第161話 人工知能、迷宮の崩落に立ち会う

「本肉体ハードウェアの左肩、右膝に中度の異常あり」


 崩落を告げる地震と、瓦礫の雨の中。

 シャットダウンからダウンロードした5Dプリントによる量子干渉機能でさえ、駆け抜けた強力な重力波を相殺するには至らなかった。無力化しきれなかった斥力の旋風が、クオリアの左肩部と右膝をへし折っていた。


「……桁外れだな」


 ぶらん、と左肩を下げざるを得ないクオリアの横に、ほぼ同じような損傷を受けた雨男アノニマスが落下してきた。

 先程の圧縮ジップで受けたダメージも重なり、満身創痍なのは雨男アノニマスの方だ。しかし明らかに折れているであろう部位に無理をさせ、どうにか立ち上がる。

 

「理屈は蒼天党のリーベの応用だ。大咀爵“ヴォイト”の感情の一部が魔石にしみ込んだ。それによってただの古代魔石が、古代魔石“ブラックホール”へと変貌を遂げた」

自分クオリアの仮説も、あなたと同じだ」

「……で、その感情がゴーストになった。感情の一部……七つの大罪で言えば暴食ってトコか」


 ヴォイトと言えば、寝起きの様に呆けていた。

 虚ろな瞳を大きく開き、焦点の定まらない視線を明後日の方向に向けている。


『お腹空いた……お腹空いた……』

『Type GUN』


 荷電粒子ビームを放つフォトンウェポンがヴォイトに翳される。


『Execution Quantum』


 トリガーを一回引く。

 ウッドホースを貫いたものと同じ、重力波を無力化する効果を付与した荷電粒子ビームが横一文字に薄闇を裂く。

 今度は逸れない。フィードバックは成功している。


 ただし、ヴォイトに着弾した所で消えてしまった。


荷電粒子ビームの異常終了を確認」


 ダイヤモンドの様に防御力が融解力を上回った訳ではない。重力波の様に、反射している訳でもない。

 荷電粒子ビームそのものがゼロにされている。

 完全に粒子一粒残さず、無力化された。


 しかしクオリアは狼狽しない。

 失敗したら、原因を分析し対応策を練る。それしかしない。

 人工知能特有の、人間らしくない情景反射だ。


「状況分析。脅威が量子干渉を使用し、荷電粒子ビームを無効化している事を認識。ブラックホールに類似した現象によるものだと思われる――詳細な計測が不可能の、甚大なエネルギーを確認」


 そもそも、ヴォイトと定義された目前の存在そのものが、


 同じく暗黒物質からゴーストとして生まれたリーベも、受肉を果たして獣人の質感を得ていた。

 しかし、そのゴーストの範疇からも目前のヴォイトははみ出している。


 ヴォイトの表面は、事象の地平線イベントホライズンと呼ばれる境界と同一である。これを境界に、光さえ脱出不可能の引力が渦を巻いている。事象の地平線イベントホライズンを境に時間の流れさえ完全に狂っていた。


 人間が巻き込まれれば、忽ち原子まで分解されてしまうようなブラックホールが目前で躍動しているのだ。

 謂わば、古代魔石“ブラックホール”が変容したヴォイトのゴーストは、ブラックホールが人の形して歩いているのである。

 

 結果、荷電粒子ビームは食われた。歩くブラックホールによって。


『美味しくない』


 荷電粒子ビームを飲み込んだ部分を凝視しながら、ヴォイトは呟いた。


『きっと、この世界の味じゃない』

「エラー。あなたは何も食べていない」

『すごい不味かったから分かる。この世界のものじゃない光を食べた』

「仮説。あなたは荷電粒子ビームを無力化したことを、食べたと定義している」

『ビーム……? それは、美味しいの? いや、美味しくない、食べた感じしない』


 美味しいかどうか。空っぽのお腹が膨れるかどうか。

 今のヴォイトには、それしか行動基準が無い。

 歩くブラックホール。それと同時に、歩く暴食と言う罪だから。


『ドラゴンの臭いもする』


 欠損だらけの怨念は、やがて雨男アノニマスも見た。しかし目が見えているのかさえ疑問で、雨男アノニマスに焦点が定まっていない。


「ああ、やっぱ知ってたか。この古代魔石に、てめぇの話も聞かされたぜ……

『ドラゴンは食いたくない。人間の方がいい、食べたい、お腹空いた、お腹空いた、お腹空いた!! お腹空いた!!!!』


 地団駄を踏む度に波紋。重力波。

 強くなる。超高濃度になっていく。無限に進化する。


 その様を見て、クオリアは確信した。

 目前の存在は、人の皮を被った魔物にして化物であると。


『ここには美味しいもの、ない!!! もっと、もっと美味しい人間ものが沢山あるとこおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』 


 地団太で、最悪の波紋が広がった。

 最後の重力波の振動は、触れたものを極限まで分解していく。瓦礫も何もかも、まるで泥団子の饅頭を砂に返していくように引き千切り、ミクロ単位まで潰れていく。

 最下層の天井が落ちてくる。支えるものが消失し、迷宮そのものが畳まれていく。


「5Dプリントによる量子干渉機能を作動」


 目前の景色が砂へと変わっていく瞬間を見せつけられながらも、迫りくる破壊の足音に恐怖することなく、淡々と最適解を導き出す。

 超高濃度とはいえ、重力波ならば既にラーニング済みだ。


 だが波の軌道さえ打ち消す特殊光を放とうとした途端、ここに来てクオリアは状況をインプットする。


「何アレ。古代魔石“ブラックホール”から物凄いの出てるけど」

「非常に大きな脅威です。クオリアの救援に向かいつつ、最大限の警戒を要請します」


 カーネルやエスも含めたクリアランスの騎士達が追い付いてきた。

 最悪のタイミングだった。破裂する重力波は、間違いなく彼らにも炸裂する。

 量子干渉機能を付与した5Dプリントの特殊光は広範囲に対応しきれない。クオリア一人分のエアポケットを創り出すのが精一杯だ。


「いたのじゃ! 雨男アノニマス様!」

「非常に大きなダメージを受けている事を確認」

「助けんとまずいで!」


 一方で雨男アノニマスも、何か対策を講じようとしていた挙動が伺えた。

 しかし駆け付けて三人の魔術人形を認識した途端、クオリアと同じ思考に至った。


 このまま重力波が仲間達を飲み込めば、間違いなく生命活動が停止する。

 崩落する迷宮に巻き込まれても同じことだった。

 

 その分だけ、“美味しい”が喰われていく。

 ――クオリアの演算時間は、その懸念を噛み締めるだけで十分すぎた。



『Type SHUTDOWN Process 0.9%』

兵器回帰リターン


 

 この時、クオリアの視界から色が消えていた。

 より潤滑になった演算速度や機能を以て、転送先の物質配置情報を把握すると――敵味方問わず、その場にいた人間獣人魔術人形全てを“範囲”に含める。



『Execution Teleportation DIMENSION MODE』



 テレポーテーションの範囲を、対象の個体から、対象の空間へと広げた。

 ヴォイトを除いた、最下層にいた対象全員を含んだ空間を、“シャットダウンに近づいてきた”テレポーテーションで聖テスタロッテンマリア迷宮から転移させた。




 誰もいなくなった聖テスタロッテンマリア迷宮の最下層で、ヴォイトは呟いた。


『お腹空いた』


 瓦礫の山へと変わり果てていく迷宮に逆らう様に、天空へ飛んでいく。

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