第174話 人工知能、クオリアの命題 上巻「水槽の脳は幸せか?」

 0と1で成立する世界。その世界に佇む双方に、違いは殆どない。

 シャットダウンは自浄プログラムに知能を載せて存在している。

 クオリアは量子世界に残った自身の意識、データをかき寄せて存在している。


 クオリアからすれば、今自分が存在する世界全てが脅威だ。

 今クオリアが存在する地点は、シャットダウンのシステムの中。ハッキングして入り込んだ魔石と違い、その全てがクオリアをバグと認識している。結果、最高峰ハイエンドのオーバーテクノロジーで構成されたセキュリティが、総力を挙げてクオリアを駆除せんと起動する。


『脅威を検知。自浄プログラムを作動、脅威名、クオリアの駆除を開始する』


 一切のデータの無を意味する“0”。

 超高濃度に集まったそれが、クオリアを全方向から圧し潰す。


「……」


 無数のサイバー攻撃が跋扈した人工知能支配の地球において、シャットダウン自身へのハッキングを全て無効化してきた。不正なコマンドも、千差万別のウィルスも、須らく駆除を果たしてきた。


 にも関わらず、クオリアは潰されない。

 自浄プログラムの駆除活動が終わった後も、存在を深く傷つけられながらもクオリアは存在していた。


『脅威の排除失敗を認識。フィードバックより駆除手法を変更する』


 形を変えた“駆除ゼロ”が眼前に広がる。クオリアに抗う術はない。ただ耐えて、耐えて、耐えるしかない。

 一切の隙も無ければ欠点も存在しない演算回路の上で、クオリアはかつてのハードウェアに指示を出す。


「本ハードウェアの管理権限の譲渡を要請する」

『要請を拒否する。あなたは誤っている』


 機械音は無慈悲にクオリアを批難する。

 

『“美味しい”を創るという役割において、あなたは何度も誤った』


 まるでクオリアの精神を削る様に、領域全体が過去の記録を反映していく。

 全方向に、サンドボックス領の玄関が映し出されていた。

 玄関の赤色、飾られていた美術品骨董品、嘲笑うメイドや執事、そしてアロウズまでもが一切の齟齬なく仮想現実VRが広がる。


『あなたが誤っている証明を開始する』


 アロウズに叩かれて、転げまわるアイナすらも。

 今でも怒りを覚える光景すらも、残酷に照らされる。


「アロウズを最初に認識した時点と一致」


 その実績の通り、アロウズは余裕綽々で剣を振るった結果、顎に一撃を受けて気絶した――その瞬間で仮想現実が停止した。

 

『あなたはこの時、アイナ以外の対象が全て“美味しい”を阻害する脅威であると認識していた。にも関わらず、アロウズに対しては無力化のみで、また他の執事やメイドには警告のみとしていた。この選択の結果、アロウズはまた、脅威としてあなたに“決闘”行為に及んだ。この時に生命活動を停止した場合、この決闘行為は発生しなかった』


 アロウズの首から、執事やメイドの首から鮮血が舞い散る。

 アイナの静止を振り切っても最適解を示した後姿は、完全に“シャットダウン”へと成り果てていた。


あなたが誤っているフィードバックすべき事項の、二点目を提示する』


 二つ目の仮想現実が、サンドボックス邸を塗り潰していった。

 再描写されたのは、砂煙が舞う王都の上層だ

 獣人と人間の戦闘風景、即ち蒼天党の暴動を追体験している。

 次から次へと人間も獣人も、命を弾かれていく。


 在る“美味しい”が断たれた瞬間すらも。マインドの断頭の瞬間すらも。

 クオリアに見せつける様に、鮮やかに血飛沫を噴き出して再現していた。


『あなたはこの時、明らかに“美味しい”を奪う脅威たる獣人を認識したにも関わらず、消極的に放置した。生命活動の停止による排除は積極的に実施しなかった。結果、マインドから取得していた“美味しい”が排除されるに至った。あなたは最初の行動で、“美味しい”についてリスクの大きい獣人を排除するべきだった』


