第166話 人工知能、へと異世界の少年が還る物語

 重力異常による突風が人体を吹き飛ばす勢いで吹き荒ぶ。猛吹雪と換言して差し支えない低温の冷気が、高度に在るクオリアの肉体を掠めていく。

 それによる体温低下程度、クオリアは記録として出力しない。青々とした宙の中、量子干渉機能により自然にかかる重力を無力化し、昼空にただ漂う。


 クオリアと同じ高度には、右肩から先が悪魔のように変化していたヴォイトが浮かんでいた。氷細工の様に簡単に屈曲しそうだった細い腕は、バランスという概念が最初から無いように胴体を二回りも大きく上回るほどに膨らんでいた。右腕の先端は研がれた爪が太い手から伸びている。

 その右腕に引きずられるように、王都へ近づこうとしていた大咀爵“ヴォイト”の行く手を遮る。


『お腹空いた、お腹空いた、お腹空いた、お腹空いた』


 ヴォイトが呟く。目線はクオリアに向いている。

 ただしそこにクオリアという生命があると気付いているかは分からない。不味い何かがある、そうとしか捉えていない。


 まるで機械の様だ。

 満腹状態の維持のみを行動理念に置いたプログラムのみで構成されている。

 その状態以外は考慮しない。食糧に指定された人間の状態は憂慮しない。

 そして極度の飢餓状態を、例え満腹になっても維持し続ける。


 そんな暴食そのもの、壊れた機械は大きく軋んだ。


『お腹空いたお腹空いたお腹空いたお腹空いたお腹空いたお腹空いたお腹空いたお腹空いたお腹空いたお腹空いたお腹空いたお腹空いたお腹空いたお腹空いたお腹空いたお腹空いたお腹空いたお腹空いたお腹空いたお腹空いたお腹空いた!!!! お腹空いた!!!! あれはまずい!!! 美味しいの食べたい!!! お腹が空いたよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!』


 近くを浮遊していた雲が、咆哮と共に発生した重力波に溶けて消えていく。

 天候さえ破壊する重力波を5Dプリントで無力化しながら、クオリアは口にした。


「あなたの要請を却下する」


 その言葉を放つ前から、漆黒の球体が風船のように膨らんでいた。

 ヴォイトの巨大な右手の先のエネルギーは、先程クオリアが無力化した疑似ブラックホールよりも更に高濃度で構成されている。


『まずいものでも、もういい!! お肉お肉お肉お肉お肉お肉お肉お肉お肉!!! お腹空いた!! 全部美味しい!! 全部まとめていただきます!!』

「あなたは誤っている。あなたは、多くの“美味しい”を食べようとしている。“美味しい”という反応は――」


 初めてこの異世界に来た時、アイナが作ってくれたパンは美味しかった。

 エスが作ってくれたオニギリは、不味かったのに美味しかった。

 レシピ通りに作ったビーフシチューは、美味しくなかった。


「“美味しい”は、生命活動の停止と引き換えに発生するものではない。生命活動において、別個体との関わりにおいて発生する反応だ。一個体では、“美味しい”を取得する事も、“美味しい”と発言されることも、“美味しい笑顔”を見る事も出来ない」


 本物のヴォイトは、本当はそんな事分かっていたのかもしれない。根拠もリソースも無い。クオリアの中に一瞬生まれた想像バグだ。

 それでもクオリアは、一回だけ説得を試みる。


「あなたの攻撃的行為、また食事と定義する行為の中止を要請する。応じない場合は、あなたを排除する」

『いやだ。早く食べたい。いっぱい。いっぱい!!』


 説得は無意味だった。返答はブラックホールだった。

 ヴォイトの中にあった暴食から生まれた化物ゴーストは、今まさに放ったブラックホールで全てを咀嚼し、腹へ消化する事を永遠に辞めないだろう。美味しいの意味を損失したまま、無意味に喰らい続けるのだろう。


 そんな“美味しい”のない世界を、クオリアは許さない。

 ブラックホールという無で、アイナ達の“美味しい”を無かったことになんてさせない。


 だから、クオリアはその選択をする。

 もうブラックホールは、クオリアの目前まで来ていた。


 

