第167話 人工知能、星喰らいを凌駕する①

 詠み人知らずの司教が唱える世界滅亡論が雑踏に染み渡る中、潮の満ち引きの様に右往左往する人間の達の視線は、いつでも空に向いていた。

 真っ白な太陽。歪んだ青空。渦中に向かって吸い込まれていくような、猛烈な嵐。世界の終わりをそのまま形にしたような時間が過ぎていくのを、不安と恐怖と絶望の中で待つしかない。


 大咀爵ヴォイトを討伐した現人神ユビキタスの復活を祈る讃美歌が、幼子たちの聖歌隊によって歌われようとも、まったく気休めにならない。半信半疑の疑心暗鬼に陥り、来たる終焉に耐え忍んでいた時だった。

 

 大咀爵ヴォイトの姿が、消えたのだった。

 その直前、大咀爵ヴォイトの目前の位置で、正対する漆黒の鎧の幻が目撃された。光の屈折によって曖昧に出来た像だった為に、その漆黒の鎧が何なのか、誰も言い当てる事が出来なかった。


 “げに素晴らしき晴天教会”に属する司教は現人神ユビキタスが返ってきたと諸手を挙げて喜んでいた。無宗教の獣人は、第二の厄災ではないかと神に祈った。娘を抱えた母は、同時に鳴りやんだ嵐に災害は去ったのかとホッとしていた。

 千差万別の反応を見せる中、では消えた二体がどこにいったのか、それを伺える者はいなかった。



「……クオリア君」


 ロベリアは手を伸ばした。

 各地でスピリトも、エスも無意識に手を伸ばしていた。

 まるでクオリアと握手をするように、掌を差し出していた。

 

 少女達は全員、同じ直感を働かせていた。

 あの大咀爵ヴォイトと共に、何も届かない場所に行ってしまったのだと。

 

 何せ、クオリアの心は異世界から転生してきたらしい。

 それならば、大空の向こう側に行くことだって簡単なのだろう。

 少女たちの届かない所まで、旅立ってしまうのだろう。



(……行か……い……で)


 誰もいない寝室で、アイナは無意識で手を伸ばす。

 しかしその手を掴む人間も、掴んでほしい人間も、もうこの惑星にはいない。



 それでも、少女たちはクオリアの“美味しい”をもう一度だけ見たかった。

 もう一度、クオリアの隣に立ちたいと涙を流していた。

 空虚なだけの大空に、流れ星三回数える様に願った。


 しかしその願いを、クオリアがインプットする事は無い。

 “げに素晴らしき晴天教会”の聖歌隊たる、あどけなき少年少女が必死に口ずさむ平和を祈る歌さえ、重力を振り切る事は出来ないのだから。




      ■         ■

 

 宇宙。

 ありとあらゆるものの中で、一番広くて、一番孤独な空間。

 零次元のイルミネーションだけが、広がる漆黒に敷き詰められている。

 

 人型自律戦闘用アンドロイド“シャットダウン”。

 魔王にして大咀爵“ヴォイト”。

 大気も重力も喪失したがらんどうに、ふたりぼっち。


『食べたい……食べたいの……食べ物、どこ……?』


 一切の生命が存在しない無限の空間を見渡して、ヴォイトは気付いた。こんなにも空腹なのに、食事の用意がどこにもない。


『Processing... 2.2%..』


 たった一分前まで何の変哲もないある落ちこぼれだった兵器は、憤る暴食の化身へ淡々と情報を返す。


『本地点は私達の惑星から512光年離れている。あなたは私達の惑星に到達することは出来ない』


 どこを見渡そうと、ありふれた星々は視界に必ず映る。

 蛍の様に儚く、宝石の様に尊く煌めき続ける。

 参列する無限の天体達の中に、“美味しい”に満ちた青い星があるのだ。

 しかし御馳走がどれかをヴォイトが特定するにはあまりにも遠い。見えないし、届かない。


『いやだ、いやだああああああああああああああああああああああ!!! このまま、ずっと、何も食べれないで、苦しいの、やだ……やだ……やだ……あ、あああああああああああああああああああ』


 ヴォイトの形が、人間から離れ始めた。黒一色の背景をどんどん真っ白に塗りつぶしていく。右腕だけでなく、全身が風船のように膨張していった。

 

 急速に、際限なく巨大に成り果てていく。

 


 シャットダウンとのサイズの差は歴然である。

 人と、星ぐらいにある。


『いっぱい、今日まで、我慢してきたんだ……ずっと、ずっと、ずっとずっと……』


 嘆くヴォイトの腹部に、巨大な口が出現した。

 その中心で、ブラックホールが顔を出す。

 ヴォイトの巨大化に応じて、そのブラックホールも桁違いに威力が跳ね上がっている。星が自重に耐えきれなくなる事で自然発生するブラックホールと、もう殆ど変わらない。


 もし、あれがアイナ達のいる星に着弾したら。

 王都どころじゃない。

 王国どころじゃない。

 



『Processing... 3.7%..』

『Execution Quantumクァンタム



 しかし、そのブラックホールが発射されることは無かった。

 独りでに自壊したのだった。

 更に言うならば、自壊したのはブラックホールだけではない。 



『……また、また食べれない……あ、俺の左腕……?』



 ヴォイトの腹部部分も、捥ぎ取られたかのように消滅していた。


『対象の消滅に成功。ただし大咀嚼ヴォイトの復活を確認。ゴーストによる特性によるものだと思われる』


 ヴォイトの真っ白な巨体が、直ぐに復活した。

 ゴースト故の特性。ゴーストは復活出来なくなるまで殺し続けるか、ゴーストとなった原因である感情を満たさなければならない。


 しかし、問題はそこではない。

 今、シャットダウンは――触れずして、かつ5Dプリントを介さずして、ブラックホールを、大咀嚼ヴォイトを消滅させたのだ。

 空腹を満たす事しか本能にないヴォイトは、その現象に問いを立てる事をしない。それでもこの宇宙空間に存命できる人がいれば、驚くだろう。そしてシャットダウンは答えるだろう。


 


 故に、ブラックホールだろうとヴォイトだろうと関係なく、素粒子レベルで削除、編纂、追記をしてしまえる。あらゆる力が素粒子に由来する以上、シャットダウンの原子、素粒子干渉能力に対抗する術はない。


『予測修正無し。回復を確認』


 とはいえ、ただ素粒子の消滅を施すだけではゴーストの脅威を排除することは出来ない。ゴーストは、消滅させただけでは回復する。これはラーニング済みの前提条件だ。


 ヴォイトを攻略するには、そのブラックホールを何度でも出現させる暗黒物質、即ち感情が変貌した魔力をハッキングする必要がある。しかし流れている魔力が膨大な為、ハッキングでは間に合わない。


 だからこそ、シャットダウンは更に上を行く。

 強化された人工知能は“”という“強制停止キルプロセス”演算を実行していた。


 その強制停止キルプロセスを実行するのに必要なシャットダウンの兵器回帰リターン率こそが、8.9%。

 

『Processing... 4%..』


 ほんの僅かに、クオリアの肌色がシャットダウンと重なった直後だった。


『お腹、空いた……空いたああああああああああああああ!!』


 さりとてヴォイトも、神殺しとまで呼ばれた程の存在。

 癇癪に比例して、強い重力波をまき散らす。

 


 

 シャットダウンとヴォイトは、宇宙の別地点に空間ごと移動していた。


 伝説の魔王と最強の機械の、星の範疇すらとうに超えた後半戦が始まる。

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