第130話 人工知能、蒼天党の頭の決断を聞く①
アイナの横には、エスとリーベが並んでいた。
エスはアイナとリーベを交互に見ていた。
アイナへは心配の感情を育んでいた。
リーベには警戒の意図を突きつけていた。
「……そんなに俺が怖いなら、俺を攻撃するか?」
小さく鼻で笑う。
エスは、しかしその行動を変えない。
アイナを看て、リーベを視る。壊れた人形のように、どこまでもその行動を繰り返す。
「お前を攻撃する事は保留しています。お前がどのような対象かを判定している為です。お前が事前情報の通り、役割が蒼天党のリーダーであり、私達に影響を及ぼす脅威と判断した場合、私はお前を排除します」
「その方が魔術人形らしい。しっくり来るよ、俺を殺しにくる魔術人形の方が」
リーベにとって魔術人形とは、機械的に自分を殺しに来る連中だ。
昨日
なのに、消滅寸前に来て魔術人形は価値観を変える行動を取ってきた。
不思議な気分だった。
自分がいなくとも、世界は回っている証拠の様に思えた。
「お前を殺すことそのものは、私の役割ではありません。蒼天党の獣人を殺害するのは、元主人の指示でした」
「ディードス……あの豚か」
「しかし今の私は、元主人の指示から解放されています。今は私は、私の役割を再定義する為、一時的に“ハローワールド”の守衛騎士を役割としています」
エスは、淡々と続けた。
「私がお前を警戒するのは、私の選択です。私がクオリアに“美味しい”を取り戻して欲しいのは、私の意見です。私が次こそは“美味しい”と発言させるようにオニギリを作るのは私の要求です」
そんなエスを見て、リーベはため息をつく。
「魔術人形ってのは……話で聞いているよりも、ずっと心があるじゃねえか。昨日会った奴らもそうだった」
「私以外の魔術人形に会ったのですか」
「多分お前と同じ、ディードスに飼われていた魔術人形だ。
それを聞いて、エスは僅かにその挙動を変えた。アイナの容態をずっと観察し続け、共にアイナを見守るクオリアの異変に思考を馳せ、リーベというリスクに警戒をしていたエスの体から、僅かに力が抜けたように見えた。
同胞のその後を聞いて、少しだけ安堵したのだ。
しかし緩み始めた胸の魔石の輝きが、その輪郭を取り戻したのは直ぐの事だ。
「……
「……!」
「……そうか。あの男も」
と呟きながら、未だ眠り姫のままのアイナの寝顔を見つめた。見つめるリーベの顔は、悪夢に魘されていたような凶相から、僅かに笑みが零れていた。
「アイナ。お前……本当に色んな奴らに助けられてたんだな」
リーベは思い出す。
一昨日ロベリア邸を襲った時、リーベは確かにクワイエットゴーストの中から見ていた。多くの人間が、アイナと自分の間に壁を作っていた光景を。
しかしそれは、リーベが断頭された檻の中のように、兄妹を離れ離れにするものではなかった。今まだ生きている妹を、兄という死から救い出すためのものだった。
「……それでも、俺は怖いんだ。アイナ。お前がこのまま目覚めなかったらと思うと。このまま死んだらと思うと。例え目覚めても、お前を守ってくれる人の数以上に、この世は悪意に満ちている」
「それならば、私はその“悪意”という正体不明の概念から、アイナを守ります」
迷いだらけのリーベの隣で、迷いなくきっぱりと言い放つのだった。
「私は一昨日アイナに肉体を洗う事を教えてくれました。あの時、私は魔術人形としての行動履歴をアイナに話しました。製造されてから、ディードスに購入され、獣人の殺害を役割とした行動を話しました。そうしたら、アイナから『辛かったね』と発言されつつ、後ろから抱きしめられました」
魔術人形の語りを阻むものは、カーテンから透き通ってくる風以外にない。
「私は辛いという反応を知りません。アイナは魔術人形の神経回路を誤って認識しています。しかし、あの時の温かさや、その後のアイナが作った食事、それからアイナと一緒にいた一日は、私に大きく有益な感覚を与えました」
今はいなくなったクオリアの席を見て、エスは続ける。
「クオリアも同様です。クオリアは、私をディードスに指示されるだけの役割から、解き放ってくれました。美味しいを私に教え、“心”というものを私に教えてくれました」
魔術人形は、嬉しい事を話している筈なのに、どこか悲しそうだった。
そう思いながら、人形からの卒業劇を聞いた。
今まさに人命から卒業しようとしている身で、リーベは聞き届けた。
「アイナもクオリアも、危険な状態です。アイナは意識が回復せず、このまま生命活動を追えるかもしれません。クオリアは理解不能の状態になり、このまま生命活動から外れるかもしれません。私はそれが、怖いです」
「……」
「だから私の役割は何かを、判断します。私が二人に何が出来るのかを、私で私に指示します」
「役割、か」
「お前の役割は何ですか」
リーベは突然の質問に、動じることなく、しかし沈黙していた。
今もなお現在進行形で卒業してゆく、リーベ自身の両手を見ながら。
「お前は消滅するまで、どのような役割ですか」
「……魔術人形。聞かせてくれ。俺の役割は、何だったんだろうな」
蒼天党のリーダーだった、とすら最早名乗れなくなっていた。
妹の復讐の為に、獣人の悪意の船頭となり、アカシア王国を滅ぼそうとしていた。
アイナを生死の境に追い込んだのもその蒼天党だった。
「あのスピリトって奴も言っていた。俺に出来る事をしろ、と。ずっとその言葉が引っ掛かっている」
死する直前になって、アイデンティティが分からなくなり始めていた。
だがエスは、その問いに答えない。
「それは、私は答えることは出来ません。お前の役割は、お前が探すべきです。私はそうやって、クオリアから学習しました」
「……そうか」
「少なくとも、現時点ではお前は蒼天党のリーダーです。だから私はこうして、お前を警戒しているのです」
エスは、最後に続けた。
「ですが蒼天党のリーダーでないというのであれば、お前の役割は何でしょうか」
「……」
返答の言葉が出ないでいると、部屋の扉が開いた。
クオリアだった。
「エス。スピリトに会う事を要請する。スピリトがあなたと会話がしたいと言っていた」
「分かりました」
と言いながらも、リーベの事をじっと見つめる。
警戒はまだ続いているのだった。
「行けよ」
リーベが短く言う。
「何もしないさ。祈る事しか、今は出来ないから」
そして小さな少女はいなくなり、ここにはクオリアとリーベしか起きている者はいなくなった。
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