第139話 人工知能、許さない

 零れた血が、点々と続く。

 その血を踏みつけながら、クオリアは一直線に歩行する。

 左腕を失い、息を切らしながら逃げ惑うバックドアの背中をただ見据える。


 淡々と凝視する眼球は、血走った線で容量超過になっていた。


「捕縛……排じ……[N/A]……役割の定義異常あり、捕縛する」 

「ぐあ……」


 丁度大通りに差し掛かった所で、バックドアが転ぶ。蹲るバックドアにクオリアは迫る。


「……うっ」


 周りの人間達から慄く声が聞こえた。

 ナイフを握るバックドアへ警戒だろうと判断した。

 肩をこわばらせて睨む視線がクオリアに集中している値も検出されたが、視線の誤差だろうとそれ以上の演算を行わない。


「く、クオリアさん……まあ、待てよ、落ち着けよ……俺を使ってみないか……」


 倒れながらも、バックドアは制止するように手を伸ばす。

 しかし鬼気森然とした物静かな殺戮兵器のように、一歩ずつ近づいてくる。


「聞いたぜ、お前さんはあのロベリア姫に付いているんだってな……だが政治の世界を見渡して見ろ。ヴィルジン国王もやべえ、ルート王女は最悪なくらいにもっとやべえ……俺の見立てじゃこのままじゃこの国はルート王女に支配される。仮にヴィルジン国王が生き残った所で同じだ……どちらにしても、ロベリア姫にこのままじゃ未来はねえ」


 左腕を失っても、圧倒的な存在がゼロ距離にいても、バックドアの舌は回り続ける。訴えかけるように、クオリアへとどめの言葉を放つ。


「良く考えてみろ。俺ならお前が望む様にコンサルタントしてやれる。蒼天党をあの規模まで引き上げたのも俺だ! だから、俺を使えば、お前の守衛騎士団“ハローワールド”だって……!!」

「あなたの言葉は信頼度が無い」


 ぴしゃりと、シャッターが閉じる音が聞こえた。

 最初から聞いていない。バックドアを見ている様で、見ていない。

 ただただ、忌まわしい害虫でも見下ろしている。そんな冷徹冷酷なモノクロの視線を浴びせていた。


(コミュニケーション取れよ……くそが、やっぱ殺すしか生きる道はねえな、この原始人が!!)


 一切の交渉は無意味。

 そう判断したリーベは、即座に魔力を練る。


擬餌鉤人フィッシングルアー


 


「……クオリア様」


 ノイズが大音量でクオリアの神経を駆け抜ける。

 歯が砕けそうなくらいに口内を軋ませた。


 その声、立ち振る舞い、容姿、何から何までアイナのものだった。

 猫の耳を付けた、粟色の髪に、メイドとしていつも着用しているカーディガンまで、何から何まで同じだった。

 

 そして、まるで脳がごっそり消えたように眼を見開いたクオリアに向かい、勝ち誇った笑みを見せる。右手に携えていたナイフ、それを振るうのみ。

 クオリアの間合いは、バックドアの間合いでもあるのだ。


(どうだ! 流石にこの娘ならば攻撃は出来――)

『Type GUN』


 演算を無視して、トリガーを押す。

 スカートの下の太腿を、荷電粒子ビームが貫く。


「ぎ、いやああああああああああああああああああああ!!」


 アイナの悶える顔を検知した。

 少女の呻き声を検知した。


「[N/A]」


 その分だけ憤怒の灼熱が心を焦がす。


「ぐ、う」


 擬態は解け、存在そのものがノイズの塊であるバックドアが剝き出しになっていく。


「お前さっきから……ロベリア姫といい……この猫娘といい……親しい人間を容赦なく傷つけられるのか……!」

「あなたはロベリアでも、アイナでもない。あなたは自分クオリアにノイズを促進させる。最大の脅威と認識」


 しかしその脅威判定は、人工知能による計算も演算も関与していない。

 ただクオリアの感情に任せて吐いただけの、殺意だ。それを認識したクオリアはまた何とか立ち止まる。


「エラー……エラー……脅威レベルの特定に異常あり……自分クオリアの役割は……」


 とてもノイズは無視できるものでは無かった。

 状況分析機能が応答していない。演算機能が応答していない。最適解の導出機能が応答していない。内臓メモリを超えてパフォーマンスを超えて、いくつかの機能がフリーズしてしまっている。


