第141話 魔術人形、離れない

『アイナ、説明をお願いします。心が死ぬとは、どのような比喩でしょうか』

『……エスさんは、ディードスという人に指示されていた時、何を考えてた?』

『私は思考していません。元主人の指示を達成するための行動を計算していました』

『そんな状態の事を、私は心が死んでいるって事だと思う……誰も彼も、そうやって指示に従うだけの状態になるの』

『人間も魔術人形わたしたちの様になる事があると登録しました』

『人間も獣人も、特に感情の奴隷になって、取り返しのつかない所に行っちゃう。私も、出会った時のクオリア様を傷つけようとしたこともあった。お兄ちゃんを失って、もう何もかもが嫌になって』

『アイナ、精神状態は大丈夫ですか』

『あ、ごめんね……タオル、止まってたね。クオリア様もそうなる事があるから』

『クオリアも心が死ぬことがあるのですか』

『クオリア様は優しいから、だから自分を計算に入れないの。昔からそう』

『アイナ、安心を要請します。クオリアの心は、戦闘時は私が監視します。心が死なないように調整します』

『……お願いしていい?』

『はい。それは私が私に要求する役割です。だからお前は泣き止んで下さい』


     ■     ■


 エスの白い服が、赤く汚れる。

 真赤なクオリアの腕を包む胸と腹が、赤く目立つ。


「クオリア。要請を繰り返します。お前の行動は誤っています。停止を要請します」


 スキルに特化した魔術人形の力は特段強いわけではない。

 ましてや体格差で振り払えた。

 しかし小さな少女を、クオリアはすぐに振り払う事が出来なかった。


 この力をクオリアは認識している。覚えている。

 最初にアロウズを殺そうとした時、全身で受け止めてくれたアイナから感じ取れたものだ。


 プログラムでは説明できない、得体も知れない、だけど暖かい何か。

 冷却水の様に、クオリアの血管に流れ込んでくる。


「排除、する。自分クオリアは、バックドアを排除しなければならない」


 けれど、過熱した暴走は収束しない。

 錆びた機械の様にクオリアの右手が震える。

 暖かい胸の中から、冷たい血溜まりへ向かおうとしている。


 だがエスはしがみついてでも、クオリアの腕を離さない。

 薄い表情が、噛み締める口元で力強く色づいていた。

 頬も腕にくっつけて引き止めながらエスが続ける。


「お前がゲボカス野郎に攻撃的行為をする度に、お前の精神状態の異常について深刻度が増していくと推測されます」


 踏ん張り、ピンと伸びる細い脚。

 引きずられ、その先端で踵が地面を削っていく。

 しかしエスの小さな体は、復讐に囚われたクオリアから離れない。


「それは、お前の心が死んでいる状態と定義できます」


 一瞬、クオリアが振動した。


「心が、死んでいる、状態。エラー。[N/A]」

「私はアイナから、お前の“心”に異常が無いかを監視する役割を託されています。アイナはあなたの心が死ぬことを恐れ、昨日は泣いていました。それ程に重要です」


 涙を流すアイナを、クオリアは何回も見たことがある。

 彼女が涙を流す度に、クオリアは芯から揺さぶられるような感覚を得ていた。

 だからこそ、エスの言葉が溶けそうな脳内へ沈んでいく。

 その奥の理性に、突き刺さる。


「アイナの涙を流すような行動は、私は許可しません。お前の心が死ぬ行動を私は許可しません。それは、ゲボカス野郎から古代魔石“ブラックホール”の情報を入手するよりも最優先されるべき事です」


 クオリアは、前に進むことも無く、後ろに戻る事も無くただ固まっていた。

 エスに抱きしめられた右腕を振り上げたまま、降ろせないでいた。


「お前に要求します。お前の役割を取り戻してください。ゲボカス野郎への破壊欲求に支配されないで下さい。私はそれまで、私の疑似肉体が破壊されようとも、お前の行動を停止させます」

「……排除、排除す……」


 言葉とは裏腹に、クオリアの右腕から力が抜けた。

 俯くクオリアの視線には、白目で折れた鼻腔と歯の抜けた口で虫の息をしていたバックドアが転がっていた。

 しかしもうクオリアは、バックドアを見ていなかった。


「排除……した場合、アイナが、涙を流す。エス、あなたも涙を流す」

「はい。もしこれ以上攻撃的行為をするならば、私は涙を流します」

「それは、一番回避すべき誤りだと判断する……自分クオリアはバックドアに対して過剰な攻撃を加えていたと判断。バックドアに対しては捕縛で必要な条件は果たせた。このエラーを修正する」


 クオリアはバックドアから離れ、壊れた人形のように座り込んでいた。

 エスが今度はそんなクオリアの額を抱きしめた。

 後頭部に手を回し、アイナよりも薄い胸部に、丁度魔石が額の真ん中に来るように埋めて見せた。

 それでも柔らかな感覚が返ってくる胸の中で、クオリアは瞳を閉じる。


「アイナはこのようにすると、涙が止まりました。抱擁には精神を安定させる効果があります」


 魔術人形故に、心臓の鼓動は聞こえない。

 だとしたら、まだバグが発生したのかもしれない。

 鼓動が、感じ取れるなんて。


「しかし、女性であるあなたには不利益であると判断する」

「お前は異性の感覚が関連している場合、抵抗ノイズとして捉えます。しかしお前には今、この行為が必要だと考えます。お前はこの行為を私の不利益として捉えますが、お前の精神が安定する事は私にとって利益です」


 ぐっ、とエスの手がクオリアの後頭部を押す。

 昨日アイナと一緒に水浴びした時の石鹸の香りが、一層強くなった。

 鼓動も、強くなった。


「私は戦闘行為時、お前の心の調整を役割とします。お前が元主人の指示から私を解放したのと同じように、お前の心を不当に支配する脅威から解放したいです」


 アイナは同じようにクオリアを抱きしめた時、泣いていた。


「アイナにも笑ってほしいです。お前にも笑ってほしいです」

「……エス、あなたの“美味しい”も、自分クオリアは優先度が高い」

「説明をお願いいたします。今お前からは、私の“美味しい”は検知出来ますか」


 クオリアはエスの胸の中で、見上げた。

 真下にあるクオリアに向けられたエスのあどけない顔が、すぐそこにあった。

 クオリアは思ったままに、その表情を見て返す。


「あなたの表情から、“美味しい”を検出した」

「はい。お前の心が、安定を取り戻しつつあり、安堵している為です」

「……エス。理解を要請する。これより自分クオリアはバックドアの捕縛に移行する」

「はい。私も同じ役割になります」


 クオリアが立ち上がり、エスが振り返るとその場でバックドアは立ち上がっていた。


 しかし左腕の損失。

 体のあちこちに空いた風穴。

 そして完全に崩壊していた顔面。


 尚立ち上がって逃げようとしているのが奇跡だった。


「おえ、俺が、うして、んな、こに」

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