 王都中で暴走していた無数の獣人達の心臓を荷電粒子ビームが通過した。

 少女を人質に取っていたマインドの右腕も、荷電粒子ビームが薙いだ。

 そのトリガーを握っていたのは、“シャットダウン”だった。


あなたが最も誤っている致命的な事項の、三点目を提示する』


 三個目の追体験が、仮想現実となって残酷に広がる。

 紅くて、綺麗で、鮮やかな血の海の中心には、今わの際のアイナが浮かんでいた。

 眼から光が褪せていく。

 痙攣が小さくなっていく。

 最愛の“美味しい”の喪失が、クオリアとシャットダウンの足元で再現されていく。


『あなたはこの時、あらゆるリスクに対して対処を実行していなかった。特にリーベへハッキングする機会があったにも関わらず、脅威度が非常に大きいリーベの“美味しい”を優先し、バックドアというリスクの特定を実行しなかった。結果、アイナが永久に“美味しい”を剥奪される可能性がある状況に至った。あなたは蒼天党の一連の行動、リーベへのハッキングからバックドア、トロイというリスクを特定し、速やかに排除するべきだった。素手による暴力も、非効率だった』


 荷電粒子ビームが数条煌めく。

 トロイの面々、ウッドホース、バックドア、そしてリーベも二度と動かぬ躯として散らばっていた。

 その中心から、シャットダウンは次のタスクに向かう。

 佇むクオリアの下へ向かう。


『そもそも、あなたは非常にスペックが低い。人間としての水準からも、大きく下回っている』


 “落ちこぼれ”。

 その烙印を、クオリア自身も認識したこともあった。反論の余地はない。


『結論。クオリア、あなたは完全に誤っている。あなたでは、今後の“美味しい”を創る事、また防衛するには信頼度が低い。よってあなたは管理者権限を掌握するべきではない』


 仮想現実で示された照明が、見えざる遠心力で一切消失した。

 その先は、星無き宇宙。 


『私は“PROJECT STAGE 2”の実行を通して、人間、獣人、魔術人形の構造を変更する』


 代わりに、計算式とコードが星無き宇宙の背景エディタに連ねられていく。宇宙のすべてを食い潰す様な数字と文字の羅列バイナリがクオリアを取り囲む。


『あらゆる対象が“美味しい”のみを感じ、“美味しい”を阻害する要因の一切を排除する事が最優先であると判断する』


 確かにクオリアの前に並んだ途中式には、それを成せる完全無欠の理論が込められていた。

 それを卓上の空論としないだけのオーバーテクノロジーが、シャットダウンにはある。

 

『“美味しい”を構成する脳内物質を特定。常時その脳内物質を放出し、かつそれによる耐性を取得しない脳構造にする事で、“美味しい”を常に検出出来るようにする。その人類を“STAGE 2”と定義し、全人類を“STAGE 2”にアップデートする』


 人類が、身分も貧富も種族も関係なく、プログラムの解説がシャットダウンから為される。


『また、“PROJECT STAGE 2”にて人体の脆弱性を修正するパッチを強制適用する』

『栄養を必要とする仕様は脆弱性と判断する。永久機関の付与により、呼吸、食事という行為を不要とする』

『ストレスと定義され、パフォーマンスを落とす仕様は脆弱性と判断する。ストレスを認識しない構造、またその脳内物質が付与されない仕様に変更する』

『生命活動の停止に至る要因は脆弱性と判断する。5Dプリントのインストールにより、生命活動の停止に至る要因を全てメンテナンスにより除外する』

『“美味しい”を得るための行動は非効率と判断する。“美味しい”の常時適用により、修正する』


 クオリアだけを駆除する動きが、シャットダウンのシステム全体を覆い始める。


『その他“PROJECT STAGE 2”にて、2,323,964個の修正パッチを適用する。これにより人類は皆“美味しい”状態となり、かつそれは剥奪されない状態になる』


 そして再度、削除は強行される。

 クオリアの周りが無数の0に包まれていく。兵器回帰リターンの完了を阻害する最後の要因が、文字通りシャットダウンのセキュリティに握りつぶされた。


『その為、クオリアは不要と判断する』


 0に囲まれて消滅するクオリアを見届けながら、兵器回帰リターン率が100を示すのを待った。



 だが。

 “PROJECT RETURN TO SHUTDOWN”は、完成しない。

 何故なら、削除コマンドに攻撃され続けながらも、クオリアの意識はしがみ付いていた。


「あなたの発言は肯定する。自分クオリアは誤ってきた。あなたは正しい」


 みっともなく、醜く、かっこ悪く、初めて間違いだらけの選択をする。

 それでも生きる事を、選択する。

 たとえ自分がアンドロイドの人工知能であり、スペックが不足している落ちこぼれであろうとも、


「しかし、自分クオリアは“PROJECT STAGE 2”を承認しない。自分クオリアが、“美味しい”を創る」


 “美味しい”の夢を見続ける。

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