第117話 人工知能、希望を獣人に託す

 テレポーテーション。

 自分と対象を瞬時に瞬間移動させる、情報転送技術である。 


 クオリアはまだ触れた相手にしか発動できないが、シャットダウンの時代には離れた対象にもテレポーテーションを実行出来ていた。ただしこのテレポーテーションについては自分以外にあまり使ったことは無い。

 テレポーテーションでは転送は出来ても、破壊は出来ない。


 しかしそのテレポーテーションをクオリアは実行する。

 リーベとアイナを、もう一度会わせるために。


「テレポーテーションの実行完了を確認」


 クオリアの視界は、アイナの寝室に移っていた。

 先客は、もうエス以外に誰もいなかった。未だ目を覚ます事が出来ないアイナ以外には。


「クオリア、現時点でこの部屋には第零師団は来ていません」


 窓の向こう側から、戦闘音が鳴っていた。

 はためいたカーテンの窓ガラスは、スピリトがロベリアを庇いながら戦う様子を映していた。


「しかし、つい今、私は脅威を認識しました。脅威はお前の隣にいます」


 エスが無表情で睨み、指を差す先。

 リーベが若干呆けながら佇んでいた。


 だがすぐさまベッドに横たわるアイナを認識する。

 飢餓に生気を奪い取られたような顔で、アイナに近づくのだった。


「アイ……ナ……?」

 

 無になりながらアイナに近づくリーベを、しかし遮る小さな影があった。

 無表情のエスだった。


「お前は蒼天党のリーダーであるリーベと認識します。お前はやはり、脅威として判断します」

「……どけ」


 苛立つリーベを見ても、エスは横にずれない。


「私は非常に恐れています。お前がアイナに害をなす可能性がある事を。だから私はあなたを通行意志を否決します」

「エス。あなたの行動は誤っている」


 無表情ながら、リーベに力負けしない強い目で見上げるエスにクオリアが声をかける。


「アイナの生命維持を最優先とする、あなたの方針は正しい。しかしリーベは現在、脅威ではない。理解を要請する」

「非常にリスクが大きいと判断します」

「もし脅威に転じた場合、自分クオリアは察知を可能としている。その為、被害を最小限に抑える事が出来る。今はリーベに状況のラーニングをさせる事が、一番望ましい状況と判断できる」

「……」


 エスがその小さな体を退かせ、リーベがようやくアイナの隣に立つ。

 アイナの寝顔を、時が止まったように見ていた。


「……生きてる」


 アイナが死んでいない事には直ぐに気付いた。


「生きてるけど……おい、起きてくれよ、アイナ……」


 完全に生きていない事にも直ぐに気付いた。


 クオリアが隣に並ぶ。

 そして突如、その両肩を掴みながら迫る。


『ガイア』

「クオリア、やはりリーベは脅威になりました……! 魔石回リバー……」

「エス、停止を要請する」


 短く飛んだクオリアの声で、エスの魔石の輝きが消失する。しかしエスはリーベから目を逸らさない。リーベがいつゴーストになってもいいように、警戒を緩めない。


 一方で、クオリアは警戒をしていない。

 自分の両肩が抑えられて行動を阻害されているにも関わらず、何も抵抗しないまま、されるがままだった。


「アイナは……アイナは大丈夫なのか……!? 一体、アイナの身に、何があったんだ……!?」


 何故なら視界一杯に広がったリーベの顔が、不安で溺れそうだったから。


「噂では死んだって聞いた……、そして今見たらアイナが目覚める気配がない……一体何が、何が……何が起きているんだ……」

「アイナの生命活動は維持されている」


 クオリアは嘘を織り交ぜることなく、事実だけを伝える。

 リーベを絶望に突き落とす可能性も添えて。


「しかし、アイナはこのまま意識が回復しない可能性がある」

「……」


 例え昏睡状態に陥った一端が自分にあっても、それによってリーベから責められるとしても、血塗れで呼吸が停止したアイナの姿を追想してもクオリアは真実を語り続ける。

 人工知能として。

 人間として。

 クオリアとして。


「アイナは左胸を刺突された。それを実行した人物は不明……それにより一時的に心肺……が[N/A]した。自分クオリア蝶々開きインフィニティリカバリをアイナに実施した。それにより生命活動は再開されたが、免疫の暴走アナフィラキシーショックにより……アイナの脳に、[N/A]……その為、アイナの意識回復に……」

