第177話 人工知能、おかえり


 眩しかった。

 

「クオリア君、クオリア君、なんだよね?」


 真横で、時間が止まったように眼を開くロベリアも、目を覚ましたクオリアを前にして言葉を探しているスピリトも、そんな顔をしている理由も認識出来てしまっている。


 鼻を掠める空気も、横になった自分を包む布団も、まだインストール仕立て故に感じる体の不調も、何もかもが人間だからこその、感触ありのままを認識出来ている。


 シャットダウンの肉体ならば、感じない事だった。

 人間の肉体だからこそ、取得できる反応だった。


「クオリア、お前の応答を要請します」

 

 エスの小さな体が、クオリアの上に馬乗りになっていた。

 結果あどけない容貌が、クオリアの視界を覆っていた。

 ぱっちりと開いた瞳も、色素の薄い唇も、さらりと垂れ下がっているボブの黒髪も、全てがクオリアの視界を塞いでいる。

 いつもと違って物憂げそうな値が検出されてしまう。分かってしまう。


「応答を返す。自分クオリアは、ここにいる」

「……応答を、認識しました」


 エスの顔から心配が剥がれると、安堵した様に前のめりだった体をストンと座らせる。クオリアの腹部の上。外見通りの少女らしいぺたんとした座り方だった。

 

 クオリアは認識を続ける。

 認識を続けてしまう。


「エラー」


 自分の服と、エスのスカート越しとはいえ、伝わってしまったエスの太腿と臀部の温かさと柔らかさと人肌の値。ずっと触っていたい、しかし触ってはいけない領域に、クオリアは過敏に反応していた。


「エラー。エラー……腹部より、エスの臀部の情報がインプットされている。エスに不利益を与える行動の為、触覚情報取得を破棄……破棄不可」


 まるでスピリトの半裸を間近で刮目した時の反応。

 自ら露わにしたエスの胸を塞いだ時の反応。

 クオリアが一番苦手な、“女性に不利益を与える行動によるノイズ”がぐるぐると回っていた。


 明らかに挙動不審な表情の変化。

 それを繰り返すクオリアの上半身の肩を掴む少女がいた。

 スピリトだった。


「……クオリア、だね、これは」


 心から嬉しそうな声を振り絞って、上半身を起こしたクオリアと向かい合う。

 

「正直に聞かせて。大丈夫なの?」

「……肉体ハードウェアに一部不具合発生。しかし、小さなエラーと認識する……シャットダウンの影響は、現在無視できるほどに低い」

「……私達の前で君はさっきまで黒い鋼鉄の人形になっていて、そして目の前で光ってクオリアの体に戻った。そう言われても、簡単に受け取る訳にはいかないの。だって君の、クオリアの話だから」


 クオリアの両肩を、スピリトの命一杯の力が包んだ。

 聖剣聖の握力の筈なのに、弱弱しくて、しかし突き放す事は出来なかった。


「物凄い難しい話なのは分かる。でも理解するまで付き合ってやるからね。あんたが回復したら、また風呂で胸割って話すわよ。君の仕組みの事、“シャットダウン”の力とやらの事、これからの事。だって私は、君の師匠なんだから」

「……可能であれば、風呂以外での場所を要求する」

「いいえ。お前は風呂で、私達に情報を開示するべきです」


 歯切れの悪いクオリアの言葉に、エスが反論した。エスも相風呂に一緒に入ってくる気だ。

 視界を確実に隠す方法を検討しなければならない。そう考えていると、スピリトが俯きながらクオリアの肩に乗せた手を震わせる。


「だから……だから、さ。もう一人で何でもかんでも背負わないでよ。ちゃんと、正直に、これからの事話そうよ。アイナだって言うよ、きっと」

「……要請を、受託する」


 シャットダウンの仕組みを、人間の言葉で話していたら、それこそ宇宙が拡散して宇宙が収束するまでの時間でも足りないかもしれない。 

 けれど、これからのクオリア、即ちシャットダウンの事を知ってもらう分には、もしかしたらそう時間はかからないかもしれない。


 自分の事。みんなの事。

 知ってほしい。そしてもっと知りたい。

 そう思って、クオリアは首肯したのだった。


「クオリア君……」


 一人、どう声を掛けたらいいのかわからない、そんな顔をしていたロベリアが佇んでいた。

 要約すれば『死んで来い』。そんな絶対命令を、ロベリアはしていた。

 故に、クオリアにどのような声を掛けたらいいのかわからないでいた。


 後悔の渦の中から抜け出せないロベリアに、立ち上がってまでクオリアは近づく。

 守衛騎士団“ハローワールド”の管理者であるロベリアに報告する為に。


「ロベリア。状況を報告する。大咀嚼ヴォイトは確実に消滅した」


 クオリアの口調は、決して恨みなど無い。


「“もう、だいじょ、うぶ、だよ”」


 ただ、ヴォイトへの戦慄が残っていると判断して、“心配して”ロベリアの心をケアした。その心配出来るだけの心に、純粋に家族を見つめる少年の眼にロベリアの心臓に突き刺さったように、少女は大きく目を見開く。

 やっと、ロベリアの笑顔を見る事が出来た。


「……うん。クオリア君、よくやった、偉いぞ」


 クオリアの手を掴んでベットに座らせると、後頭部を“なでなで”する。

 嬉しかった。


「ロベリア、説明を要請する」


 その優しい掌の感覚に甘えながら、クオリアは尋ねる。


「戻る事が出来ない地点に、戻る事が出来た。このような時、人間はどのような文を出力するのか」

「ただいまって言えばいいよ」


 早速クオリアは、ラーニングした。


「……“ただ、いま”」

「おかえり」


 座った体勢のまま、ロベリアから頭を抱きしめられた。

 

「本当にありがとう。帰ってきてくれて良かった……」


 綺麗に育った胸に埋もれる形となり、凄まじいノイズがクオリアの脳を沸騰させそうになった。しかしすすり泣く声が聞こえると、すぐさまに回路が切り替わる。

 ロベリアの真似をして、彼女の後頭部を摩るのだった。

 泣き止んでほしくて。乾いてほしくなくて。




 ――まだ、古代魔石“ブラックホール”に関する事件は終わっていない。

 雨男アノニマスとウッドホースのやり取りから、まだ古代魔石“ブラックホール”がどこかに隠されているという情報をラーニングしている。放っておけば、またヴォイトを産み出すかもしれない。シャットダウンにならないといけなくなるかもしれない。今度シャットダウンになったら、戻ってこれる保証は一切ない。も、もう一度上手くいく可能性は極端に低いから。


 それでも。


「活動維持の為、食事を要求する」

「要請は受託されました。オニギリを作ります」


 まずは、腹ごしらえからだ。

 当たり前に出来ていくのかも分かっていない、手近な美味しいを取得するところから始める。


 その前に、近くで眠り続けるアイナにも言う。

 体に鞭打ってでも、アイナの横に座って、ちゃんと学んだ通りに言うのだった。


「ただいま」


 アイナの“ただいま”も、恋しい。

 クオリアはその日一日、アイナの隣に居た。

 エスのオニギリを食べながら。


「美味しい」

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