第129話 人工知能、『PROJECT RETURN TO SHUTDOWN』の全貌を語る③

「うん。クオリア君」


 いつか、エドウィンに向けたロベリアの絶対零度の瞳。

 その瞳が、クオリアに向けて肩を叩く。


「絶対、駄目だよ。そんな、事しちゃ」


 語気を強めて、短く文節を切って、一語一語をクオリアの心臓につきたてる様に言い放った。

 ロベリアが自分の顔に気付いて、口元を抑えたのは少し経ってからだった。


「……違う、それじゃ駄目だ」


 自分に言い聞かせるように呟いた後、一呼吸する。


「……ごめん。私が連れてきておいて、私が無理させているのに、ちょっと我儘が過ぎるね」


 ロベリアは更に一泊を置いて、決心して語りだす。


が来たら、私の所に来て。私がその時、命令する。この世界の為に……シャットダウンになってって」

「お姉ちゃん……!」

「それが私が負うべき責任」


 薄ら笑いのロベリアの顔に、覚悟は刻まれていた。


「例えば世界が滅ぶとして、クオリア君一人の犠牲で何とかなるんだったら、誰かがその判断を下さなければいけない。守衛騎士団“ハローワールド”の隊員がその役割を担うとしたら、その指示は、私が出すべきだよ」

「理解した」

「クオリア!?」


 振り返ったスピリトの挙動は早かった。

 違和感だらけだった。

 実質その時が来たら死ねと言われているのに、何も動じないクオリアが。


「もし兵器回帰リターン機構を1%以上起動させる場合は、ハローワールドの創立者であるロベリアの承認を得るものとする。ロベリアはハローワールドの管理者アドミニストレータに当たる為、非常に相応しいと判断する」

「クオリア……君、怖くないの?」

「エラー。“怖い”は、登録されていない」

「……」


 言葉を失うスピリトの隣で、どこか悲し気に笑っていたロベリアにクオリアは続けた。


「ロベリア、あなたの信頼度は高い。あなたの行動は、多くの“美味しい笑顔”を創る為にあると、自分クオリアはラーニングしている」

「クオリア君は……ブレないな。“美味しい”を創る為なら、本当に命がいらないって感じだな」


 と、どこかいつもの調子で呟くと、ロベリアはまた薄い笑いで顔を照らす。

 喉につばを飲み込み、一度だけ歯に力も入れる。


「分かった。その時が来たら、本当に言うよ。『シャットダウンになって』、って」

「肯定」


 しかしそこから先の言葉は、ロベリアは言いたくない様だった。

 言ってはいけないと、行ってはいけないという自我の鎖。それが一瞬だけ緩んだかのように、ふと呟いた。


「でも許される事ならね、クオリア君、一つお願いがあるんだ」

「それは何か」

「『シャットダウンになって』なんて、私に言わせないで」

「痛っ……」


 そこで蹲って、スピリトが痛そうに目を瞑る。ケレンゲルに斬られた腹部が疼きだしたのだ。そもそもこんなに出歩けるような軽傷ではないのにも関わらず、スピリトは先程から何でもない事のように出歩き過ぎた。


「クオリア。また風呂で話し合おう……勿論タオルは、巻くし、君は服着たままでいいけど」

「今度はスピリトが心配だよ。クオリア。スピリトを連れ帰ってくれる?」

「要求を受託した」


 クオリアは器用にスピリトの体を両腕で持ち上げる。それは世間一般では“お姫様抱っこ”と言われる代物で、当然女性側からすれば物凄く恥ずかしいものだった。


「待って、ちょっと待って、いや待って」


 当然スピリトは猫のように弱弱しく暴れながら、クオリアに部屋まで運ばれる。

 顔を真っ赤にしながら、泣きそうになりながら間近に迫ったクオリアを見上げるのだった。


「君、これは恥ずかしくないの!?」

「不用意な行動を慎むことを要求する。あなたを落とした場合、あなたに損傷が及ぶ。あなたのその傷は、本来修復に専念すべき重傷と判断する」

「私は死なないっつってんでしょ。今はどう見ても君の方が重症だよ」

「あなたは誤っている。自分クオリアに、兵器回帰リターンにおける損害はこれ以上ない」

「……やっぱ君、気付かなさすぎだよ」


 突如、クオリアもラーニング外の事が起きた。

 抱き着く様に、スピリトの手がクオリアの後ろに回ったのだ。

 そのまま自分の体を引き寄せた為に、更にスピリトの体がクオリアの顔に近づく。

 

 スピリトという小さくて華奢で、しかし強くて暖かい体温がすぐ近くにある。

 細くて柔らかな感覚に、クオリアは突如演算に狂いが生じ始める。


「エラー……感覚の遮断を至急を実行する」

「するな馬鹿。私の大切な話も聞こえないでしょ。い、いい、良く聞きなさい」


 紅潮が、更なる熱になってクオリアに伝わる。

 恥ずかしさを乗り越えた掌の力が、クオリアのフリーズも留めた。


「私はぶっちゃけ姫なんかじゃない。お姉ちゃんと違って、私はそんな立場になんか囚われない。だから全力で君に言ってやる」


 そしてスピリトは、迷いなく言い放つ。


「どんな状況でも、シャットダウンにならないで。そう約束して」

「……」


 クオリアの首に回した手は、どこか悔しそうに震えていた。

 クオリアを失うのが怖そうに。クオリアがどこかに行かないように。しがみ付くというよりも、引き止めていた。

 腹部の傷を、抑えながら。


「こんな傷、絶対早く治して君を助けてやるんだから。私は君の師匠なんだぞ」




        ■            ■




「ねえ、ラヴ。クオリア君を連れてきたことは間違いだったのかな。全部私のせいなのかな。私が何かすると、皆いなくなりそうなんだけど」


 いつも、ロベリアは失ってばかりだ。これからも失いそうだ。

 一人、その恐怖と戦いながら座り込んで呟く。

 自分の太腿に預けた顔は今にも泣きそうで、あどけない少女のように震えていて、やっと笑った顔もどこか頼りなかった。


 ロベリアは、後悔していた。

 そもそもロベリアがここに連れてこなければ、クオリアはもしかしたらサンドボックスの領主になって、幸せを掴んでいたのかもしれない。領主になったからには、素晴らしい善政を敷いたのかもしれない。アイナだって昏睡する程傷つく事無く、そんなクオリアの傍に居られたのかもしれない。


 初めてクオリアを見た時、彼なら世界を変えられるとロベリアは確信した。

 後ろの十字架に貫かれたラヴが理想とした世界、それを創るに相応しい面白い少年だと思った。

 ――だけど、その代償が少年の命になると、どうやらロベリアは本当の意味で分からなかったらしい。


 さっき、“大丈夫”と声をかけてくれた少年を、ロベリアは見殺しにしようとしている。

 ならせめて、その死は知らない所で起きてほしくない。


 と、ロベリアは自分を説得していた。


「教えてよ。ねえ、ラヴ。私のやってることって、正しいのかな」


 今更少女だった頃の、血が怖かった自分には戻れない。


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