第2章 晴天経典と雨男が見た虹とヒマワリ

第184話 人工知能、一月後の昼前

 蒼天党の一件から、一ヶ月の月日が流れた。

 から帰路についていたクオリアは、その途上で不意打ちの様に声を掛けられた。


「やあボウヤ。言葉は“らーにんぐ”、してるかい」


 アイナの髪をセッティングし、アイナを避難所に連れていき、そして献花の為の花を誂えたある女店主をクオリアは認識した。

 その背後で新しい建屋からトンカチの音が小気味よく聞こえる。蒼天党に壊された店が元に戻るのは、もう目と鼻の先である。


 店の前に設置されたベンチに座りながら、クオリアと女店主は少しだけ対話を繰り広げる。当然、話題はアイナの事へと移った。


「そうかい。アイナちゃんは何とも無いのかい。本当に良かった」

「肯定。既に挙動に一切の異常は無い」


 はあったものの、嘘はない。

 クオリアの正直な回答からは、どこか温かみと重みが滲み出ていた。


「しかし、状況は理想的では無い」


 だが安堵してばかりもいられない。決して嬉しくない何かを思い出したかのように、クオリアは淡々とした表情で前を向く。


「しかし、現時点でアイナが外へ移動するには、非常にリスクが高い」

「そうかもしれないねぇ。この辺でも我が物顔で歩いているよ。“げに素晴らしき晴天教会”に守られた進攻騎士団の連中は」


 アイナは、問題なく歩けるようになった。ロベリア邸の中ならば、一切の問題はない。だがクオリアにとっては、何も理想的な状況ではない。

 女店主も、同意のようだ。


「……アイナちゃんには自由に外を歩いてほしいんだけどねぇ」

「それは私も同意見と判断する。しかし、リスクを無視することは出来ない。先程も、“げに素晴らしき晴天教会”の脅威を三人無力化した。現在王都全域に、同じような“げに素晴らしき晴天教会”脅威が存在している」


 この一ヶ月。クオリアの傍にはいつも戦闘があった。


 相手は、“げに素晴らしき晴天教会”――通称、晴天教会そのものだった。

 異教徒、異端狩りを繰り返す晴天教会の規模は、王都内だけでも蒼天党が米粒に思える程の大きさを誇る。


 晴天教会を深く信仰する貴族や有力者と、その私兵団。

 晴天教会が実質支配する、進攻騎士団。

 彼らは大咀爵ヴォイトが遺していった終末論的思想空の衝撃ブルースクリーンを更に扇動し、更に深い信仰を人間達に強制していた。従わぬ者は、異教徒、そして“異端認定”されては即刻、斬捨てられた。


 

 晴天教会の教えでは、獣人は最初から異端どころか生命扱いされていない。

 それをクオリアはこの一ヶ月で思い知り、同時に恐怖した。

 

 一ヶ月前に見た心臓も呼吸も止まったアイナを思い浮かべながら。


「アイナを外に移動させた場合、非常に高い確率で生命活動が脅かされる」


 クオリアは、アイナが外を歩く自由な様を見たい。

 一番仲の良いエスと隣同士で歩く、二人の後姿を見たい。

 デート、したい。


「しかしこのまま戦っていると、ボウヤが正式に“異端認定”されてしまうよ。一昔前は、その認定を受けるだけで死刑宣告に近かったんだよ」

「それは問題ではない」

「晴天教会の人間がこぞってボウヤを殺しに来てもかい」

「肯定。しかし自分クオリアは生命活動を停止しない。それはアイナとの約束に反する」


 異端認定。その言葉を、クオリアは既にラーニングしている。

 だが人工知能は、神への恐れを知らない。


 このまま戦い続け、異端認定を受け、自身が信者達の標的になる分には問題はない。

 


