第116話 人工知能、瞬間移動する

 バックドアは見ていた。

 リーベが理性を失い暴走をするのを、十分な距離を保った安全地帯から。


『……あ、アイナ、アイナが、死んだって、晴天教会に、なんで、アイナ、あ、あああ……』


 暗黒物質を背景に浮かべながら彷徨うリーベと、逃げ惑う人間達の姿が美味しい。

 バックドアの心を少しずつ晴らしていく。


 アイナの不幸が、リーベの不幸を呼んだ。

 リーベの不幸が、これから王都に不幸を呼ぶ。

 まるで極上の芋のように、どんどん釣れていく。


「いいねぇ。絵になってるぅ」


 全て、バックドアの狙い通りだ。

 獣人にある噂を流した。ロベリア邸に仕える獣人が、晴天教会の私刑にあって殺された、と。出来る限り悲惨に。酒の肴になるくらいにリアルに。

 後は伝染病の様に、アイナの悲劇が蔓延する。

 リーベの怨念がどこを彷徨っているか分からなくとも、その悲劇を怨霊の狭間から聞きつければ、再び復讐鬼の完成という訳だ。


「しかし……ここまですっぽりハマるとはね……もう5、6くらいリーベさんが絶望する手法を考えていたのに、これじゃお蔵入りだ」


 と満更でもないご満悦顔になる。

 一つバックドアが不満があるとすれば、アイナの完全な死に顔を見れなかったことくらいだ。しかしこの不幸で帳消しだ。


「死人のくせに、蒼天党を率いてたくせに、今更納得して消えようってのが間違ってんだよ……ちゃんと獣人代表として、アンタには王都に恨みを持ったまま心中してもらわないと。困るんだよ……俺の平穏が、最高の暮らしが掛かってんだからさ」


 まるで悲劇の舞台でも満喫しているかのように眺めながら、古代魔石“ブラックホール”を手の上で何度も跳ねさせる。


 ここがバックドアの周到にして慎重な点。

 クオリアが古代魔石“ブラックホール”を破壊したと聞いた時点で、『位置も特定できるのでは?』という仮説が働いていた。

 だからこそ、念のため古代魔石“ブラックホール”は王都から離れた位置でのみでしか持ち歩いていない。王都の中に運ぶのは、リーベに即渡せる時。これを徹底していたからこそ、クオリアからの追跡も逃れる事が出来た。


 そんな風に『自分の安全地帯は常に確保する』主義の下、再び右手で作ったレンズで暴走を始めるリーベを見つめる。


『……安心しろ、アイナ、お兄ちゃんが、ちゃんと全部に、今度こそ、復讐を――』

『クワイエット』


 リーベの体が変容した。暗黒物質と混ざり合って、巨大な人間の頭部へと変貌する。ギロチン化した口部を晒しながら、逃げ惑う人間達へ“一切の認識”を断ち切って迫りくる。

 “真赤な嘘ステルス”。

 逃げる人間達は、最早いつ執行されるか分からないギロチンに怯えるしかない。

 

 しかしバックドアにとっては、自分も認識出来なくなるのが困りものだった。

 バックドアには、一つやる事があったからだ。

 この古代魔石“ブラックホール”を渡すというやる事が。


「さてどう渡そうかコレ。真赤な嘘ステルスをやっている時は無理だしな。あの満月の化物状態の時には渡したくねえな……人型保ってる時に、『俺も晴天教会にやられたんです……やはり晴天教会は死すべし』って感じで台本書くか?」


 バックドアは高笑いをしながら、今まさに幕の上がった悲劇を鑑賞し始めた時だった。



 



「んあっ!?」


 思わずレンズから覗いた世界を二度見した。

 間違いない。リーベが進んでいるであろう直線状に、クオリアが佇んでいた。


「クオリアだと!?」


 完全に想定外だ。

 そもそも在り得ない。今クオリアは第零師団に囲まれている筈だ。ここから約50kmも離れたロベリア邸にて、暗殺者たちの洗礼を受けている筈だ。

 正直クオリア達が殺されようが、第零師団が返り討ちに合おうがどうでもよかったが、


「そんな馬鹿な……!! なんでクオリアがここにいるんだよ!?」


 50kmも離れている筈の場所から一気に駆け付けるなど、縮地でも無理だ。

 そもそもクオリアが近づいていた様子も無かった。まるで真赤な嘘ステルスでも発動したかのように、一切接近を認識させるものはなかった。

 

 まるで、瞬間移動でも見たかのような――。


「大体……なんだあの天使みたいな環は……いや、天使は白か」


 クオリアの頭上にある黒い環に気付いた一方で、レンズの向こうにある二人の状況は進んでいく。


『クオ、リア』

『攻撃的行為の停止を要請する』


 クオリアの出現に、リーベも驚いたのか一瞬真赤な嘘ステルスを解除する。直後に巨大な頭部から、狂気と憤怒が混ぜ込められた罵声が飛ぶ。


『お前、お前、あれだけ……あれだけ……言っておいて……アイナが、アイナが、アイナも、俺と同じに、お前、嘘つきだ、お前のせいで、アイナが、嘘に!!』


 クオリアの真上にクワイエットゴーストが出現する。

 台形の血塗られた刃がレールを滑る。

 


『Execution Teleportation』

『アイナは死んでいない』


 しかしギロチンが甲高い音を立てた頃には、クオリアはいなかった。

 数メートル離れた箇所に、佇んでいた。

 


『しかし、アイナの回復の為にはあなたがいる事が必要だ』

『アイナの、回復……何を言っている、アイナは……アイナは……どうなっている』


 クワイエットゴーストが動きを止めた。クオリアが突如見せたによる驚愕は寧ろ少ない。

 クオリアの口からアイナが生きているという言葉が発せられたからだ。


『だったら……説明しろ……俺に……』

 

 脚を止めるどころか、クワイエットゴーストから元のリーベの姿に戻った。

 完全に耳を貸している訳ではないにせよ、その言葉を理解し、嘘か誠か見定めようとしている。


「……あのリーベが、人間の言う事に耳を貸している、だと……」


 あれはバックドアの知るリーベではない。

 歯車が軋み始めている。狂い始めている。計画が解れ始めた音を聞きながら、バックドアは更に深刻になる状況を見つめる。

 

『あなたに再度要請する。あなたの眼から、今の情報を取得する事を要請する。あなたにアイナとコンタクトさせる』


 クオリアがリーベに触れた途端だった。



『Execution Teleportation』


 



「……は?」


 そして、どこにもいなくなった。

 クオリアも、リーベも。

 一切、影も形も見えなくなった。


「待て、待て」


 バックドアは結局、古代魔石“ブラックホール”を握りしめたままこう叫ぶしかなかった。


「畜生、待て! 何がどうなってやがる!?」

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