第126話 人工知能、0.1%のデメリットを知る

「カーネル公爵は帰ったみたいね……痛っ……」


 次にアイナの寝室に入ってきたのはスピリトだった。ケレンゲルに斬られ包帯でぐるぐる巻きにされていた腹部を抑えながらも、アイナの寝室まで歩いてきた。


「あなたは腹部が修復されるまで、休息行為を要請する」


 クオリアの思考は、そういった他人の“無理”を読み取る事にかけては積極的である。しかしスピリトは僅かに眉を顰め、


「相変わらず他人の心配ばっかね。それよりも君は大丈夫なの?」


 と、クオリアの全身を見て回る。

 スピリトが見た時点では、クオリアの全身におかしな部分はない。


「先程エスにも同じ質問をされている。シャットダウンの力を0.1%参照したことによる肉体ハードウェアの異常は無い事が確認されている」


 クオリアも、肉体に異常は本当に見当たっていない。

 だから本心から事を伝えているつもりだ。しかしスピリトから若干不安な顔が無くならない。


「……何となくだけど、それって肉体の傷とかで出るものかしら」


 あどけない顔立ちは曇ったまま、クオリアの顔を見続ける。

 その眼には、クオリアが兵器回帰リターンを行った際にサブリミナルとして出現した、黒い人型兵器の姿が想起されていた。


「人間から、兵器とやらに戻る何かを発動したんでしょ……しかも物理的じゃなくて、何かこう、魔術でも干渉できないような存在的に。シャットダウンっていう兵器に」

「肯定」

「だから……目に見える様な症状じゃないんじゃないかと思って」


 スピリトは神妙な面持ちで再度尋ねる。


「君は、人間のままだよね?」

「肯定。クオリアは人間の範疇にある。スピリト、“さっ、きはあ、りがと、う”」


 その不器用ながら実直な言葉を聞いて、スピリトが顔を赤く染める。


「ど、ど、どどう、どういたしまして!」


 この時、クオリアを隣から見つめているリーベの姿があった。

 クオリアの前世事情を知らない為に、魔術やスキルでは説明しきれないオーバーテクノロジーの根源を知らない為に、当然疑問の眼差しを向けるしかなかった。


「兵器って何だ? 人間から戻る? 何を言っているんだ」

自分クオリアは以前の個体では、人型自律戦闘用アンドロイド“シャットダウン”として活動した。これは兵器に分類される。この世界では、“武器”が一番概念として近い」

「……」


 すんなりとそれで納得できたのは、リーベが幽霊のような存在である事が大きい。異端は、自分自身で慣れている。

 アイナの隣に並んでいるのは、人工知能と幽霊だ。


「突然瞬間移動が出来るようになったのも、その兵器とやらにお前の体が戻っているからか」

「肯定。0.1%のみシャットダウンへの兵器回帰リターン機構を発動した。その為、テレポーテーション機能について作動可能となった」

「……つまり、人間を捨てたって事だよな」


 リーベも、何故クオリアが人間から一歩離れてまでシャットダウンの機能を取り戻したか。その理由を察せるくらいには、もう憎悪に感情を支配されていなかった。


「……俺を放っておくことも出来た筈だ」

「それはアイナの回復において、最適解ではない。それはアイナの“美味しい笑顔”において、最適解ではない。アイナが信頼が一番高かったあなたにおいて、最適解ではない」


 つまりアイナと、リーベの為に人間を捨ててしまったとさえ察せてしまう。

 そんな人間は、リーベにとっては初めてだった。

 押し黙るしかない。妹の為に、ここまで身も心も捨てられる存在にリーベは会ったことがない。


「……もう過ぎた事よ」


 後ろから声を突き刺してきたのは、スピリトだった。

 リーベが傷つけた右脚も見えた。回復はしたものの、まだ念のため包帯を巻いている。


「私はその時、クオリアの隣にいた。止められなかった。アンタなんかより全然責任がある……だから私は、これから自分に何が出来るかを考えるしかないって思ってる。お姉ちゃんがいて、今下で何かしているエスがいて、このクオリアがいて、アイナがいて、そんな日常を取り戻すには、これ以上事態を悪くしない為にはどうしたらいいかって考えてる」


 スピリトは迷っていなかった。リーベと比較すれば一目瞭然だった。

 

「何が出来るかなんて、私みたいな王室の温室育ちには分からない。でも、後悔だけしてクヨクヨしてるのだけは、違うって分かる……だからそれだけはしないで。それをしても、時間の無駄。アンタ、もうすぐ消えちゃうんでしょ」

「……」


 まだリーベの消滅は続いている。

 明日の朝を見る事は、リーベは出来ない。ゴーストについて知見が無い二人でも、それくらいは予測できた。


「なら、アンタはアンタに出来る事を果たすべきだよ。アイナの兄として、ずっと横にいるか。それとも、何か別の事をやっているか。例え幽霊でも、そこにいるんでしょ」

「……


 スピリトの言葉を反芻するリーベ。

 アイナの寝室に、エスが入ってきたのは丁度その時だった。

 小さな体いっぱいを使って運んできた皿には、三角形に象られた米の塊に海苔を巻いた料理が積まれていた。


「エス、下で何してると思ったら料理作ってたの?」

「今私に出来る事を考えました。その結果、疲労している時には“美味しい”を取得した方が良いと考えました。そこでレシピがあったので、そこから私の技術でも作れる料理と、今ある食材を基に、“オニギリ”を作成しました」

「遠い東の方にある、独特の剣術が特徴の国で食べられる料理ね。修業時代に食べた事があるわ」


 小さな体でバランスを取りながらせっせと運ぶと、まずクオリアの隣で止まる。


「クオリア。“美味しい”の取得を要求します」

「要求を受託する。“ありが、とう”」


 一個クオリアが受け取ったのを見て、次にスピリトにも渡す。

 スピリトは受け取りざま、即それを口に運んだ。


 咽た。


「……んん、エス、ちょっと待って、これ、ちょっと待って」


 表情を濁らせながら、スピリトが胸を叩きながら喉に何とか流し込む。

 明らかに美味しいの真反対、不味いの反応である。


「これ、オニギリは普通塩なんだけど……これ塩じゃない、何混ぜた……? なんか凄いの混ぜてない?」


 エスも一つ口に入れてみた。

 物凄く目を大きくした。


「はい。これは美味しくないです。明らかに塩の味をしていません」

「絶対混ぜる調味料間違えたでしょ……こんな調味料あったっけ……」


 エスも一瞬で食事を拒否する程の不味いオニギリだった。


 ――ここで、全員、とある以上に気付く。


「……え?」


 スピリトが向いた。エスが無表情のまま沈黙した。リーベも言葉を失った。

 

 


「エラー。想定と反し、“美味しい”が取得できない」

 

 スピリトはオニギリを思わず落として、その事態を指摘する。

 


「クオリア……君、



 否、味覚が消えたというのは表現として正しくない。


肉体ハードウェアに異常は無し。舌、味覚に異常は無し。しかし、“美味しい”の値が取得できない」



 

 機械シャットダウン


 

 人類が滅びた世界において、人型自律戦闘用アンドロイドが味覚を学習する必要が無かった。

 それを示唆するかのように、もう一つの異常がクオリアに起きていた。

 その異常を、三人は見逃さない。



 一瞬だけクオリアの顔に、黒い鋼鉄の頭部が重なった。




 ――シャットダウンに0.1%だけでも近づいてしまっている。

 人間を、0.1%だけ辞めてしまっている。

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