第138話 人工知能、騙されない

 ノイズ。

 それを検知したクオリアは、まだバックドアを発見できていない。

 ただしバックドアの魔力は例外属性であるため、鑢の様に肌を削ってくる。集中力を演算で研ぎ澄ませれば、例えかなり距離が空いていたとしてもその残滓を追う事が出来る。


 ノイズ。

 この迸るショートは、シャットダウンの力を0.1%だけ解放したものとは異なる理由だ。

 アイナを傷つけたことについて何一つ後悔や反省も無く、ただ逃げ回るだけのバックドアを認識した途端、急に大きくなった。

 謎の砂煙が、演算回路にこびりついて演算結果を書き換えようとする。


 ノイズ。

 バックドアをもう一度捕縛しなければいけない。


 ノイズ。

 バックドアはアイナを死の淵に追いやった。


「これよりバックドアの検索を実行する」


 クオリアは深夜で静まり返った郊外の街を見渡す。

 大きく見開いた眼から、黒い回路が一筋ずつ流れている。


 ノイズ。

 ノイズ。

 しかし、読み込みは一層冴える。


『Execution Teleportation』

「[N/A]」



 ミツケタ。



「……いっ」


 次の瞬間、物陰に隠れていた筈のバックドアの真正面にクオリアがテレポーテーションする。

 あまりの突然の出現に声も出せないまま、反射的にバックドアが逃げていく。


 クオリアは、一瞬バックドアを追わずに硬直していた。


「演算結果に異常を検知。修正する」


 過熱した感情CPUを、立ち止まった上で一旦制御する。

 守衛騎士団“ハローワールド”として、人々の“美味しい”を一番に願った行動を取る為に。


「バックドアの捕縛を再実行する」


 そう言いながら、クオリアはバックドアの逃げた方向へ向かうのだった。


 その僅かな隙間の時間で、バックドアは決定的に逃げることは出来なかった。

 光界閃ファイバーネットワークは連続使用は不可能だ。次回使用可能となるまでにまだ時間がかかる。

 そもそも、クオリアは光界閃ファイバーネットワークによる移動をしたはずなのに、今まさにゼロ距離まで間合いを詰めてきたのだ。

 魔力の跡を辿れるのは計算外だった。

 もうクオリア相手に光界閃ファイバーネットワークは使えない。


(って事はぁ。あー、返り討ちにするしかないって事ね)


 バックドアはナイフを抜いた。

 アイナの胸を貫いた、クオリアにとっては因縁の刃だ。


(問題は心臓を刺しても生き返る可能性があるって事か……理屈はまだよくわかってねえが、だがその指示を出してるのは人間である以上、脳以外に考えられない。なら心臓付近を狙って動きを封じてから、頭蓋骨にグサリ、と行けば復活しねえだろ)


 クオリアの返り討ちの算段は立った。

 問題は、その刺突までどうやって持っていくかだ。クオリア相手に正攻法では先手は取れない事どころか、全ての動きを予測されて一方的に仕留められるだろう。


 不意打ちである必要がある。

 そして不意打ちにぴったりな例外属性“光”の魔術を、バックドアは最も得意とする。妖しく笑いながら、その魔術を行使した。



擬餌鉤人フィッシングルアー……!」



 満月の光、辺りの微かな反射光。それらすべてが例外属性“光”による魔力によって絶妙に屈折し、狼の耳を持つ獣人の男性から人間の少女へと変貌した。

 その少女に対して百人が同じことを言うだろう。


 


 敢えてボロボロになった衣服、体格まで含めて擬態は完璧。一切バックドアだった証跡は無い。一分間のみこの状態を持続する事が可能だ。

 金髪碧眼にして、若干のあどけなさを残す少女はナイフを隠しながら――クオリアの前に出た。


「クオリア君……!?」


 クオリアも一瞬時が止まったかのように歩行を停止し、バックドアが擬態したロベリアを凝視した。


「……さっき……獣人に襲われて……こんな所まで連れ込まれて……さっき逃げてきた所」


 獣人の暴走に巻き込まれて危うく誘拐されかけた悲劇の姫。

 バックドアはそれをイメージしながら、完璧に演技をこなす。実際ロベリアの事も以前から観察し、その挙動を学習していた。ダメージを受けて足を引きずる芝居も、非の打ち所がないくらいに完璧だ。

 いざという時は光界閃ファイバーネットワークで脱出するものの、普段は擬餌鉤人フィッシングルアーで全ての極地を乗り切ってきた。

 

 擬態、同化というジャンルにおいて、バックドアは他の追随を許さない。

 だからこそ、対象の親密な人間に化けて、喉元まで堂々と近づくことが出来る。

 ロベリアがここにいる事自体はクオリアも疑問を持つだろう。しかし親密な相手が目前にいたとなると、正常な行動を取れる人間はいない。


 自分にとって親しい相手を、人間は斬る事が出来ない。


(さあ、あともう少しだ……もう少しでお前はロベリア姫に殺される……)


 ナイフの位置を意識しながら、遂に間合いにまで入る。


「クオリア君……助、け――」

『Type SWORD』



 クオリアは、ロベリアの左腕を斬り落とした。



 ナイフごとボトリと落ちた左手は、即座に獣人のものへと戻った。

 硬直したロベリアの顔が、バックドアの顔へと戻る。


「な、ななな、なんで……うわああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 尻餅を付いて、思わず自分の左腕を拾い上げながら恐怖にのたうち回るバックドアを見下ろす。


「状況分析。ロベリアの通常行動と挙動に決定的な誤差あり。また魔力による認識阻害を検出した」

「ひ、ひぃ」


 そういいながら、機械的に、しかし人間の様にフォトンウェポンをひっさげながら歩いてくるクオリアからバックドアは逃走する。


「捕縛、捕縛、捕縛、ほ、[N/A]」


 砂嵐のようなノイズが、クオリアという心を削っていく。

 逃げる背中へ向けられた殺意の膨張が、クオリアの挙動を汚染し始めていた。


 クオリアは徐々にラーニングしていた。

 

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