第142話 人工知能、殺さない
歯の殆どが折れた程の殴打を受けても尚、立ち上がった事はバックドアの生命力を褒めるしかない。
しかし眼球は減り込んでいて、頬骨は原形を留めていなくて、鼻っ柱は真っ平に潰れていて、顔面は血塗れで、開いた口に牙は無い。
「いひ、いひ、いひひゃひゃひゃ……」
覚束ない千鳥足に呼応するように、定まらない笑い声を上げながら遠のく。
「見ろ!
舞台の中心で視線を集めるかの如く、忘れていた夢の続きを踊り始める。
「へへ、へへ……あの顔を、俺に見せろ……不幸に満ちた、あの美味しい顔を……へへ、へへ……大好き
失った腕から血を大量に滴らせ、風穴の空いた脚を引きずる様を見て、クオリアもエスも判断する。
「状況分析。バックドアはもう間もなく生命活動を停止する」
「お前に責任はありません。バックドアは捕縛しても、逃走する可能性が非常に高い為です。生命活動の停止が最適解です」
狂わないように踊り続けた裏舞台。
その幕が下りる瞬間をクオリアは見つめていた。もうこれ以上自分に出来る最適解は、無かった。
「ああ……お願いだ……お腹、空いた……幸せはどこ
ノイズに感じる辞世の句の中で、クオリアは一つのパターンを検出した。
『クワイエット』
ギロチンを携えた頭部が、丁度バックドアの頭上に会った。
「ぐでゅ」
ギロチンが落ちた。
バックドアの首も、落ちた。
バックドアは、黙ったまま二度と喋ることは無くなった。
転がるバックドアの頭と、僅かに動く胴体から溢れる鮮血。
紅の花畑の中心に、死神の様にリーベは佇んでいた。
「説明を要請する。何故あなたがバックドアの生命活動を停止させたのか」
「お前がこんな奴の命の責任を負うことは無い。どうせ死ぬなら、俺が殺した方が一番都合がいい」
何を思ったのか、停止したバックドアの頭蓋に触れようとした。
しかし、触れることは出来なかった。
丁度そこで、伸ばした手が存在すら出来ない程に消滅を始めていたからだ。
優しい蛍色の光球に分解され、次から次へと空へ上って褪せていく。
「バックドアは俺に殺されて死んだ。お前の怒りに殺された訳じゃない。それは大事な事だ。クオリア、俺に光を教えてくれたお前が、俺のように刃の振りどころさえ分からない復讐者にならない為にな」
「……“ごめ、んなさ、い”」
リーベの微かな笑顔さえ、終の光に変換され始めた頃、守衛騎士団“クリアランス”が徐々に集まる。最初に到達したのは、団長のプロキシだった。
状況を見て、何があったのかすぐに察したようだ。クオリアの肩をぽん、と叩いてからリーベへ近づき、その兜を取ってみせた。
アイナやリーベと同じ、獣人の証である耳が生えていた。
犬の形をしていた。
「……部下の仇討ちに来たか? クリアランスも何人も殺したからな」
「舐めるな。部下達は命を投げることを覚悟でカーネル様の下、クリアランスの役割を担っていた。仇討ちなど、逝った仲間への侮辱行為でしかない」
右手を鉄も砕くほどに握りしめる。
今ならクオリアには分かる。
“自分への悔しさ”と“部下を殺したリーベへの激情”が渦巻いている事を。
それをぐっと抑え込みながら、リーベを睨みつつプロキシは続ける。
「良く聞け。俺はクリアランスの団長として役割を全うし、獣人でも関係なく世を救えると証明する。それが獣人の希望になると、信じている」
「……俺とは真反対だな」
「ああ。お前の境遇は理解する。だがお前の行動には納得しない」
「……」
プロキシに付き従って到着していた黒衣の騎士、その内数人を一人ずつ見つめるリーベ。
「地獄に行く寸前になって、世界の事が分かるとはな。まさかクリアランスとして動いている獣人がこれ程いたとは」
「お前もカーネル様と出会っていれば、拾われたかもしれんな。実際俺は、カーネル様に拾われなければ、お前と同じ蒼天党にいたかもしれない。心当たりがある」
「たらればは無しだ。虚しいだけだ」
「そうだな。蒼天党の決起は、獣人にとって不幸しか齎さない。お前は獣人の立場を傷つけた。それが現実だ……お前が傷つけた現実は、俺が一生かけて直す」
そう覚悟の程を強く伝え、リーベの消滅する体を一瞥すると、そのままプロキシは他のクリアランスと共に去ろうとする。
一方でクオリアとエスと擦れ違う時、頭を僅かに下げる。
「……ありがとう。おかげで古代魔石“ブラックホール”の在処の情報を掴めた」
再度クオリアの背中を優しく叩くと、プロキシはそのまま仲間たちと合流しその場を去る。遠くにいるカーネルと合流しに行ったのだろう。
一方でクオリアはその場にエスと共に座り込み、バックドアの残骸をただ凝視していた。体が重い。体力を消耗したわけではないのに、何故か疲弊していた。
その疲弊は、血の海を見つめる時間に比例して、どんどん増していく。
だけどそのフィードバックを止めてはいけない。口には出さず、不文律を自らのプログラムに仕込んでいた。
「疲れてる所悪いんだが、最後に一つだけいいか?」
そのクオリアの隣に佇んでいたリーベは、もう間もなくゴーストとしての存在も終了しそうになっていた。それくらいに光球に分解され、消えかかっていた。
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