第143話 人工知能、また美味しいに向けて動き出す

「状況分析。リーベ、あなたのゴーストとしての魔力が、消滅点にまで間もなく達しようとしている」


 クオリアがそう判断した頃には、星はもう見えなくなっていて、ただ月がぼんやりと光と彩の中に紛れ始めた。

 朝ぼらけの涼風もラーニングしながら、消滅するリーベをただ観察する。

 もう十分もしない内に、彼は消えるだろう。

 朝日が昇り、陽光が差し込むころには、彼はもういないだろう。


「妹を頼んだ」


 自分の消滅にも抗わず、ただ粛々と言葉を続けていく。


「俺は地獄逝きで、アイナは逝くとしたら天国だ。だがアイナが間違ってあっち側に来ないように、見張ってることくらいならできる。だからお前はこっち側で、アイナを頼む」


 自嘲気味に小さく笑うと、クオリアがフィードバックしていた感情の暴走に言及を始める。


「お前なら、俺の様にはならないさ。暴走しちまったことを、そうやってすぐに反省できるんだからな。それに、踏み止まる事も出来た」

「エラー。自分クオリアは踏み止まっていない。バックドアに生命活動を停止させるのに十分な損傷を与えた」

「だが結局お前はバックドアを殺さなかった。殺す寸前まではいったし、致命傷は与えたんだろうが、最後の最後で踏みとどまった。もしお前が俺と同じなら、きっちり息の根止めるまで暴走は続いていただろう」

「……」

「お前は俺とは違う。そこで一線を越えてしまったのが、蒼天党を率いて王都に恐怖をもたらしたリーベという男だ。反面教師くらいの価値はあるかな」


 そこでクオリアはエスを見た。クオリアが暴走を停止する事が出来たのは、エスが身を張って抱き留めてくれたからだ。

 エスがいなかったら、間違いなくクオリアもリーベ側に落ちていた。

 しかしそんな視線もリーベは追えたのか、クオリアを的確に励ます。


「……もう十分だ。出来る限りのけじめつけれた……アイナも、お前らみたいな存在が傍にいれば安心だ。それ以上に俺に出来る事も、願える事ももうない。償う命も、最初から無いしな」

 

 その言葉から、クオリアは一抹の不安をインプットした。

 リーベはまだ、納得していないのだ。

 自らが犯した罪の事もあるが、やはりアイナの行く末が気にかかっている。

 クオリア達にアイナの事を託しておきながらも、兄は心配なのだ。

 この感情ゆえに、リーベは蒼天党を率いて大事件を引き起こした。


 世界を散々引っ掻き回しておいて、後は勝手に消えるだけかと罵倒されようが、リーベはアイナの事だけを考え続ける。そして同じような境遇の獣人が現れない世界を夢見続ける。


 後悔。

 不安。

 恐怖。

 それは例え道化を演じて蒼天党への憎悪を一手に引き受けたとしても、一切拭えるものでは無かった。怨念としての造形を維持できる程ではなかったとしても、リーベの中で渦巻いている負の感情だけは、真赤な嘘ではなかった。


