第146話 人工知能、決戦直前の朝

『クワイエット』


 そう奏でられた魔石は、空の様に青がかっていた。

 灯りに照らしながら、宝石でも見つけた子供の様に中を覗き込む。

 エスのあどけない外見が、その無邪気な雰囲気を強めていた。


「この魔石は、人工魔石、古代魔石どちらにも分類されません。例外的な魔石と判断します」

「あなたの判断は正しい。その魔石は、リーベがゴーストとして存在する為の魔力の残存部分が、結晶化したものと判断される。恐らくは古代魔石に近い性質を持っているが、古代魔石とは魔力構成のパターンが根本的に異なっている」


 丁度、ロベリアが持ってきた聖テスタロッテンマリア迷宮に関する書物を手に取り、ラーニングを始めていた頃だった。

 クオリアの演算速度は、20ページの内容を1秒で学習する。


 聖テスタロッテンマリア迷宮周りの地形。

 聖テスタロッテンマリア迷宮の空間構造。

 住まう魔物。

 かつて人間の物として機能していた際のトラップ。

 数千年経ったことによる自然の浸食度合い。


 脳内の回路に、パラパラと紙が捲れる音に比例して超速で刻み込まれていく。


「聖テスタロッテンマリア迷宮に関する事項、ラーニング完了」


 計10000ページ分の知識を、500秒の速読で理解した。

 この知識は、クオリアのテレポーテーションに深くかかわる。テレポーテーション先に何があるかを理解していないと、根本的にテレポーテーションは使えないのだ。

 下手をすれば転送先に重なった物質と、予想不可能の量子反応バグが発生する。


「ロベリア。これより守衛騎士団“ハローワールド”は聖テスタロッテンマリア迷宮にテレポーテーションを実行する。その後、聖テスタロッテンマリア迷宮に位置していると思われる古代魔石“ブラックホール”の無力化、そしてトロイの鎮圧、ウッドホースの無力化と捕縛を実行する」


 そのタスクの完了は即ち、蒼天党の決起から続く古代魔石“ブラックホール”をめぐる騒動の終了を意味する、ターニングポイントだ。

 ロベリアの日常とはかけ離れた神妙な面持ちが、その重要性を物語る。


「クオリア君。それにエスちゃん、疲れてない?」


 床に座り込んでいたクオリアとエスに、ロベリアもしゃがみこむ。

 折り畳んだ膝に腕枕。ロベリアがよく取る姿勢だった。


「魔術人形に疲労の概念はありません。魔石内の魔力については充電期間を必要としますが、既に十分に魔力は回復しています」

「私が言いたいのは、精神的に大丈夫かって事。バックドアの事、話に聞いただけでも相当キたなって、お姉さんお節介にも思っちゃったからさ」

「理解を要請する。クオリアの心については、エスの協力で回復した。エス、“あり、がとう”」

「全てが終わったら、アイナみたいに“なでなで”してください」

「要求を受託する。しかし“なでなで”は登録されていない」

「こういう事」


 頭を掌が優しく包んで上下左右に動く。

 間近まで近づいたロベリアが伸ばした小さな手の感触をクオリアは追う。

 不思議だった。いつまでも、味わっていたい感覚だった。


「スピリトも昔は、こんな風にされたら泣き止んだっけなー。もう死んじゃったけどお母さんからこれされた時も、なんか嬉しかった記憶あるある」

「……“なでなで”を更に要求する」

「はいはい、甘えん坊さん」


 白髪を摩られながら、その指や掌を通して脳に暖かい値を送られていると、ロベリアが突如尋ねる。


「クオリア君に、さっき聞いていくべきだった事があるの」

「説明を要請する」

?」


 クオリアは直ぐに答えた。


自分クオリアは生命活動の停止を禁忌としている。何故ならば、それはアイナとの約束に反するからだ」

「そうじゃなくて。誰かのために生きるとかじゃなくて。アイナちゃんとの約束も無かったとしたら、それでも死ぬことに抵抗は無いの?」


 クオリアの返答が、一瞬だけ遅れる。


「肯定」


 ただし動いた唇も、その声色も、いつものクオリアと変わらなかった。

 顔の動きをじっと見つめていたロベリアは、残念そうに瞼を閉じた。

 

 死にたくない。

 そんな弱音を、期待していたかのようだった。


「クオリア君。もしその時が来たら、シャットダウンになる時が来たら――必ず戻ってきてね」

「それはあなたと約束されている。肯定」


 そう返すと、クオリアはアイナの横まで歩いて、そして座る。

 涼風と共に差し込む朝日のせいだろうか。どこか顔色が良さそうだった。


「アイナ。理解を要請する。自分クオリアは今回の暴走をフィードバックする。しかし、現在未だ暴走における対処法が算出できてない」


 もし同じ状況になった時。かつエスのように止めてくれる人がいなかった時。

 またクオリアはバックドアを一方的に殴りつけるだろう。そして取り返しのつかない事態に発展させるだろう。

 人工知能だけでは、心の死を止める事が出来ないからだ。


「しかし、あなたが発言していた“心の死”について、クオリアはラーニングした。クオリアは、あの状態になる事を要求しない。対処法は算出できていない。しかし、クオリアはもう二度と、“心の死”を発生させることをしない。その最適解をこれからも算出し続ける」

「クオリアの心は、私が監視します。だからアイナは、安心していてください」


 精一杯の宣言を吐露するクオリアの隣で、エスもアイナに語り掛ける。

 返事はない。しかしそんな事は、クオリアもエスも話しかけない理由にはならない。

 意識の暗闇でもがき続けるアイナに、二人の心が届いてほしいから。


 しかし、このままでは王都が暗闇に包まれるかもしれない。

 宇宙で生命を喰らう代名詞、“ブラックホール”が出現して、クオリアもエスもスピリトも、ロベリアもアイナも永遠の闇に葬られるかもしれない。


 それだけは、何よりも避けなければいけない事態だ。

 例え一人の人間が、破滅の兵器へと不可逆的に移行してしまうとしても――。


「守衛騎士団“ハローワールド”。行動を開始する」

『Execution Teleportation』





 二人きりになった寂しい部屋で、ロベリアは椅子に座る。

 目前には、眠り姫が長い夢を見続けている。


「アイナちゃん。何も起きないよね。アイナちゃんだってまだ起きないのに、王都が滅びる悲劇が起きるなんて、そんなの理不尽過ぎるよね」


 返事はない。しかしそんな事は、ロベリアも話しかけない理由にはならない。

 意識の暗闇でもがき続けるアイナにさえ、縋りたくなってしまう程に心細いから。


 自分達がブラックホールに包まれることも怖い。

 しかしもう一つ怖いのは、もうクオリアがこのまま帰ってこないような気がしたからだ。


「アイナちゃん。死にたくないって、アイナちゃんも言ってほしかったよね。きっと」

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