「家族が生命活動を停止した場合……」


 クオリアは口をつぐんだ。

 “その場合”を、痛いほど分かっている。


 胸から命を失っていくアイナを見て、クオリアは人であることを忘れてしまうくらいに辛かった。

 目を覚まさぬアイナの体温が、いつか冷たくなるのではないかと怖かった。


 あの“美味しくない”は、絶対忘れられない。

 アイナにだって味わせたくない。


「……“無理、はしない”。しかし、晴天教会という集合は、やはり脅威だ」


 クオリアは薄い表情で上層への坂道を見上げた。

 王都で一番高い所に鎮座する“宮殿”。その中に、ルート王女という“教皇”がいるという情報をインプットしている。


自分クオリアは“げに素晴らしき晴天教会”を――」 

「ボウヤ。一つだけ言わせてくれ。宗教イコール悪と考えるのも、危険なんだよ」


 固まり始めたクオリアの解をほぐす様な、意味深な発言。

 クオリアの素直な瞳が、腰に手を当てながら立ち上がる女店主の横顔を見上げた。


「これまで会ってきた晴天教会の信者達が、信心以外の心無い連中ばかりだったのは分かる。けれども、『晴天教会の人間だから悪い奴だ』なんて性急な結論は待った方がいい」


 諭すような口調に、クオリアは黙る。


「それじゃあ君が無力化してきた『異教徒だから、異端だから即排除する晴天教会』と変わらなくなるって事は頭の片隅にでも入れておくんだよ」

「……あなたの提言は受理する。しかし」

。知り合いでね」


 出力しようとしていた判断内容が、クオリアの喉で詰まった。

 アイナが目覚めるまでの“希望”を肩に託してくれた、白衣の壮年が思い起こされる。


「情報の、更新を……認識。しかし、エラー。アイナを治療した医者ドクターが晴天教会に属する場合、その行動は矛盾している」

「矛盾はしているかどうか、今度会ったら聞いてみな……これだけは覚えといて。晴天教会の人間が全て悪じゃない」

 

 女店主はまだまだラーニングが足りないクオリアを励ますように、ぽんと背中を叩いた。


「少しは肩の力を抜きな。ボウヤ。もしかしたらその先に、解決方法があるかもしれないだろ?」



       ■      ■



 クオリアが完全に見えなくなったところで、女店主は店の中に戻った。

 花屋の奥の方、今日も雨男アノニマスはヒマワリを見上げていた。


「一つ答えな。■■■――」


 “晴天教会の人間全てが悪じゃない”。

 女店主は自身の発言を思い返す。

 正義とか悪とか、そういう概念すら逸脱してしまった雨合羽を見ながら。


「その名で呼ぶな。そいつは死んだ」

「アンタ、晴天教会の人間をなりふり構わず殺す気じゃなかろうね」


 今日は雨男アノニマスとしての格好だった。藍色の雨合羽に、狐面。

 小雨が優しく冷やすその全身が、深く吐息する女店主の方を向いた。


「……晴天教会にもいろんな人間がいるって事。アンタならよく分かっているだろう」

「ああ。知っているさ。祈りとやらの力で、甘い蜜だけを吸う連中の事は」


 ヒマワリ以外の花も眺めながら、雨男アノニマスは続ける。


「俺が消すのは、そういう連中だけだ。げに素晴らしき晴天教会を潰すには、それで十分だ」


 雨男アノニマスが、客としての要求を口にする。


「ヒマワリ二本」

「珍しいね。一本は誰宛てだい」

「最近花に目覚めた魔術人形がいてな」

「分かったよ」


 独立したヒマワリの茎を紙で包みながらも、女店主は口も動かす。狐面の向こう側、その顔を知る存在を、心から心配していた。


「■■■。もうよしな。ラヴが死んだのは、アンタのせいじゃないよ」

「それは関係ない。俺はラヴがずっと願っていた世界を見たいだけだ」


 ヒマワリを受け取る雨男アノニマス

 

「楽園を創れば、雨が止む。そうしたら、虹の麓へ行ける。俺の生きる意味は、もうそれだけだ」


 雨男アノニマスは消えた。

 古代魔石“ドラゴン”。かつてはラヴが心臓としていたその力で、途方もない曇天に飛翔したのだろう。


 女店主はため息をしながら空を見上げた。

 雨が強くなってきた。近くで鳴るトンカチの音も、一旦小休止だ。

 

 空へ消えた雨男アノニマスを、先程のクオリアよりも心配そうに一瞬探した。

 まるで雲の向こう、神の国に行ってしまったかのように、結局見つからなかった。


「楽園とやらに行けば止む雨なのかい。雨が止まなきゃ、いつまでも虹は見れないんだよ」

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