 アイナと心を通わせた人間の存在を知っても尚、リーベの心は断頭された昏い洞窟から抜け出せないでいたのだ。


「状況分析」


 そのリーベの表情を見て、クオリアはふと、後悔フィードバックから思考が移る。一歩、また踏み出し始める。


「それは、あなたが“美味しい笑顔”を取得しない理由にならない」

「何をする気だ?」


 クオリアの頭上を黒い円が遮り、瞼から回路が走る。


「あなたが消滅するまで、あなたはアイナの横に位置して、声をかけるべきだと判断する」


 そしてクオリアはシャットダウンの機能を、最後の笑顔の為に使う。


 それは意識して後悔から立ち直ったわけでは無い。

 無意識でリーベから“美味しい”を取得する為に、自分が失いかけた“美味しい”をまた拾う為に、守衛騎士団“ハローワールド”の役割を再起動する。



『Execution Teleportation』



       ■        ■




 テレポーテーションを果たした三人が着地したのは、アイナの寝室だった。

 先程三人が揃っていた時と違うのは、窓の先でほんのりと明るい空が見えていたことくらいだ。


 アイナは、相変わらず弱弱しい呼吸をしたまま結局覚醒しない。

 そのアイナを見つめながら、クオリアは自分の頭で考えた選択を口にする。


「提言する。あなたはあなたとアイナのみで、声をかけるべきだと判断する」


 思わず言葉に詰まるリーベに、クオリアはその意図を伝える。


「この場合、あなたは更に詳細にアイナへ、あなたが要求する言葉を伝えられる」


 最初にロベリア邸に連れられてから、自分クオリアもしくはエスの監視があった。故にこの兄妹は二人きりになれなかった。


 だからこそ、せめて消えゆく今だけは、リーベのいるべき場所はアイナの隣であるべきだ。

 せめて消えゆくまでの時間は、兄妹水入らずの時間を与えたかった。


「……そりゃ、嬉しいがよ」


 流石に困惑した様子を見せながらも、当然の疑問を口にする。


「特別扱いしていいのか? 俺を監視していなくて。俺は消えるまで蒼天党のリーダーで、お前達の言う脅威だ」

「私はクオリアの言う事に賛成です」


 エスがリーベの真正面に立って見上げて、疑問に回答する。


「お前に再度質問します。お前の役割は何ですか」

「……」

「お前は、蒼天党のリーダーという役割を終えていると判断します。だから私は、今お前の役割は、アイナの兄と定義しています。それも、お前が兄として妹のアイナに向けている感情は、非常に大きいものだと感じています。アイナもお前に対して向けている感情を、私達に提示しています」


 昨日のアイナの涙を、エスは一番間近で見ていた。

 ロベリア邸にテレポーテーションしてから、アイナの横で項垂れていたリーベも、間近で見ていた。


 だから学習している。

 その涙の根源に、一体何があったのかを。

 無力化し排除すべき脅威だったとしても、兄妹という間には関係ないという事を。


「お前に繰返し質問します。お前の役割は何ですか」


 この質問を最初にした時、自覚こそ無かったがエスはある答えを期待していた。

 その期待していた答えが、お手上げと言わんばかりのリーベから零れる。


「俺は……ああ、そうだ。俺はアイナの兄だ」


 だからこそ魔術人形は、ここに来て初めての性善説に傾く。


「ならば私の脅威であった蒼天党のリーダーの役割は消滅しました。私はお前を警戒しません。お前とアイナ、二人で過ごす時間が必要です」

「……クワイエットゴーストにハッキングをした際に、あなたとアイナの記録についてラーニングした。あなたとアイナは、記録の中では理想的な家族となっていた」


 他方で、クオリアもリーベをラーニングした時の記録を呼び起こす。

 あの記憶の世界で、リーベとアイナは仲の良い兄妹だった。

 例え世界がどれだけ獣人に厳しくても、明日食べるものに困っていても、命からがら生き延びた後でも、二人で見せ合う非常に質の良い“美味しい笑顔”が検出出来た。


 リーベも、アイナも、あの瞬間が一番幸せだったのだろう。

 そしてその幸せの延長線上に、クオリアがたまたまいただけの話だ。


「あの記録の再現こそが、あなたが消滅するまでにおいて、一番“美味しい”を出力できる状態と判断する」

「……お前ら」


 そもそもこの三人の関係は、異端だった。


 最初に会った時、エスはディードスの人形として動いていた。

 最初に会った時、リーベは蒼天党のリーダーとして、何も迷わずアイナの復讐に来ていた。

 最初に会った時、互いに無力化するか、殺し合う関係だった。


 それがアイナという糸に結ばれ、奇妙な縁が完成した。

 内一人の漸くの旅立ちを、最高の形で迎えられるように。そんな配慮さえ出来てしまえるほどに。


「……俺が消えたら、分かるんだろう?」

「肯定。あなたの存在は、探知機レーダーで追跡を可能としている」

「そうかい。じゃあ俺が消えたら、後は頼む」


 クオリアとエスは廊下に出て、一人部屋に残ったリーベがドアノブに手をかける。

 その手も、丁度光に還元されていく所だった。


「ありがとな。クオリア、エス」


 クオリア。

 エス。

 その二人を交互に見て、リーベは最後に小さく笑って見せた。


「今度こそ、最後の馬鹿らしい話、してくるわ」 



 そして、部屋には兄妹水入らずになった。

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