8歳の時、病でこの世を去った母の悲しみに暮れる暇も無く、自身がアカシア王家の血を継いでいるという驚愕の事実を思い知らされるまでは、頭を撫でてもらうのが嬉しくて、それだけを頼りに生きてきた気がする。

 もうロベリアにもスピリトにも親はいない。少なくとも頭を撫でる様な親は、もういない。


「最近……お姉ちゃん、元気ないな……ちょっと励ますか」


 だからこそ、姉妹で助け合っていかないといけない。

 姉に自由な人生を生きてもらいたいと願う妹は、そう思い直すのだった。






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