第171話 人工知能、アンインストールの彼方にて


『Processing... 92%..』


 ――結局、人工知能に心なんて概念は存在しなかった。

 現在、この無銘の星を支配する人間、獣人、魔術人形のみが有していた概念という記録が残っている。

 人工知能にとっては、非合理にして学習不可の不用品だ。

 

 異世界でも、戦いは繰り返されていた。

 例え異世界だろうとも、その前提は変わらなかった。

 人類か人工知能か、いつだってどこだって、その主語が違うだけだ。

 

『人間、獣人、魔術人形の“美味しい”を維持を実行せよ』

 

 その世界に、一層戦果を挙げた人工知能がいた。

 ある落ちこぼれに転生した、人型自律戦闘用アンドロイド“シャットダウン”。

 彼は脅威を圧倒し、ラーニングと兵器回帰リターンを繰り返し、今再び最強の人型兵器と進化した。

 

 これから、守るべき対象を守る。

 命令する主はいなくとも、ただ『人々の“美味しい”の維持』という役割だけが残る。

 結果、これから全ての人類が“暴走した最大の脅威”とラベリングしてもおかしくないような、最凶の人型兵器に成り果てた。

 

 シャットダウンの、戦闘行為は終わった。

 それでも24時間365日。役割を徹底的に全うする。


『Processing... 94%..』


 そしてシャットダウンはクオリアから引き継いだ“美味しい”を創るという役割の設計図、“PROJECT STAGE 2”を作り終えた。

 それは人工知能らしく、どこまでも合理的にかつ効率的に“美味しい”を全人類に付与し、非合理的で障害となる“人間”を全人類から排除する冷酷にして絶対の最適解である――。




『Processing... 96%..』


 今まさにアイナへ“PROJECT STAGE 2”を実行しようとした時、部屋に駆け込む音が聞こえた。

 干からびたようにシャットダウンの黒い外装を見つめる、二人の少女。窓枠に映る自分が見えたのだろう。シャットダウンには予測済みの内容である。

 読み取れる値が近似している理由もシャットダウンは認識している。


『人間認識。ロベリア、スピリトと判断』

「クオリア君……だよね?」


 恐る恐る近づく二人に、シャットダウンは回答を返した。


『あなたは誤っている。クオリアは兵器回帰リターンにより本個体シャットダウンにアンインストールされている。これは復元されない』

「……」


 クオリアと同じ言い方だ。淡々とした口調だ。

 にも関わらず、もうクオリアとは別の何かであると二人が理解してしまえる程、黒いアンドロイドからは一切の人間らしさが消失していた。


『Processing... 97%..』

「お願い……クオリアに戻してよ」

『あなたは誤っている。クオリアはこの先、“美味しい”を付与する役割を実行する個体としては相応しくない。スペックが非常に不足している』

「そんな事……そんな事ないよ!」


 ロベリアとスピリトがシャットダウンに駆け寄る。確かにシャットダウンとクオリアは別個体かもしれない。それでもこのシャットダウンという鎧を剥げば、いつものクオリアが中から帰ってきてくれる。そんなご都合主義の物語に縋りたくて、手を伸ばす。


『Processing... 98%..』

『Execution Quantum』

『“量子化”を実行する』


 二人の手は、何も掴めない。素粒子レベルまで分解されたハードウェアを掴むことは、量子世界に干渉できない人間には出来はしない。

 “量子化”された物質に、人間は干渉する事は出来ない。

 思わず過ぎ去ってしまった二人の背後で、世界最小単位の粒は集結する。

 シャットダウンの形に復元するまで、一秒と掛からない。


 次元が違いすぎる。

 それを思い知ったロベリアとスピリトは、悔しそうに掌を握りしめる。


「クオリア君程……みんなの美味しいを考えていた人はいないくらいなのに」

『あなたの定義する“美味しい”の状態は、私が維持する』


 シャットダウン出力した“美味しい”を、クオリアが口にしていたそれと同一視できる存在はこの場には居なかった。


「何をする気なの」

『“PROJECT STAGE 2”を実行する』

『Processing... 99%..』


 首をかしげるロベリアとスピリトに、その全貌を説明する。


『“美味しい”の定常的な向上状態の維持を、全個体に付与する。その為、人間、獣人、魔術人形問わずそのハードウェアをアップデートする』

「……?」

『全ハードウェアが発生させている脳内物質の中で、“美味しい”に関わる物質が定常的に発生する様にハッキングする。また、“美味しい”に障害となるハードウェアの脆弱性2,323,968箇所に着いて、修正パッチを適用させる』

 

 確かにクオリアならば弾き出さないだろう最適解の羅列に、ロベリアもスピリトも沈黙するしかなかった。

 要は、“無理やり人々をずっと笑顔にする”と言っているのだ。

 しかもその為に、笑顔を阻害する要因を排除するとも付言している。


「何を言ってるの……?」


 ロベリアが震える声で説明を断ち切る。スピリトも同様で、シャットダウンが見ている景色の先、何が待ち受けているのかが想像がついてしまった。

 目前で二人が美味しいからかけ離れている状態になっている事も、シャットダウンは取得する。


『“美味しい”の閾値を下回る値を検出』

『Processing... 99.9%..』


 シャットダウンは検知した。

 センサーの琴線に触れた。

 こちらに訝し気な視線を送る二人は、“美味しい”の状態にない。早急に改善しなければならない。

 シャットダウンの優先順位が、変更された。


『優先順位の変更を実施。ロベリア、スピリト、あなた達から“PROJECT STAGE 2”を実行――』

『Processing... 99.999%..』


 ぴく、とシャットダウンの動作が停止する。

 思わず身構えていた二人も、眉をひそめて様子を伺う。


『エラー。兵器回帰リターンの進捗に原因不明のエラーを確認』

『Processing... 99.999999%..』


 兵器回帰リターンが終わらない。シャットダウンへの完全な置換が完了しない。エラーとして認識しても、中々解決方法が算出できない。異常な箇所がどこにあるのか、検知する事さえ出来ない。

 回路には問題はない。量子反応には問題ない。シャットダウンのありとあらゆる機能に問題はない。


 にもかかわらず、何かが完全なシャットダウンへの置換を妨害している。


『Processing...99.999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999..』


 100の極限と、100の間に、



(クオ……リア……様)



 実はこの時一番最初に気付いたのは、譫言を呟くアイナだったのかもしれない。

 最早人工知能でも計算不可能な、兵器回帰リターン率100%の極限の彼方にいる、愛しき“美味しい”の存在に気付いたのは。

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