「……おま、え……!」


 事ここに至っても、クオリアは引き続き事実を伝える。


「誰がアイナを、誰がアイナをそんな目に……やはり人間か……!?」

「それを実行した人物は不明」

「晴天教会が獣人をリンチしていると聞いた……だから、俺は……そもそも!! お前が……アイナを守れなかっただけじゃなく……アイナの人生まで……」


 今にも噛み千切りそうな勢いだったリーベは、途端にその震撼を停止させた。

 クオリアの頬に目を奪われた。


 シャットダウンのとして付与された、目から頬にかけて走っている黒い線。

 その線の上を、水滴がなぞる。

 クオリアの眼から、涙が溢れていた。


「“希、望、を捨て、ては、いけない”」

「……」


 クオリアは、願いを必死に訴えかける。

 例えどんな絶望的な状況だったとしても、それが“美味しい”に繋がるのであれば、クオリアは躊躇わない。


「あなたが自分クオリアに対し、信頼度が低いのは理解する。あなたが自分クオリアに攻撃的行為を実行する事は誤っていない。アイナの意識が回復した後で、自分クオリアを破壊すれば良い。しかし、今のアイナにはあなたが必要だ」


 唖然としていたリーベに、クオリアは畳みかける。


「アイナの意識の回復を、最優先事項とする事を要求する」


 アイナの未来を願う行動を、ただひたすらに演算し続ける。思考し続ける。

 アイナの為に、今自分が何が出来るのかを。


「だから、あなたにはアイナの隣にいる事を要求する。あなたには、アイナの意識が回復するよう、あなたの声をアイナに聞かせてほしい」

「……」


 シャットダウンという最強にして最凶の兵器だった自分が、人間としての経験ラーニングが一週間程しかない自分が、何をしたいのかを。


「……なんでだ。なんで、お前は、人間なのにそんな事を……今日だけじゃない、昨日も……」

自分クオリアはアイナの美味しい笑顔を検出する為と判断。アイナの美味しい笑顔が一番評価が高い。自分クオリアは、アイナの“美味しい笑顔”が見たい。アイナのいない世界は美味しくない。アイナがを実行できる世界が、自分クオリアは美味しい」

「……」

「“どうか”、アイナの横にいてほしい。アイナは今でも、あなたと会話を要求していた。あなたがアイナの横にいる事が、アイナにとって一番いい事だと判断する」

「……くそ。くそ……」


 その真っすぐな意志に。隠すことない自分クオリアのアイナへの想いに。

 人工知能も、人間も、獣人も関係ない愛に。

 ラーニングなんて決してできない、自発的な願いに。


 リーベは目が眩んだかのように、目を瞑り、そのまま蹲った。

 獣人の怨念が、折れた瞬間だった。

 

 そして、再度アイナへ近づくリーベの前に、今度はエスも立ち塞がらなかった。

 警戒して明滅していた魔石も、今は輝きを失っている。


「……アイナ、お兄ちゃん来たぞ」


 アイナの隣に座って、猫背になって、アイナに顔を近づける。

 そっとした声でも、ふわっとアイナの中に響くように。


「やっと、お前に会えた……お兄ちゃん死んじゃったけど、それでも会えた」


 後悔するように、顔を伏せる。


「ごめんな……お兄ちゃんも、馬鹿なことやってないで、お前の傍にいれば……お前が生きてるってわかった時に、変な意地張らなければ……」


 その背中に、かける言葉を人工知能は算出できない。

 やっと出来た家族の時間に差す水なんて、クオリアはラーニングする気なんてない。



 外で発生したけたたましい戦闘音すらも、暫くリーベの祈りを止めることは出来なかった。

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