 このバックドアという存在を殺戮してやりたい。

 殺戮不要であると理解しているにも関わらず、まだ生かしておいた方が情報を引き出せる可能性があるにも関わらず、クオリアの何かが引き立てる。


 バックドアを殺せ。

 アイナと同じ目に遭わせてやれ。

 解放しろ。

 心に従え。

 そのトリガーを引いて、脳を吹き飛ばせ。


 とても最適解とは呼べない選択肢を、演算回路以外の何かが押し付けてくる。


「……く、く……」


 一方のバックドアは何とか逃れようと辺りを見渡す。すると近くで腰を抜かしている獣人の少女を発見した。

 自分の中の何かと戦っているかのように硬直しているクオリアの一瞬の隙をついて、風穴がぽっかりと空いた脚を無理やり引きずって――その少女を捉えた。


「おいクオリア!! 動くんじゃねえ」


 クオリアはようやく状況の分析が完了した。

 バックドアが、獣人の少女を片手で羽交い絞めにしてナイフを突きつけていた。


「ひ、ひひひ……動くんじゃねえぞ……女」

「いや……」

「[N/A]」


 この光景を、クオリアは覚えている。

 喉元に突きつけられた鋭利に戦々恐々として硬直してしまう人質。

 その首元に突きつけられたナイフ。

 そして刃を突き立てている獣人。

 マインドも、同じことをしていた。


 ――けれども、一つだけ違う。

 マインドは人質に対してずっと謝っていた。

 バックドアにはそんな後ろめたさなどない。


「この女を殺したくなければ、その光線出す奴で、自分の頭を撃ち抜け……!」


 戦況の逆転を誇示するように、クオリアに無茶な要求を放つ。これもマインドがしなかった事だ。

 しかしクオリアの中では、人質に泣く泣く刃を向けるマインドが重なっていた。

 ……その後、首を刎ねられる惨劇も。


「にしても……女、いい顔してんじゃねえか……」

「あ、ああ……」

「美人程……その顔が死に歪むのが好きな性格でね……」


 獣人の少女から、急速に美味しいが抜けていく。

 まるで店の花でも選ぶかのように少女の首と胸を行ったり来たりする刃に、ただ絶句するしかないのだ。


 この光景も、クオリアはラーニングしてしまっている。

 アイナが貫かれた瞬間を、想像出来てしまう。


「あは、その顔だ。クオリアもこの女も、その顔だよ!!」

「……」

「あのアイナって娘もそうだ……もっと楽しんでやりたかったのにな……もっと時間があれば、時間をかけてじっくり嬲ってやったのになぁ? もっと見せてやりたかったな? あのリーベにも、そしてお前にも。あのアイナって娘の肺が潰れて、窒息していく様をよぉ……!!」

「……」


 血を失って少しずつ蒼白になってきたバックドアという個体の喋る言葉が、クオリアには理解が出来なかった。認識機能が壊れ始めた。

 代わりに、クオリアを駆り立てる何かを注ぎ込まれている。


 心が、膨張する。


 そして引きつった心からの笑顔で、バックドアは言い放った。


「……これだから人の不幸ってのはよ、美味しくてよ、やめらんねえぜ……!」



 全ての演算がフリーズした。

 そして、クオリアは



『Execution Teleportation』

「[N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A]排除する」


 テレポーテーションをしたクオリアの右手が、バックドアの顔面を撃ち抜いた。


「ぶっ」


 引き剝がされた少女と擦れ違い、転がったバックドアに馬乗りになる。


 最適解ももう算出せず、一切の回路はフリーズしたまま。

 ただ壊れた心に従って、体を動かす。


 

 



「ま、ま、ぶふっ、ま、ぶふぁ!」


 拳と頬が砕ける音。


 マウントを取ったままで、両拳を撃ち降ろし始めた。

 最適解でも何でもない、一方的な暴力が始まった。

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