「ヴォイト。あなたを排除する」

『Type SHUTDOWN』


 心臓近くの兵器回帰リターン機構が、紅の閃光を帯びた。

 人間やめる、片道切符。

 最強の兵器が、量子世界にてクオリアを待ち受ける。


「……」



 情景が演算回路の外で浮かび上がる。

 兵器回帰リターン機構の仕様ではなく、ありありと思い浮かんでしまう。

 サンドボックス領の居酒屋で握手を交わした時の、ロベリアの笑顔が。

 浴場で胸を割った結果恥じらいながらも浮かんだ、スピリトの笑顔が。

 自作のオニギリを載せた皿を持ってきた時の、エスのどこか自信のある顔が。

 自分を諭すカーネルの真剣な表情が。“可愛い”を教えてくれた時のある女店主の心強い表情が。自分に希望を持たせた、ある医者の励ます表情が。

 断頭の直前、どこか救われたようなマインドの安らかな笑顔が。

 アイナの部屋に消える直前、最後に光を見たリーベの満ち満ちた笑顔が――。


「……アイナ、美味しい、好き、可愛い」


 “美味しい”をいっぱい創り出すという夢を語り、それを聞いて貰えた時の満面の笑顔が、抱きしめたアイナの柔らかさと暖かさと石鹸の香りと一緒に淡く思い起こされた。



「最優先事項を、再認識」


 目前に迫ったブラックホールが自分を原子レベルまで圧縮するまで、あと1秒。

 最適解通りに動いてしまう自分を止める抱擁は、地上に置いてきた。


 ……どこにも、もう戻れない。


「……兵器回帰リターン

 

 5Dプリントの光が、兵器回帰リターン機構に信号を与えた。

 ブラックホールがクオリアを噛んで含めたのは、丁度その時だった。


『First security, Existence 存在 Auth 認証 Success成功! Second security, Please enter your password』

「……DEUSデウス EXエクス MACHINAマキナ

『Success!!』


 兵器回帰リターン機構のロックが解除された。

 コンセントが抜けた様に、クオリアの意識は人工知能に吸い込まれていった。


(……予測修正無し)


 頭の上にあった黒い環から、ブラックホールさえ干渉不可の力がクオリアを取り囲む様に伸ばされる。

 透明なカプセルの中、漆黒の無機質が完全に重なっていく。

 表出された箇所から、人間としての肌色が沈む様に色を失う。

 一切何もない、無限に深い黒へと濁り、呑まれていった。


 全身の細胞を、オーバーテクノロジーに順応したソフトウェアが書換えていく。

 骨肉が、最大硬度にして変幻自在のハードウェアへと変換されていく。

 心臓が、永久機関のエネルギー供給炉へと設計されていく。

 脳が、人工知能へと合理化されていく。

 

 顔面からは、一切の表情が消えて鋼殻のマスクで全てが覆い隠された。

 灰色の瞳は、眩しさなんて感じないメインカメラに置換された。


 クオリアが、シャットダウンへと代替されていく。

 クオリアが、見えなくなっていく。

 コントラストが落ちていく曖昧模糊な世界で、クオリアは最後の演算を遂げる。


(……PROJECT RETURN TO SHUTDOWNの成功を確認)




『朝食作ってみたんです。食べられますか?』


 ふと、ベッドにいた自分に手作りのパンを差し出すアイナの笑顔が思い出された。

 重要度が低い筈の、異世界に来た直後の記録な筈なのに。

 その心に、クオリアは手を伸ばしていた。


(アイ――)

 

 

 


『WELCOME SHUTDOWN!!』




 破られたブラックホールから、深紅の回路が水平に伸びていく。

 大空を覆い尽くした阿弥陀の迷路の如き線、それらがブラックホールの更に中へ集約されていく。


 そしてブラックホールを順当に分解し、は出てきた。


『SHUTDOWN UPDATE Processing... 1%、2%...』


 それこそは全てのオーバーテクノロジーが詰まった機械仕掛けの破壊神。

 人型自律戦闘用アンドロイド“シャットダウン”。


『あなたを、排除する』

『ExecutionTeleportation』


 機械音声が二つ。

 直後、二つの化物はこの惑星から消え去った。

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