第165話 人工知能、行く

 その頃、王都でも天空の歪みは見えてしまっていた。

 蒼天を押しのけて座する第二の太陽とも言える真っ白な球体。更にそこから降り注ぐ漆黒の渦。やがて光が異常な重力によって屈折し、真っ白な球体が大きくなっていく。その中心にいた真っ白な少年も、くっきりと見える程に太陽光も月光も歪みつつあった。


 天空に浮かぶ異形に狼狽しながら、ある晴天教会の司教が口にした。


「だ、大咀爵……ヴォイトが復活した」


     ■       ■


 その一言で王都がパニックになる一方、ロベリア邸にてスピリトもまた大咀爵ヴォイトが引き起こした歪みを窓から覗いていた。


「何よあれ……」


 流石にスピリトも、腹部の傷を言い訳に寝てられない。クオリアに貰ったフォトンウェポンを掴むと、未だ満身創痍の体に鞭打って駆け出した。

 しかしその途中、廊下の窓からスピリトは見てしまった。


「あれはクオリアに……お姉ちゃん」


 庭にて、丁度5Dプリントの緊急メンテナンスによって体を元通りにしていたクオリアと、ロベリアが向かい合っている。

 クオリアが何かを説明している。今起きている異常現象について、ロベリアに説明しているかもしれない。だが説明が進むにつれて、“姫”として余裕を保っていたロベリアの顔に、“少女”が戻り始めた。


「……」


 “”。

 スピリトはそう思いながら、今まさに縮地を使えない体であることを恨みながら、早足で二人の下まで向かう。

 しかしその最中、スピリトは見てしまった。


 どこか凛としていたロベリアから、瑞々しさが失われたことを。

 昔娼婦をしていた母親の病死を目の当たりにした時に見た表情と同じだ。

 修行から帰ってきた時期、裏庭の墓の前でしていた表情と同じだ。


 ロベリアが視線を僅かに彷徨わせながら、爪で避ける程に両手を握りしめて、そして何かを言った。

 クオリアは、首肯した。


 ごめんなさい。

 二人とも、相互に唇が同じ言葉を紡いでいる様に、スピリトには見えた。


「……お姉ちゃん?」


 庭に遂に出た時には、クオリアは影も形も無くなっていた。

 空にはぽつんと、真っ白な太陽が浮かんでいて、それにひれ伏すようにロベリアは蹲っていた。


「……お姉ちゃん、クオリアに何を言ったの」


 スピリトの脳裏に、クオリアに重ね合わされた漆黒の兵器が過ぎる。


「お姉ちゃん!? お姉ちゃん!? 変な事言ってないよね!?」


 寄り添うスピリトを見返す余裕もなく、無念そうに涙を流すロベリア。


「本当にごめん……クオリア君」


 しゃっくり混じりの泣き声で、クオリアが向かったであろう歪んだ天空へと目を向ける。


「お願い、クオリア君」


 もうロベリアには、この言葉を振り絞るのが精一杯だった。



 天空の光は未だ屈折を繰り返す。

 どんどん大きくなる純白の太陽を見上げていると、一つの影が差し込んでいた。


「クオリア。そこで何してるの」


 見慣れた白髪の後姿が、天空に投影された。

 スピリトは一人走りだした。


 もう届かない場所に浮かんでいたと、頭では分かっていても。


『Execution Superposition』

「スピリト」


 スピリトの背後から、聞きなれた声があった。

 フォトンウェポンを握りしめていた手の甲に、そっと掌を重ねてきた。


「“ごめ、んなさ、い”」

『Execution Teleportation』


 振り返った時には、もうクオリアはいなかった。膝を落として、嗚咽を嚙み殺してフォトンウェポンを握りしめる事しか出来なかった。

 大粒の涙を見せる事さえ、出来なかった。


        ■       ■


「クオリア、クオリア、クオリア」


 上空で消えたクオリアを探すエスは、傍から見れば迷子の様だった。

 一瞬だけ彼女の横顔を見たプロキシには、少なくともそう見えたに違いない。

 

「クオ――」


 黒いショートボブの髪が、不器用に摩られていた。

 “なでなで”をされていた。

 ずっとされていたかった。して欲しかった。


「エス。“ごめん、なさい”」

『Execution Teleportation』

「クオリア。説明をお願いいたします。それはどのような意味――」


 振り返った時には、もうクオリアはいなかった。また抱きしめて、クオリアが落ち着くまで留めておくことが出来なかった。

 なでなでが下手であるという評価さえ、言う事が出来なかった。


        ■        ■


 クオリアは、アイナの横に座して彼女の頬を撫でていた。


「アイナ、応答を要請する。アイナ、応答を要請する」


 せめて最後に、アイナの声をもう一度聞きたかった。

 抱きしめて、これからクオリアがはみ出そうとしている事を止めて欲しかった。


「……」


 だから、アイナを抱きしめた。

 アイナは何も反応しない。眼は瞑ったまま、完全にクオリアに体を預けてくる。それでも確かに鼓動は弱弱しくとも動いている。生きている体温を、クオリアに伝えてくれる。



「“ごめんなさい”。アイナ。“もう一度だけ、あなた、のパンを、食べ、たかった”」

 


(クオ……ア……様)


 少女の譫言を聞く少年は、もうどこにもいない。

 揺れるカーテンの向こう、遠い世界へ行ってしまった。

 何も言う事さえ、アイナには出来なかった。


 クオリアは一つだけ、学習し損ねていた。

 別れを告げるとき、『さようなら』を言う事だけは、ラーニングをしていなかった。

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