第168話 人工知能、星喰らいを凌駕する②
『座標の不正な移動を確認』
先程と、三次元の座標全てが異なっていた。ヴォイトもまた、本人は意図していないとはいえ、光年単位でのテレポーテーションをやり遂げたのだ。
しかし仮にシャットダウンでは無かったとしても、場所が変わったという事はすぐに理解できただろう。
『データベースにない恒星を確認』
近くに恒星があったからだ。
数千万度の灼熱を宿したガス。それが銀色に瞬きながら、巨大な球体を象るように秩序だって蠢いている。
これと似た恒星を、何千個とシャットダウンは認識してきた。ただ異世界であるために、履歴には無いだけだ。異世界だろうと、物理法則が一致している以上、星の造りにも大きな相違はない。
『もう、これでいいや。いただきます』
ブラックホールに吸い込まれた時の挙動も、同じく相違はない。
シャットダウンが恒星の終焉を見たのは、ヴォイトから放たれたブラックホールが十分に近づき、恒星を吸い込んだ時だ。
『恒星の崩壊を確認。同時にヴォイトを構成する物質に変化を認識』
全ての背景を上塗りする漆黒の球体に、恒星が流れていく。
球体だった恒星は楕円形になり、濁流の様に細くなり、ブラックホールの中で渦を巻いて消えていく。ブラックホール自体は非常に小さいにもかかわらず、無限に深い深淵であるかの如く、するすると恒星を咀嚼していった。
たった数秒で、恒星は跡形もなく消え去った。
呼応するようにして、ヴォイトを構成するエネルギー量が増大していた。
星一個のエネルギー分、増加している。
ブラックホールの穴の向こうは、ヴォイトの胃袋に直結している。
『美味しくない……足りない……もっと、もっと……』
これは、シャットダウンがラーニングしていない事だが。
大咀爵“ヴォイト”の
そしてヴォイトは、さらに大きくなった。
星一個分――とは言わないが、少なくとも内部のエネルギーはそれだけ増えた。
『ヴォイトが同じく恒星を吸収し続けた場合、ヴォイト自身が非常に巨大なブラックホールになると想定される。その場合、最終的には
そうなれば、アイナも、ロベリアも、スピリトも、エスも、“美味しい”は無い。
未だ見ない“美味しい”が奪われる。
『ヴォイトの存在は、全ての“美味しい”を排除する可能性がある』
“美味しい”を創る事は、この異世界でラーニングした最上位の優先事項だ。
だからこそこの宇宙から、その可能性を全て摘むヴォイトは最優先で排除すべきだ。
『エラー』
自身の役割を再確認した際、シャットダウンの中にエラーが発生していた。
『“美味しい”の定義が、不、明』
大事だった筈の事が、認識から消えかかっている。
しかし非効率な人間の脳から解き放たれた人工知能に。そんなバグは無頓着である。
『Processing... 5.1%..』
『ねえ……ユビキタス』
一方のヴォイトにも動きがあった。
その場にいない誰かに尋ねる様に声を上げた。
『駄目だよ……お腹空いたよ……足りないよ……またご飯作ってよ……君が作ってくれたビーフシチュー、また食べたいんだよ……このままじゃ君まで食べちゃうよ……』
その声の様は、腹を空かせて母の帰りを待つ子供の様だった。
……シャットダウンがその類推が出来るという事は、まだクオリアからの置換が完了し切っていない証拠である。
『ビーフシチュー。エラー、ビーフシチューは登録されて、い、ない。登録されていない』
回路にノイズが走った。
“美味しい”という定義不明の概念。“ビーフシチュー”という定義不明の概念。
ヴォイトには分かる事が、シャットダウンには分からない。
何か大事なものだった気がする。そう思うと、シャットダウンのパフォーマンスはそれらの概念を想起する事に傾き始めた。
『分析機能に異常発生。自己修復機能発動』
『Processing... 6.2%..』
律したシャットダウンの推論機能から、バグは消えなかった。
その間、僅か一秒。
たった一秒の間に、自体は深刻な状態へと発展していく。
大咀爵ヴォイトの周辺に、ブラックホールが途方もなく増殖していた。
『食べちゃおうか。食べちゃおう。そうだ、命一杯食べちゃおう。いっぱい頂きますを言おう。最後に御馳走様を言えばいいや』
指数関数的に、天文学的数値に膨れ上がっていく。
一切の景色が存在しない深淵の球体が、世界の欠落という様相を呈する。
『俺の食事を邪魔する人がいる。きらいだ。きらいだきらいだきらいだ。きらいだ』
食欲の中に紛れた、止め処ない殺意。
それが自分に向けられている事を、シャットダウンは認識しない。
『だから、まずはお前から、いただきます』
ただ未だ増幅していくブラックホールが、この後自分に近づいてくる。
その予測だけは成り立っていた。だが重要視すべきポイントは、標的が自分であるという事ではない。
その個数と、特性だ。
『ブラックホールの数を計算。1兆7999億9275万389個と認識。またこのブラックホールは、時間的変化の割合が非常に低いと認識出来る』
このブラックホールが影響する範囲にまで接近すれば、先程の恒星の様に忽ち原子レベルにまで圧縮されるだろう。その星のあらゆる“美味しい”が消え去るだろう。
シャットダウンを潰した後、このブラックホールはどこへ行くのか?
シャットダウンに当たらなかったら、このブラックホールはどこへ行くのか?
あらゆる星を吸い込むまで、その移動を止めないだろう。
1兆7999億9275万389個全て、宇宙から星が無くなるまで漂い咀嚼し続ける。何の御馳走も無い無が広がる結末になる。
かつて、地球という世界で暮らしていた人類の様な滅亡を。
シャットダウンは、最も回避すべき禁足事項として登録している。
『タスクを変更。1兆7999億9275万389個のブラックホールを全て迎撃する』
星の体積にはとても収まらないくらいに、果てしなく整列されている。
一つ一つに量子干渉するのは非効率だ。とても間に合わない。
『ラーニングを開始』
ならばすべきことは一つだ。
1兆7999億9275万389個分のブラックホールを消滅する最適解を算出する。
シャットダウンのCPUで、未だ人が足を踏み入れた事の無い桁数のパターンを演算する。無限と錯覚するようなパターンから最適解の行動を選択する。
『Processing... 7.1%..』
未だ全盛期の7.1%しかパフォーマンスを発揮できない。全盛期の演算機能には到底及ばない。それでも全てのブラックホールに何も奪われない
ブラックホールの性質。想定しうる変化。何万光年と続く軌道計算。
互いのブラックホールが衝突した場合の異常な挙動。
アイナ達がいる惑星の位置。自分の位置。
それを、1兆7999億9275万389個分。
『
あます所なく、シャットダウンの回路上で一つの未来が確定した。
『“
『Type GUN
黒い雨を前にして、シャットダウンはフォトンウェポンを生成する。
オーバーテクノロジーの中でも最大の威力を誇る
そして、ここで時間切れ。
ヴォイトの食い意地は、限界を迎えた。
『いただきます――
新月の夜闇が。
暴食の極地が。
全ての生命を喰らうブラックホールの
1兆7999億9275万389個の暴食が。
一斉に、シャットダウン一人へと降り注いだ。
『これより1兆7999億9275万389発、
1兆7999億9275万389発。
『
『Processing... 8%..』
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